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川崎市夜光編
さらば ラバウル
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そう言ってしまうと彼は、〔妙にさっぱりとした気持ちにな〕って、彼女の方も憑き物が落ちたような明るい表情を浮かべ、別れを――Aの口から告げられる日が来ることを自分がどれだけ恐怖していたかを思うと――告げられることによって逆に救われたような気分になるなんてまったく嘘のようだし、いったいどういうことなのだろうと、〔嬉しいやら、戸惑うやら〕で泣き笑い状態がしばらくつづいたが、この反応に驚いたのは彼女自身よりもAの方で、今までにも別れを遠まわしに示唆したことはあっても、これほど直せつな物言いをしたことはなかったから、泣き落としでくるのではと思っていたのだけれど、瞳に宿った暗い翳がすっと消え、この頃では見たこともないような笑みがこぼれるのを具に見て、呆気にとられていた。
ただしかし、その理由(Bの、あるいは単に女心のメカニズム)はわからずとも、絶対このままでは済まされない(世の中こんなに甘いはずはない)と勘が告げていたので、この雰囲気(わけのわからない均衡)が微妙に崩れ去る前に、一刻も早くこの場を切り上げてしまおうと考え、「じゃ、これからも何かあったら遠慮なく連絡してよ」等々、心にもないことを社交辞令として述べ立てて、Bが何か言い出すスキを一切与えず、そそくさと駅で別れたのだったが、彼女は独り車中の人となって、昨日までの押し潰されそうな悲哀感は、拭っても拭っても拭いきれないものとばかり思っていたのに、実は自分自身が後生大事に背負って離さなかったに過ぎないことに気付き、執着という苦しみから抜け出せはしたものの、心にはぽっかりと穴が空いたようで(風通しはいいのだけれども)、何かの名残なのか時折何もないはずの穴の部分が思い出したように疼きだすので、彼女はそれを恋の予感と解釈することにして、とりあえずはどんぶり飯をかきこむべく牛丼屋へ豚ドンブリを食いに直行したのだったが(由美がまたやって来ると、
「ねぇ、ケーコがカラオケ行かないかって」とシナをつくって言う)、一方AはというとBの姿が見えなくなるとすぐさまケータイを取り出して、友達に飲みに行かないかと誘いの電話を入れて(あらぬ方向を見ていた着ぐるみの男は、煙草を人差し指で後ろに向けて弾いて――ねらったものなのか、煙草はきれいな放物線を描いてドラム缶の中に消える――視線をスーツの男に戻すと一言、「啓蟄」と言って大きくのびをしながら欠伸しあいている方の手の甲で涙を拭う)断られるともしかしたら取り返しのつかないことをしてしまったのかもしれないという後悔の念が猛然とわきあがり、別の友達に電話し(渋谷の街を歩いていると、あの頃の自分たちと今にもすれちがうのではないか、としきりに思う。単に時が流れただけじゃないか、と。
そしてそれは、時を経て町並みは変わろうとも思い出は永遠だという素朴な感慨から生じたものではなく、実際に幾度となく街角ですれちがっているにもかかわらず、両者とも気付かないだけなのだ)、また断られると更に焦る気持ちが募りに募ってゆき――むろんそれは、飲む相手が見つからないという焦りではなく――急に胸苦しさを覚えてその場に――マーク・シティの万華鏡を想わせるエントランスの半ばあたりで――しゃがみこみ、Bの親友であるC子に電話するものの(濃紺のスーツの男は、「ケイチツ?」とオウム返しに呟いて、くるっと身をひるがえし着ぐるみ男に向き直ると、いきなり恫喝するように「歯を食いしばれ!」と叫ぶや、往復ビンタを食らわせ、大声で、貴様と俺とは同期の桜と唄い出して、右手の拳を振り上げ、振り下げして拍子をとりながら、行軍するかのように力強い足取りでぐるぐると狭い舞台上を廻りはじめ、それを目で追ってゆくと、ちょうど灌木の向こうに見えるあぜ道を黄色い帽子の 一年生たちが見え隠れしながら通り過ぎてゆく)、彼女は電源を切っているのかすぐに留守録にかわってしまったり、話し中だったりしてなかなかつながらず、やっと本人が出たのは小一時間くらい経ってからで、普通ならば文句のひとつでも言ってやりたいところだろうけれど、それどころじゃないわけで、とにもかくにもC子に間にはいってもらい二人の仲をとりもってもらわなければならないのだから、少しでも心証を害するような言動は謹まなければならない訳なのだが、そこでひとつ心配なのは、長電話の相手がBだったのではないかということであり――出来得ることならばBと話す前にC子と話をしたかった ――Aは、おずおずと口を開いた。
「やあ、…本日はたいへんお日柄もよく……」
「なんだって?」
「いや、あのさ、元気?」
「うん。元気そのものだけど、どうかしたの」
「あ、あのさ、実はBのことなんだけど」
「はいはい。さっき電話あったわよ」
「え、そうなんだ。じゃ、俺のことなんか言ってなかった?」
「べつに、なーんも。あした映画観にいこうって話だけ」
「………」
「ねぇ、どうしたの。おかしいよ」
「じゃあさ、なんか変なとこってなかった?」
「うーん。いつもとかわらないと思うけど…。喧嘩でもしたってわけ?」
「そ、そうなんだ。ちょっとね、若気のいたりってやつですか、ハハハ」
「謝っちゃえば、負けるが勝ちってね」
「そうなんだよね。心に泌みますそのお言葉」
「早いほうがいいよ。いま電話しちゃえば」
「そうだね。ありがとう」
「じゃ、とにかく仲良くやんなよ、バーイ」 ――という訳で、事態はコングラチュレーションってくらいにこんがらがって泥沼と化し
ているのだった。嘘を嘘でさらに上書きしたという…、いったいどこまでが本当なのか。
Bから電話があったというのは、むろん本当だろうけれど、疑いはじめるとそれすら全体の嘘をごまかす為に周到に――真実を嘘のなかに配置するという――用意された巧妙なトリックにちがいないようにも思われBとC子は口裏をあわせているということになるが、そう考える事がいちばん妥当のように思える。C子の話にまったく嘘はないとなるとおかしな事になってしまうからだ。
それは、BがAと別れても一切動揺していないということになってしまい――そうなるとAは、まるっきりの道化であり、男として立つ瀬がない訳で――Aとしては、そうとはどうしても思いたくはないので、C子が嘘をついていてくれたならどれだけいいかと祈るような気持ちでいたけれど、よくよく考えてみると、たとえC子が嘘をついていたとしても安穏としてはいられないことにかわりなくどちらにころんでもAにとって針の筵なのだから、いっそのことB本人に訊けたならばいいのだけれど、それはいちばんまずいだろうし微妙な状態にあるのだからそれこそ腫れ物に触るように扱うべきで、やはりここは、C子に全てを打ち明けて相談に乗ってもらうとしてBとの橋渡しをお願いしたいという気持ちでいっぱいだったけれど、考えてみれば第一回目の代理人との折衝は見事に失敗したわけで……(濃紺のピンストライプの入ったスーツの男は、未だ同期の桜で行軍していたが、彼の廻っている軌道円周上で、着ぐるみの男に最も接近遭遇した地点でふと足を止め唄うのもやめ、手を振るのもやめて――きょとんとしていた着ぐるみ男は、また殴られてはたまらないと思ったのか、ブースカのかぶりものを素早くかぶり、屁っぴり腰でじりじりと後ずさりしているところへ――「啓蟄とはどういう意味なのか、貴様知っているのか」と声をかけた。
「あ、はい。虫なんかが春暖の候になって穴を這い出してくるのをいうみたいですけど」
「フン。馬鹿にしおってからに。そんなことはむろん知っているさ。だがな、もうひとつの意味を知るまい。これはな、軍曹殿からお教えいただいた句なのだが、蛇出でてすぐに女人に会いにけりというのがある。で、これは何かというと、男女がまぐわった後にだな、男の抜き取った竿がはじめて女性という人格を認識するということで、それまでは真っ暗な穴蔵にいたところが、すっぽりと穴から抜け出してみたら、そこに女人がいたという驚きを表わした句だというわけだ」
そのように軍曹殿は教えを垂れられて、これが啓蟄の句であるとおっしゃられたのである。で、わしは訊ねた。
「軍曹殿、その…状況はわかったのでありますが、この句の意味するところは何なのでありますか?」
軍曹殿は、コホンとひとつ咳払いされた後、「つまりだ、人間は目先のことにとらわれると大切なことを忘れてしまう、という言わば教訓だな」
そうおっしゃられて、軍曹殿は、かか大笑いされたのであるがこの快刀乱麻の如き叡智の閃きに、一同大いに感服したものであると言って……)しかし、どうせ今はこんな風に必死になってほころびをつくろおうとしているけれども、よりが戻ればまたぞろどうでもいいと思うに違いないのではないのか、という声が内耳を通して聞こえ(スーツの男はしたり顔でニヤリと笑い、着ぐるみの男も強制されたかのようにひきつった笑みをつり)、それを断ち切るように頭を振って、すがる――溺れるものは藁をもつかむ――ような思いで、ケータイを手に取りBにメールを送ろうかと考えたものの(由美のシナをつくる様を思い出し、この子は他の誰かにもああして――亜麻色の長い髪を片手で束ねて持ち上げ、うなじをそっくり――見せるのかなと思い、ふと何故かノウゼンカズラを思い浮かべたのだけれど、真夏の灼けつくような陽射しにこそ最も似つかわしい燃え上がるようなオレンジの花は、けれどどこかさみしげで、そこに由美を想わせる風情があるのだろうかなどと考え、毛先をいじりながら、ずっと行きたそうにしている由美に、「OK、行くよ」と言うと、子供みたいにはしゃぎ出して「ちょうどいいや、このおニューはいてこうっと」そう言って、ラジオの曲に合わせてパラパラを踊りだし、「ね、いっしょに踊ろうよ」とせがむので、訳の分からないままモンキーダンスよろしく――ヘッド・バンキングしながら体の前に伸ばした両腕を上下させて――踊るとバカ受けしたのだったが、その間にも物語は勝手に進行しつづけ――頭のなかで自己増殖し――てゆき)すべては無意味なことのように思えてくる。C子に間に立ってもらい、よりを戻すことは可能だろうがただそれは、元の鞘に収まるということにすぎず、なんら根本的な解決には至らない だろうことは自明なのだ。
相互に矛盾し対立するふたつの命題が、同じ権利をもって主張される――という、まるで二律背反する存在同士がなぜか、いや、それ故に惹かれあってしまった、そういうことなのだろう。着ぐるみとスーツのふたりは、どちらからともなく抱き合うと互いの背中を叩きながら、感極まったように泣きはじめ、由美が歩きながら待ち合わせの場所をケータイで訊ねると、もう既にカラオケ大会は始まっていて、Aは、送れもしないメールの文面をそれでもあれこれと思案し、ケーコはマイクを握ってはなさず、由美がカラオケボックスのドアを押し開くや、登場人物総出演で一斉に唄いだすのだった。
🎵さぁらばラバウルよ、また来るひぃまぁでぇ~
その光景を眼前にした僕は、不意にというかついに訳もなくブチ切れてしまいそうになり――ブチ切れるのに別段理由などなくただきっかけさえあればいいだけで――そっと、もう少しでブチ切れるところだったと呟いた。
ただしかし、その理由(Bの、あるいは単に女心のメカニズム)はわからずとも、絶対このままでは済まされない(世の中こんなに甘いはずはない)と勘が告げていたので、この雰囲気(わけのわからない均衡)が微妙に崩れ去る前に、一刻も早くこの場を切り上げてしまおうと考え、「じゃ、これからも何かあったら遠慮なく連絡してよ」等々、心にもないことを社交辞令として述べ立てて、Bが何か言い出すスキを一切与えず、そそくさと駅で別れたのだったが、彼女は独り車中の人となって、昨日までの押し潰されそうな悲哀感は、拭っても拭っても拭いきれないものとばかり思っていたのに、実は自分自身が後生大事に背負って離さなかったに過ぎないことに気付き、執着という苦しみから抜け出せはしたものの、心にはぽっかりと穴が空いたようで(風通しはいいのだけれども)、何かの名残なのか時折何もないはずの穴の部分が思い出したように疼きだすので、彼女はそれを恋の予感と解釈することにして、とりあえずはどんぶり飯をかきこむべく牛丼屋へ豚ドンブリを食いに直行したのだったが(由美がまたやって来ると、
「ねぇ、ケーコがカラオケ行かないかって」とシナをつくって言う)、一方AはというとBの姿が見えなくなるとすぐさまケータイを取り出して、友達に飲みに行かないかと誘いの電話を入れて(あらぬ方向を見ていた着ぐるみの男は、煙草を人差し指で後ろに向けて弾いて――ねらったものなのか、煙草はきれいな放物線を描いてドラム缶の中に消える――視線をスーツの男に戻すと一言、「啓蟄」と言って大きくのびをしながら欠伸しあいている方の手の甲で涙を拭う)断られるともしかしたら取り返しのつかないことをしてしまったのかもしれないという後悔の念が猛然とわきあがり、別の友達に電話し(渋谷の街を歩いていると、あの頃の自分たちと今にもすれちがうのではないか、としきりに思う。単に時が流れただけじゃないか、と。
そしてそれは、時を経て町並みは変わろうとも思い出は永遠だという素朴な感慨から生じたものではなく、実際に幾度となく街角ですれちがっているにもかかわらず、両者とも気付かないだけなのだ)、また断られると更に焦る気持ちが募りに募ってゆき――むろんそれは、飲む相手が見つからないという焦りではなく――急に胸苦しさを覚えてその場に――マーク・シティの万華鏡を想わせるエントランスの半ばあたりで――しゃがみこみ、Bの親友であるC子に電話するものの(濃紺のスーツの男は、「ケイチツ?」とオウム返しに呟いて、くるっと身をひるがえし着ぐるみ男に向き直ると、いきなり恫喝するように「歯を食いしばれ!」と叫ぶや、往復ビンタを食らわせ、大声で、貴様と俺とは同期の桜と唄い出して、右手の拳を振り上げ、振り下げして拍子をとりながら、行軍するかのように力強い足取りでぐるぐると狭い舞台上を廻りはじめ、それを目で追ってゆくと、ちょうど灌木の向こうに見えるあぜ道を黄色い帽子の 一年生たちが見え隠れしながら通り過ぎてゆく)、彼女は電源を切っているのかすぐに留守録にかわってしまったり、話し中だったりしてなかなかつながらず、やっと本人が出たのは小一時間くらい経ってからで、普通ならば文句のひとつでも言ってやりたいところだろうけれど、それどころじゃないわけで、とにもかくにもC子に間にはいってもらい二人の仲をとりもってもらわなければならないのだから、少しでも心証を害するような言動は謹まなければならない訳なのだが、そこでひとつ心配なのは、長電話の相手がBだったのではないかということであり――出来得ることならばBと話す前にC子と話をしたかった ――Aは、おずおずと口を開いた。
「やあ、…本日はたいへんお日柄もよく……」
「なんだって?」
「いや、あのさ、元気?」
「うん。元気そのものだけど、どうかしたの」
「あ、あのさ、実はBのことなんだけど」
「はいはい。さっき電話あったわよ」
「え、そうなんだ。じゃ、俺のことなんか言ってなかった?」
「べつに、なーんも。あした映画観にいこうって話だけ」
「………」
「ねぇ、どうしたの。おかしいよ」
「じゃあさ、なんか変なとこってなかった?」
「うーん。いつもとかわらないと思うけど…。喧嘩でもしたってわけ?」
「そ、そうなんだ。ちょっとね、若気のいたりってやつですか、ハハハ」
「謝っちゃえば、負けるが勝ちってね」
「そうなんだよね。心に泌みますそのお言葉」
「早いほうがいいよ。いま電話しちゃえば」
「そうだね。ありがとう」
「じゃ、とにかく仲良くやんなよ、バーイ」 ――という訳で、事態はコングラチュレーションってくらいにこんがらがって泥沼と化し
ているのだった。嘘を嘘でさらに上書きしたという…、いったいどこまでが本当なのか。
Bから電話があったというのは、むろん本当だろうけれど、疑いはじめるとそれすら全体の嘘をごまかす為に周到に――真実を嘘のなかに配置するという――用意された巧妙なトリックにちがいないようにも思われBとC子は口裏をあわせているということになるが、そう考える事がいちばん妥当のように思える。C子の話にまったく嘘はないとなるとおかしな事になってしまうからだ。
それは、BがAと別れても一切動揺していないということになってしまい――そうなるとAは、まるっきりの道化であり、男として立つ瀬がない訳で――Aとしては、そうとはどうしても思いたくはないので、C子が嘘をついていてくれたならどれだけいいかと祈るような気持ちでいたけれど、よくよく考えてみると、たとえC子が嘘をついていたとしても安穏としてはいられないことにかわりなくどちらにころんでもAにとって針の筵なのだから、いっそのことB本人に訊けたならばいいのだけれど、それはいちばんまずいだろうし微妙な状態にあるのだからそれこそ腫れ物に触るように扱うべきで、やはりここは、C子に全てを打ち明けて相談に乗ってもらうとしてBとの橋渡しをお願いしたいという気持ちでいっぱいだったけれど、考えてみれば第一回目の代理人との折衝は見事に失敗したわけで……(濃紺のピンストライプの入ったスーツの男は、未だ同期の桜で行軍していたが、彼の廻っている軌道円周上で、着ぐるみの男に最も接近遭遇した地点でふと足を止め唄うのもやめ、手を振るのもやめて――きょとんとしていた着ぐるみ男は、また殴られてはたまらないと思ったのか、ブースカのかぶりものを素早くかぶり、屁っぴり腰でじりじりと後ずさりしているところへ――「啓蟄とはどういう意味なのか、貴様知っているのか」と声をかけた。
