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川崎市夜光編
食虫植物
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気がつくと、電子を剥ぎ取られた裸の原子核が飛びまわっている。無重力状態? 浮遊感。漂いつづけていく。
黎明の内より静々と立ち上がってきたものは、この世でいっとう美しいと、いみじくも誰かが言ってのけた女性性器そのものだった。
それは、エボナイト棒も熊ん子も、節くれだった太い指も何ものも挿入されていない。あるがままのその静かなたたずまい。
いつもじめじめとした暗い場所で日の目を見ない隠花植物のようにひっそりと息衝いている毛だらけの食中植物。
開かれた花びらの向こうにはピンクのやわ襞が覗き見え、直径1メートルのラフレシアのように肉厚な花弁の奥から、とめどなく蜜を垂れ流しつづけている。風が吹いて来た。潮の香りがする。生命の源の海。
「どうしたらいいずらね」
「ふんとうに、どうしたらいいらか」
「何が?」
「え、このミウバシラサカ」
「どうやって始末しっか」
「なんでぇ、ほんなこん心配しちょしねぇ、つまらんこんじゃん」
「だって、ほっとくわけにゃあいかんずら」
「いいさよう、俺んとうの知ったこんじゃねえさ」
「ほうけぇ? ふんだって、こんなもんほったらかしにしといたら、犬ん食って死んだりしんらか」
「死ぎゃあしんさよう」
「そうけぇ。……そうだったらいいけんど、でも、死がんでもね、狂犬病にでもなったらことずらよ」
「なんでぇ、なんで狂犬病になるなんて考えるずらか。不思議なこん言っちょしねぇ」
「なんでずら? ちっとも不思議なこんじゃねえさよう。狂犬病だって、狂牛病だって原因はウィルスって言ってるけんど、じゃあ、なんでそのウィルスが出てくるのか、いっさらわからんじゃんけ。ウィルスはね、うじとおんなじもんさ。便所がきたねえと、その汚物を食うためにうじが湧くだよ。それとおんなじこんで、きたねえ処にウィルスが湧くっちゅうこんさ」
「へぇ、そうけぇ。そういうもんけ」
「ほうだよ。ほれにね、ほのウィルスを殺すために色々と薬を飲んだり、注射を打ったりするら? それんまた問題さぁ。薬が効いてるうちゃあ、まだいいけんどもね、もうちっとしたらぜんぜん効かんくなるずらよ」
「何を言うでぇ。でたらめこくじゃん、このばばあは」
「ふんとに。薬ん効かなくなっても次から次へと新薬が出てくるじゃんけ。知らんのけ、ほんなこん常識ずらぁ」
「ああ、ほうさ、ほうさ。だけんどね、あたしの言いたいこんは、薬が毒だってこんだよ。ただ毒を以って毒を制しているにすぎんだよ。つまり、今の医学はまだまだ幼稚ちゅうこんさ」
「ってぇ!! すごいこと言うじゃんけ。今の医学は幼稚だってよ、聞いたけ?」
「ふんとふんと。よくもまぁ、いけしゃあしゃあとでたらめこくばばあだよぉ、このばばあは」
「何言ってるでぇ。嘘じゃないさ、おまんのいつも撒いてる農薬だってそうずら、撒いても撒いても虫ん湧くじゃんけ。新しい農薬に替えた後はしばらくいいけんど、今度はその新しい農薬を食う虫が出てきて、いつまでもイタチごっこじゃんけ。ちがうのけ?いちばんあんたが知ってるら」
「ほりゃあ、ほうだけんどもよ、ほんなこん今さら言ったってしかたねえずら。消費者は虫のついていんくて、土もついていんニスを塗ったような、ぴかぴかの野菜や果物を求めているずら。だから、そういう市場にただ合わせてるっちゅうこんさ」
「じゃ、なんでぇ、自分さえよけりゃお他人さんはどうでもいいっちゅうこんけ?」
「そうとは言っちゃあいんさ。そうとは言わんけんども、こっちもボランティアじゃねえだからさ、……ね、ちっとは大人になれし、いつまでもほんな青いこんゆってるようじゃ、だめさよお」
