9 / 90
母親だなんて思ってない
5
しおりを挟む「ところでさぁ。私のこと、覚えてる?」
注文した品がテーブルを埋め尽くした頃、恵令奈が紫雲に問いかけた。
ジョッキの中は既に三分の一になっている。今日はいつになくハイペースだ。
「覚えてますよ。もちろん」
「えっ? ほんとに?」
思いがけない答えに、恵令奈は瞳を輝かせた。気持ち、身体が前のめりになる。
「よく一緒にお散歩に行きましたよね」
「そう。行った、行った」
「やたら可愛いって言われて……」
「そう……だっけ?」
なんだか、雲行きが怪しくなってきた。
「食べちゃいたいって言われて……」
「はあぁぁっ!?」
美空と哲太が、紫雲の顔を凝視する。
「ほんとに食べられるかと思って、怖かった……です」
紫雲が恥ずかしそうに俯いた。
「恵令奈ぁ……」
「それ、アウトっす」
美空と哲太に責められ、「そんなこと言ったっけ?」恵令奈は人差し指を顎に当て、とぼけたように宙を見つめた。
「第三者委員の耳に入らなかっただけでも有難いと思いな」
美空の忠告に、恵令奈はテヘッと舌を出す。
「ちゃんと反省して下さい」
哲太に言われ、「ごめんね」恵令奈は紫雲に頭を下げた。
「いえ。俺もガキだったし……。流石にもう、食べられるなんて思わないから大丈夫です」
紫雲が、さも可笑しそうに笑った。
その姿に安堵したのか、恵令奈は一気にジョッキを煽ると、熱のこもった眼差しで紫雲をじっと見つめた。
「ねぇ。紫雲君って、彼女いるの?」
「えっ……? 何ですか? いきなり」
予期せぬ質問に、紫雲が戸惑いの表情を浮かべる。
「やめなよ、恵令奈。酔っ払ってんの?」
「いいから美空は黙ってて」
美空の言葉を遮ると、恵令奈は再び紫雲に聞いた。
「いるよね? もちろん」
「いえ」
「いえ?」
驚く美空に、「なんだよ?」紫雲が怪訝そうな顔を向けた。
「ふぅん。じゃあ今、フリーなんだ」
恵令奈は頬杖をつくと、瞳をトロンと潤ませた。
「ほんと、可愛い。違う意味で、食べちゃいたい」
「えっ!?」
身の危険を感じたのか、紫雲の身体が大きく仰け反る。
「ちょっと恵令奈! なんて事……!」
「恵令奈さんっ! それマズイっす!」
二人の制止も聞かず、恵令奈は髪を掻き上げた。
ストレートのロングヘアが、美しく整った顔にはらりと落ち、なんとも言えず色っぽい。
「いろいろ教えてあげよっか?」
「遠慮しときます」
やや被せ気味に断る紫雲に、「即答かっ!」恵令奈が鋭くツッコミを入れた。
「恵令奈さん。次、何飲みます?」
絶妙なタイミングで、哲太が恵令奈の目の前にメニューを広げた。
「てっちゃん、グッジョブ!」
ついでに美空と紫雲もドリンクを頼むと、美空は化粧室へと向かった。
「美空さん」
席に戻る途中で、美空は紫雲と鉢合わせた。
「あ、紫雲君もトイレ?」
「うん」
心なしか、紫雲の顔に疲れの色が滲んでいる。
「なんか、ごめんね」
謝る美空に、「何が?」紫雲は小首を傾げた。
「だって、恵令奈が……」
「ああ。別に気にしてないよ。ちょっとびっくりしたけど」
「ならいいんだけど……」
「面白いじゃん。あの人」
「そっか。そりゃ良かった」
安心した美空は、「じゃ、先行ってるね」と声を掛けると、紫雲の側をすり抜けた。
「オバサンじゃないから」
「えっ?」
振り返った美空の瞳を、紫雲の真剣な眼差しが捉える。
「美空さんは、オバサンじゃない」
「紫雲……君?」
「それに……」
少しだけ顔を歪ませると、紫雲は苦しそうに言葉を絞り出した。
「母親だなんて……思ってない……」
「え……? それって、どういう……?」
慌てて視線を外した紫雲は、くるりと背を向け、足早にトイレへと姿を消した。
0
お気に入りに追加
27
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
勇者のハーレムパーティを追放された男が『実は別にヒロインが居るから気にしないで生活する』ような物語(仮)
石のやっさん
ファンタジー
主人公のリヒトは勇者パーティを追放されるが
別に気にも留めていなかった。
元から時期が来たら自分から出て行く予定だったし、彼には時期的にやりたい事があったからだ。
リヒトのやりたかった事、それは、元勇者のレイラが奴隷オークションに出されると聞き、それに参加する事だった。
この作品の主人公は転生者ですが、精神的に大人なだけでチートは知識も含んでありません。
勿論ヒロインもチートはありません。
そんな二人がどうやって生きていくか…それがテーマです。
他のライトノベルや漫画じゃ主人公になれない筈の二人が主人公、そんな物語です。
最近、感想欄から『人間臭さ』について書いて下さった方がいました。
確かに自分の原点はそこの様な気がしますので書き始めました。
タイトルが実はしっくりこないので、途中で代えるかも知れません。
幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。
スタジオ.T
青春
幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。
そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。
ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
可愛がってあげたい、強がりなきみを。 ~国民的イケメン俳優に出会った直後から全身全霊で溺愛されてます~
泉南佳那
恋愛
※『甘やかしてあげたい、傷ついたきみを』
のヒーロー、島内亮介の兄の話です!
(亮介も登場します(*^^*))
ただ、内容は独立していますので
この作品のみでもお楽しみいただけます。
******
橋本郁美 コンサルタント 29歳
✖️
榊原宗介 国民的イケメン俳優 29歳
芸能界に興味のなかった郁美の前に
突然現れた、ブレイク俳優の榊原宗介。
宗介は郁美に一目惚れをし、猛アタックを開始。
「絶対、からかわれている」
そう思っていたが郁美だったが、宗介の変わらない態度や飾らない人柄に惹かれていく。
でも、相手は人気絶頂の芸能人。
そう思って、二の足を踏む郁美だったけれど……
******
大人な、
でもピュアなふたりの恋の行方、
どうぞお楽しみください(*^o^*)
【完結】俺のセフレが幼なじみなんですが?
おもち
恋愛
アプリで知り合った女の子。初対面の彼女は予想より断然可愛かった。事前に取り決めていたとおり、2人は恋愛NGの都合の良い関係(セフレ)になる。何回か関係を続け、ある日、彼女の家まで送ると……、その家は、見覚えのある家だった。
『え、ここ、幼馴染の家なんだけど……?』
※他サイトでも投稿しています。2サイト計60万PV作品です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる