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背徳のキス

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 美空が出来立てのお粥を手に戻って来ると、紫雲はぐっすり眠っていた。
 右手にはまだ、紫雲の熱が残っている。
 何度も深呼吸を繰り返した後、美空は部屋の明かりをつけた。

「紫雲君」
 もぞもぞと布団が動くのを確認し、「お粥できたよ」美空は再び声を掛けた。
「ん……。まぶし……」
 薄っすらと目を開けると、紫雲はタオルで目を覆った。
「起きられる?」
 ベッドサイドにひざまずく美空をタオルの隙間からちらりと覗き、「美空さん……」安心したように、紫雲が顔をほころばせた。
「お粥持って来たんだけど、食べられる?」
「ああ……」
 額のタオルを掛け直しながら、「『あーん』してくれたら食べられるかも」紫雲がにやりと笑った。
「甘ったれないの!」
「ケチ」
 紫雲が口を尖らせる。
「病人なんだから、優しくしてよね」
「冗談はいいから、冷めないうちに食べて」
「ハイハイ」
 ゆっくりした動きで身体を起こし、紫雲はふうっと息をいた。

「じゃあ私、新しい氷持ってくるね」
 洗面器にタオルを入れ立ち上がろうとする美空を、「美空さん」紫雲が呼び止めた。
「何?」
「来てくれてありがとう」
「ううん」
 美空は笑って首を振った。
「ほんとに食べさせてくれないの?」
「はいっ?」
「俺、スプーン持てないかも」
 壁に持たれたまま、上目遣いに紫雲が見つめる。
 一瞬息を呑んだ後、「持ってみなきゃわかんないでしょ!」美空は洗面器を手に勢いよく立ち上がった。



「三十八度五分。今夜はゆっくり休んでね」
 結局自分で食事をし、美空が買ってきたスポーツドリンクを飲んだ後、紫雲は大人しく布団に入った。
「そういえば、リンゴがあるんだけど……」
「食べたい」
 甘えたように、紫雲が答えた。
「ふふっ。切ってくるから待ってて」
 空の食器をトレーに乗せると、今度はリンゴを取りに、美空はキッチンへと向かった。

「なんだか懐かしい」
 美空の中の、幼い紫雲が顔を出す。張りのあるあの黒髪を、何度撫でたことだろう。
 リンゴの皮を剥きながら、美空は胸の中がじんわりと温かくなるのを感じた。
『先生のお嫁さんになる』と言った、あどけない笑顔を思い出し、美空は一人でふふっと笑った。


「お待たせ」リンゴと市販薬を手に戻った美空に、「おかえり」紫雲が寝たまま声を掛けた。
「はい、どうぞ」
 フォークの刺さったリンゴを見るなり、紫雲は大きく口を開けた。
「へっ?」
「あーん」
「自分で食べなよ」
 美空は眉根を寄せて紫雲を睨んだ。
「いいじゃん。これくらい」
「自分で持てるでしょ?」
「持てるけど食べさせて」
「なんで?」
「だって俺、一度もしてもらったことないから。母さんに……」
 紫雲の瞳が、悲しそうに歪む。
「ずるいよ……それ……」
 美空はそっと、紫雲の口へとリンゴを運んだ。
「うん。うまい」
 シャリシャリとかじりながら、紫雲が満足そうな笑みを浮かべた。

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