と、そこでオレは、彼女の姿が見当たらないことに気付いた。まったくおめでたい人間だ。何か、方言の持つ土着の力強さみたいなものに惹かれ、つい聴き入ってしまったのだ。それは、まるでアーシーなブルースを聴いているようなといったら誉め過ぎだろうか。
とまれ、ブルースは力強い。チョーキング一発でキメてしまう。その一音に己の全存在をかけて、弦を弾く。半音が一切なく、全音が5つ並んだペンタトニック・スケールを用いる装飾性をまったく欠いた、これ以上ないほどにシンプルな表現様式。
これほど力強い音階もないと思うが、その力強さを得るためには、メロディを捨て去らねばならなかった。逆に言えば、甘ったるいメロディなんかいらない、という訳だ。
固よりブルースは哀しみを表現するのだから、いや、絶望を表現するのだから甘いメロディで徒に感傷に耽るなどというものとは、対局的な位置に在るわけで、悠長にメロディなど奏でている余裕なんてまったくないからだ。
ほんとうに絶望している人間は、むろん音楽などやるわけもないが、心理的にも経済的にも抜き差しならない状況の人間は、《悲しくて胸が張り裂けそうだ》と、叫ぶ外ない。
ブルースは、叫び以外のなにものでもないのだ。こんなエピソードをきいたことがある。ある有名なギタリストが、ほんとうのブルースが出来るのは黒人以外にはありえないと知って、人生に絶望したという。
ブルースを人生の至高の目的とする求道者である彼が、『色が白いおまえには、ほんとうのブルースなんか出来るはずもない』などと言われたなら、身も世もなく絶望し慟哭するのも当然だろう。しかし、その慟哭こそがブルースそのものなのだ。
と、彼女のひんやりした手がオレの手のひらの中に滑り込んできた。「何が見えたの?」という言葉は発声される寸前に宇宙の深淵へと吸い込まれ、ふたたび前に向き直ったときには、オレたちはモスのカウンターの前に立っていた。
黎明の内より静々と立ち上がってきたものは、この世でいっとう美しいと、いみじくも誰かが言ってのけた女性性器そのものだった。
それは、エボナイト棒も熊ん子も、節くれだった太い指も何ものも挿入されていない。あるがままのその静かなたたずまい。
いつもじめじめとした暗い場所で日の目を見ない隠花植物のようにひっそりと息衝いている毛だらけの食中植物。
開かれた花びらの向こうにはピンクのやわ襞が覗き見え、直径1メートルのラフレシアのように肉厚な花弁の奥から、とめどなく蜜を垂れ流しつづけている。風が吹いて来た。潮の香りがする。生命の源の海。
「どうしたらいいずらね」
「ふんとうに、どうしたらいいらか」
「何が?」
「え、このミウバシラサカ」
「どうやって始末しっか」
「なんでぇ、ほんなこん心配しちょしねぇ、つまらんこんじゃん」
「だって、ほっとくわけにゃあいかんずら」
「いいさよう、俺んとうの知ったこんじゃねえさ」
「ほうけぇ? ふんだって、こんなもんほったらかしにしといたら、犬ん食って死んだりしんらか」
「死ぎゃあしんさよう」
「そうけぇ。……そうだったらいいけんど、でも、死がんでもね、狂犬病にでもなったらことずらよ」
「なんでぇ、なんで狂犬病になるなんて考えるずらか。不思議なこん言っちょしねぇ」
「なんでずら? ちっとも不思議なこんじゃねえさよう。狂犬病だって、狂牛病だって原因はウィルスって言ってるけんど、じゃあ、なんでそのウィルスが出てくるのか、いっさらわからんじゃんけ。ウィルスはね、うじとおんなじもんさ。便所がきたねえと、その汚物を食うためにうじが湧くだよ。それとおんなじこんで、きたねえ処にウィルスが湧くっちゅうこんさ」
「へぇ、そうけぇ。そういうもんけ」