「あ、はい。虫なんかが春暖の候になって穴を這い出してくるのをいうみたいですけど」
「フン。馬鹿にしおってからに。そんなことはむろん知っているさ。だがな、もうひとつの意味を知るまい。これはな、軍曹殿からお教えいただいた句なのだが、蛇出でてすぐに女人に会いにけりというのがある。で、これは何かというと、男女がまぐわった後にだな、男の抜き取った竿がはじめて女性という人格を認識するということで、それまでは真っ暗な穴蔵にいたところが、すっぽりと穴から抜け出してみたら、そこに女人がいたという驚きを表わした句だというわけだ」
そのように軍曹殿は教えを垂れられて、これが啓蟄の句であるとおっしゃられたのである。で、わしは訊ねた。
「軍曹殿、その…状況はわかったのでありますが、この句の意味するところは何なのでありますか?」
軍曹殿は、コホンとひとつ咳払いされた後、「つまりだ、人間は目先のことにとらわれると大切なことを忘れてしまう、という言わば教訓だな」
そうおっしゃられて、軍曹殿は、かか大笑いされたのであるがこの快刀乱麻の如き叡智の閃きに、一同大いに感服したものであると言って……)しかし、どうせ今はこんな風に必死になってほころびをつくろおうとしているけれども、よりが戻ればまたぞろどうでもいいと思うに違いないのではないのか、という声が内耳を通して聞こえ(スーツの男はしたり顔でニヤリと笑い、着ぐるみの男も強制されたかのようにひきつった笑みをつり)、それを断ち切るように頭を振って、すがる――溺れるものは藁をもつかむ――ような思いで、ケータイを手に取りBにメールを送ろうかと考えたものの(由美のシナをつくる様を思い出し、この子は他の誰かにもああして――亜麻色の長い髪を片手で束ねて持ち上げ、うなじをそっくり――見せるのかなと思い、ふと何故かノウゼンカズラを思い浮かべたのだけれど、真夏の灼けつくような陽射しにこそ最も似つかわしい燃え上がるようなオレンジの花は、けれどどこかさみしげで、そこに由美を想わせる風情があるのだろうかなどと考え、毛先をいじりながら、ずっと行きたそうにしている由美に、「OK、行くよ」と言うと、子供みたいにはしゃぎ出して「ちょうどいいや、このおニューはいてこうっと」そう言って、ラジオの曲に合わせてパラパラを踊りだし、「ね、いっしょに踊ろうよ」とせがむので、訳の分からないままモンキーダンスよろしく――ヘッド・バンキングしながら体の前に伸ばした両腕を上下させて――踊るとバカ受けしたのだったが、その間にも物語は勝手に進行しつづけ――頭のなかで自己増殖し――てゆき)すべては無意味なことのように思えてくる。C子に間に立ってもらい、よりを戻すことは可能だろうがただそれは、元の鞘に収まるということにすぎず、なんら根本的な解決には至らない だろうことは自明なのだ。
相互に矛盾し対立するふたつの命題が、同じ権利をもって主張される――という、まるで二律背反する存在同士がなぜか、いや、それ故に惹かれあってしまった、そういうことなのだろう。着ぐるみとスーツのふたりは、どちらからともなく抱き合うと互いの背中を叩きながら、感極まったように泣きはじめ、由美が歩きながら待ち合わせの場所をケータイで訊ねると、もう既にカラオケ大会は始まっていて、Aは、送れもしないメールの文面をそれでもあれこれと思案し、ケーコはマイクを握ってはなさず、由美がカラオケボックスのドアを押し開くや、登場人物総出演で一斉に唄いだすのだった。
🎵さぁらばラバウルよ、また来るひぃまぁでぇ~
その光景を眼前にした僕は、不意にというかついに訳もなくブチ切れてしまいそうになり――ブチ切れるのに別段理由などなくただきっかけさえあればいいだけで――そっと、もう少しでブチ切れるところだったと呟いた。
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