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1日だけの恋人
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しおりを挟む「元気でね」
「美空さんも」
タイムリミットが過ぎ、それぞれの時間が動き出す。
『また』という言葉を喉の奥に仕舞い込み、美空はぎこちない笑みを浮かべた。
「美空さん……。俺……」
「勉強頑張ってね」
紫雲の言葉を美空が遮った。
ドアノブを掴む美空の手が、無意識に震え出す。
これ以上何か言葉を発したら、きっと涙が溢れてしまう。
わざと明るく「さよなら」と、美空は右手を上げて左右に振った。
その手を紫雲が強く掴む。紫雲の瞳が、美空の心を覗き込んだ。
「離して!」
咄嗟に視線を外すと、美空は力の限りに紫雲を突き飛ばした。
「美空さん!」
紫雲が手を掛けるよりも早く、美空は素早くドアを閉め鍵を掛けた。
「美空さん! 開けて!」
ドアを叩く紫雲の声が、美空の決意を大きく揺るがす。
「帰って!」
「美空さん!」
「約束したでしょ? 二十四時間だけだって!」
「でも……!」
「お願いっ!」
ドアに両手を当て、美空は紫雲の影を捜す。
きっとそこにあるだろう紫雲の姿に、美空は最後の力を振り絞り叫んだ。
「もう辛いの!」
「美空さん……」
「お願いだからもう……! 私を……困らせないで……っ!」
溢れる涙が頬を伝い、冷たいコンクリートの表面を濡らしていく。
泣き声が漏れないよう、美空は片手で口を塞いだ。
物音一つ聞こえない中、紫雲の気配だけがそこに漂う。
今すぐこのドアを開けて胸に飛び込んでしまいたい衝動を必死で押さえつけ、美空は声を殺して泣いた。
暫くした後、微かな衣擦れの音と共に、「わかった……」紫雲の掠れた声が聞こえてきた。
「今までありがとう。いっぱい迷惑かけて、ごめんね」
美空は小さく首を振った。
「俺、一生忘れない。美空さんの事……。例え、俺の歩く先に美空さんの世界が無かったとしても……。それでもずっと……愛してる」
「……っ!」
美空は両手で口を覆った。
危うく叫んでしまいそうになる心を、懸命に押し留める。
音をさせないようドアに凭れた美空の耳に、遠ざかる紫雲の足音が小さく響いた。
紫雲君!
紫雲君!
美空の心が何度も叫ぶ。
微かに聞こえる足音は、ゆっくり階段を降りて行き、やがて、静かに消えて行った。
美空は堪らずドアを開けた。
通りに飛び出し辺りを見回す。
朝の光に照らされた町に、休日特有のゆったりとした時間が流れていく。
美空の目に映る世界のどこにも、紫雲の姿はもう無かった。
「う……っ!」
美空はその場に崩れ落ちた。
「紫雲君……」
いくら呼んでも届かないその名を、美空はひたすら呼び続けた。
まだ少し冷たさの残る春の風が、美空の頬を撫でた後、天高く舞い上がった。
空には一つ、朝日に輝く白い雲が、ふわりと静かに漂っていた……。
卒園式終了後、美空は退職願を提出した。
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