パスティーシュ

トリヤマケイ

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同化

帰り道

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    仕事が終わっての帰り道。

    朝は時間がないのでバスで来るのだけれど、帰り道は最寄りの私鉄の駅までのんびり歩いていくのが、ちょうどいい気分転換になっていた。

   元来、タロウは歩くことが苦ではなく、好きだった。そして歩きながらタロウはいろいろ空想に耽るのだ。


   タロウは、老犬になった自分を想像してみた。

 電柱の陰に自分である赤犬っぽい老犬がいる。パンケーキを投げつけてやる。このうすのろ野郎!   

   見れば老犬のくせして若いこと繋がっていて、バケツの水をぶっかけてやり、その老いに、そのだらしなさに、その淫らさに嘔吐するも、彼女が逃げたあと、しっぽを振りながら、タロウに近寄ってくる彼の骨と筋だけの萎びた腹を憎しみを込めて蹴り上げた。

   その老犬は自分なのだから、蹴り上げるたびに脇腹がえぐられるように痛むのだが、蹴らずにはいられなかった。

   それでも、何度も何度も起き上がり、許しを乞うような目をしてタロウに擦り寄ってくる犬のタロウ。

   自分で想像しながら、なぜまたこんなものを見せられなくてはならないのだろうかとタロウは思い、少し物悲しくなった。

   癒しを求めて何か美しいものを思い浮かべようと思ったら、大倉集古館で見た山根景子さんの野路菊の根洗いが、ふっと浮かびあがった。

   そのあまりにも繊細で素朴ななかにも凛とした佇まいを見せる芯のある美しさに、こころが震え何時間でもその姿を見つめていたいと思ったことを思い出し、凝縮された生の耀きが美へと結実昇華する、それこそが盆栽であるのだと思った。

   タロウは、その場で茫然と虚空に向けて目を瞠るほかなかく、それほど盆栽との出会いは衝撃的であったわけで、匂いと味だけが、つまり嗅覚と味覚だけが海馬に直結していて、その記憶は消えることがないらしいが、五感の残りの視覚、聴覚、触覚の方がより強烈な印象となって記憶されているようにタロウなどには思えるのだが、そうでもないようなのだ。

   また、記憶はしっかりと脳のファイルキャビネットに納められていて、納められたときの姿のまま呼び出しを待っているというのは間違いのようで、記憶とは最後に思い出したときのものが、いつでも最新であり、思い出すたびに記憶は、性格さを欠いてゆくのであり、さらには、さっきの老犬と根洗い盆栽への感慨も、脳が捏造したものであって、実際には思い出すたびに少しずつ修正を加えられ、意味内容が逆転してしまったとも考えられ得るのだった。
 
   そういえば、きょうは、朝から騒々しかった。いろんなやつが勝手にベシャリまくってると最初は思っていたが、どうやらひとりらしい。

   いつからなのか覚えてはいないが、今までそんなことはなかったのに、左肩が急に重くなった感じがし、背中が痛んだ。

   たぶん、声が聞こえてきた頃と時期がシンクロしているのではないかと思っている。

   その声を遮断することは出来ないのかなと考えたこともあったけれど、遮断したきり一切聞こえなくなってしまうのが怖いというのはあった。

   誰かが話しかけてくれたり、或いはただの独り言であっても、声が内耳を通して? 聞こえてくると孤独は感じないからだ。

   タロウは、音楽がなんか聴きたくなって、というか、いつでもタロウの部屋では何らかの音が鳴っていた。

    鳴っていたといっても、バキバキ、パキパキといったラップ音なんかじゃない。

   ちなみに、信じてもらえないと思うけれど、タロウは霊が出現する時のラップ音を聞いたことがあるし、雨の中空を飛翔するドラゴンの咆哮も聞いたことがある。ドラゴンのそれは、なんというか重々しい金属的な響きだった。

   気分的に、落ち着いた雰囲気がほしかったので、キース・ジャレットの『ケルン・コンサート』をセレクトした。

   すると、いままで軽いカオス状態だった脳内が霧が晴れていくように、すっきりとして、やがてある人物のしっとりと落ち着いた声音だけがくっきりと聞こえてきた。





   実体化することを許すと言葉で言ってくれないか?

   それで、姿が見えるようになる。そして、それはつまり、足がない幽霊なんかじゃないよ?

   触ろうとしたら、指が向こうに突き抜けてしまうこともない。

   つまり、それは即ちキスできるってことね、わかる?   それにもっとすごいことにキミ以外にはまったく見えない、不可視なんだよね、アッハッハ。

  そう笑ってコホンとひとつ咳をすると、真剣な様子で続けた。

   だから、一言『実体化を許す』それだけ言ってほしい。

   信じられない。いったいコイツは何を言ってるんだろう。冗談にしてもほどがある。寝言は寝てから言ってくれ。

   いや、しかし確か以前にもこの声を聞いたことがあるような朧げな記憶がある。まったく知らない男が夢の中に出てきた。

   そして、タロウは物は試しだと恐る恐る、とは言っても魔法や念力、或いは役行者みたいな呪術を使えるわけでもないのだから、夢の中の人物がアニメみたいに実体化するわけもないので、軽いノリでやってみた。

「実体化を許す」

   つまらなそうに、ボソボソそう呟くように言ってもう興味を失い、次に何を聴こうかと考えていた。

   そして、乃木坂あたりにしようかなと思っていると、人の気配に振り返った。

   あ!  とタロウは声を出して驚いた。誰もいるはずもない一人暮らしのこの部屋に、いつ忍び込んできたんだろう。

    確かな記憶がないがこの顔を自分は知っているという変な自信があった。

「ナルミだよ、よろしく」

   彼はそう言って手を差し出した。

   タロウも手を差し出しがっちりと握手した。その彼の手はタロウの女の子みたいな掌ではなく、大きく分厚かった。

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