「ほうだよ。ほれにね、ほのウィルスを殺すために色々と薬を飲んだり、注射を打ったりするら? それんまた問題さぁ。薬が効いてるうちゃあ、まだいいけんどもね、もうちっとしたらぜんぜん効かんくなるずらよ」
「何を言うでぇ。でたらめこくじゃん、このばばあは」
「ふんとに。薬ん効かなくなっても次から次へと新薬が出てくるじゃんけ。知らんのけ、ほんなこん常識ずらぁ」
「ああ、ほうさ、ほうさ。だけんどね、あたしの言いたいこんは、薬が毒だってこんだよ。ただ毒を以って毒を制しているにすぎんだよ。つまり、今の医学はまだまだ幼稚ちゅうこんさ」
「ってぇ!! すごいこと言うじゃんけ。今の医学は幼稚だってよ、聞いたけ?」
「ふんとふんと。よくもまぁ、いけしゃあしゃあとでたらめこくばばあだよぉ、このばばあは」
「何言ってるでぇ。嘘じゃないさ、おまんのいつも撒いてる農薬だってそうずら、撒いても撒いても虫ん湧くじゃんけ。新しい農薬に替えた後はしばらくいいけんど、今度はその新しい農薬を食う虫が出てきて、いつまでもイタチごっこじゃんけ。ちがうのけ?いちばんあんたが知ってるら」
「ほりゃあ、ほうだけんどもよ、ほんなこん今さら言ったってしかたねえずら。消費者は虫のついていんくて、土もついていんニスを塗ったような、ぴかぴかの野菜や果物を求めているずら。だから、そういう市場にただ合わせてるっちゅうこんさ」
「じゃ、なんでぇ、自分さえよけりゃお他人さんはどうでもいいっちゅうこんけ?」
「そうとは言っちゃあいんさ。そうとは言わんけんども、こっちもボランティアじゃねえだからさ、……ね、ちっとは大人になれし、いつまでもほんな青いこんゆってるようじゃ、だめさよお」
と、そこでオレは、彼女の姿が見当たらないことに気付いた。まったくおめでたい人間だ。何か、方言の持つ土着の力強さみたいなものに惹かれ、つい聴き入ってしまったのだ。それは、まるでアーシーなブルースを聴いているようなといったら誉め過ぎだろうか。
とまれ、ブルースは力強い。チョーキング一発でキメてしまう。その一音に己の全存在をかけて、弦を弾く。半音が一切なく、全音が5つ並んだペンタトニック・スケールを用いる装飾性をまったく欠いた、これ以上ないほどにシンプルな表現様式。
これほど力強い音階もないと思うが、その力強さを得るためには、メロディを捨て去らねばならなかった。逆に言えば、甘ったるいメロディなんかいらない、という訳だ。
固よりブルースは哀しみを表現するのだから、いや、絶望を表現するのだから甘いメロディで徒に感傷に耽るなどというものとは、対局的な位置に在るわけで、悠長にメロディなど奏でている余裕なんてまったくないからだ。
ほんとうに絶望している人間は、むろん音楽などやるわけもないが、心理的にも経済的にも抜き差しならない状況の人間は、《悲しくて胸が張り裂けそうだ》と、叫ぶ外ない。
ブルースは、叫び以外のなにものでもないのだ。こんなエピソードをきいたことがある。ある有名なギタリストが、ほんとうのブルースが出来るのは黒人以外にはありえないと知って、人生に絶望したという。
ブルースを人生の至高の目的とする求道者である彼が、『色が白いおまえには、ほんとうのブルースなんか出来るはずもない』などと言われたなら、身も世もなく絶望し慟哭するのも当然だろう。しかし、その慟哭こそがブルースそのものなのだ。
と、彼女のひんやりした手がオレの手のひらの中に滑り込んできた。「何が見えたの?」という言葉は発声される寸前に宇宙の深淵へと吸い込まれ、ふたたび前に向き直ったときには、オレたちはモスのカウンターの前に立っていた。
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