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背徳のキス
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しおりを挟む「あとは寝るだけだから大丈夫だよね?」
時刻は既に、十時を回っていた。
美空が帰り支度をし始めると、「帰っちゃうの?」か細い声が、布団の中から漏れてきた。
「うん。ごめんね。明日も仕事だし」
「そっか……」
「朝になったら熱、下がってるといいね」
額のタオルにそっと手を置き、美空が優しく微笑んだ。
「治らなかったら、ちゃんとお医者さん行くんだよ」
「わかった」
「学校休む時は電話するんだよ」
「うん」
「あとは……」
「美空さん」
「何?」
熱で潤んだ紫雲の瞳が、美空を捉えて緩やかに弧を描いた。
「そんなに心配なら、泊まってけばいいじゃん」
「なっ……」
「父さんのベッドも空いてるし」
「そんな訳にいかないでしょ?」
美空は慌てて立ち上がった。
「なんで?」
「だって、晴斗さんいないのに……」
「バレたら困る?」
「えっ?」
「俺と一晩過ごしたって」
「何言って……」
「大丈夫。また内緒にしとくから。ね、みーたん」
悪戯っぽく、紫雲が笑った。
「だから、みーたんって……」
「それに……」
紫雲は頭に腕を乗せると、まぶしそうに天井を仰いだ。
「何もできないよ。俺今、こんなだし」
「ばっ、馬鹿な事言わないで!」
美空は赤くなったのを見られないよう、急いでぷいっと顔をそむけた。
「やっぱ面白れぇ。美空さん」
クックッと喉の奥を鳴らしながら、紫雲が笑った。
「それだけ元気なら大丈夫ね」
じゃ、とバッグを掴み出て行こうとする美空を「待って」と紫雲が止めた。
「まだ何かあるの?」
「ちょっと来て」
「何?」
「いいから」
「今度は何なの?」
怪訝そうに歩み寄る美空に、紫雲がヒラヒラ手招きをする。
美空がベッドの傍まで近寄った瞬間、紫雲は力いっぱいその手を引いた。
「きゃっ!」
突然の出来事にバランスを崩した美空は、そのまま紫雲の上に倒れ込んだ。
「なにす……」
慌てて身体を起こそうとするも、左手をがっちり掴まれている為、なかなか起き上がることができない。
至近距離に紫雲の顔が迫り、美空の呼吸が一瞬止まった。
「傍にいて」
「っ……」
喉の奥が張り付いて、思うように声が出ない。美空の動揺など御構い無しに、紫雲は泣きそうな顔で訴えた。
「お願い……。眠るまででいいから……」
「しう……」
「一人に……しないで……」
紫雲の左手が、ゆっくりと持ち上がる。あと少しで美空の頬に届くというその刹那、美空は咄嗟にその手を掴んだ。
「わかった……。眠るまでいるから……」
「美空さん……」
鼓動が、痛いくらいに美空の胸を打ち付ける。美空は紫雲の手をそっと下ろすと、子どもを寝かしつけるみたいに、腹の上を優しく叩いた。
「ふっ。お昼寝みてぇ」
「お昼寝?」
声が震えないよう気を付けながら、美空は聞いた。
「そう。よくこうして寝かせてもらった」
「覚えてるの?」
「もちろん」
「そうなんだ。よく覚えてるね」
未だ鳴り止まない鼓動が、まるで荒波のように美空の全身を駆け巡る。心を落ち着かせようと、美空はゆっくり深呼吸を繰り返した。
「忘れるわけないよ」
「え……?」
美空の左手を握り直すと、紫雲は静かに目を閉じた。
「美空さんのこと……」
「紫雲く……」
「全部……覚えてる……」
躊躇いがちな紫雲の指が、一本一本、美空の指に絡みついてくる。
あの日、花冠を抱えた小さな手はもう何処にもないのだ。
絡められた長い指を、美空はそっと握り返した。
微かに顔を綻ばせた後、紫雲は安心したように息を吐いた。
穏やかな時間が、二人の周りを包み込む。
紫雲の息遣いを感じながら、美空はそっと、瞳を閉じた……。
「美空」
名前を呼ばれ、美空は重い瞼を持ち上げた。
ぼんやりとする視界の中に、晴斗の柔らかい笑顔があった。
「帰ってたんですか?」
美空の問いかけに小さく頷くと、晴斗は美空を抱き締めた。
「美空。愛してる」
「私も……」
美空の頬にそっと触れると、晴斗はゆっくり唇を重ねた。
「ふっ……。ん……っ」
時間をかけて何度もお互いを確かめ合った後、晴斗は優しく美空の身体を包み込んだ。
「晴斗さん……」
そのぬくもりに包まれながら、美空の意識は、心地よい波に呑まれていった……。
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