パスティーシュ

トリヤマケイ

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リアルからの離脱

パスティーシュ

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◇ ナルミが実はタロウの想像によって創造されたものであるようなのだから、そのような体験が日記に書かれているはずもないと思うかもしれないが、そんなこともないのだった。これすらも、ナルミのあの光景に恐怖する理由づけとしてナルミの恐怖体験の記憶の引継ぎではないのかとする、タロウの考えが見事にここでも反映しているというわけなのだ。

◇ここにおいて、タロウがその大枠を考えたのであって、内容までも創造したわけではなかったにもかかわらず、物語すらも作られていたのである。

   しかし、ではこのプチ物語というか、エピソードはいったい誰が考えたのかというと、物語自身が物語を創作した。そんな風にタロウは思わないでもないのだった。

◇ 主なる人格がタロウであるのか、従たる人格がナルミであるのか、あるいは、まったくその逆であるのか、まったくわからない。というか、タロウからしてみれば、ナルミは、別の誰かである交代人格であるし、ナルミの方から見れば、タロウこそが、交代人格であるのであろうからだ。 

◇タロウの書いた日記とナルミの書いたものをすりかえる。

◇小説のタイトルは、パスティーシュがいいかもしれない。タロウの書いたものからの転化や、盗用など多数なので、パスティーシュが適切かもしれないので。
 そして、タロウは、次の文章を読んで驚愕した。

◇ナルミが、タロウの過去の記憶を精査して、タロウの記憶を共有したのではなく、実のところ、ナルミの願望がタロウを生み出したのだから、タロウの記憶は、ナルミの記憶のコピーにすぎない。
これには、タロウも驚いた。ナルミの願望がタロウを生み出した? 反対ではないのか? じゃあ、俺はナルミの幻想なのだろうか? 

 そして、小説というフォルダをクリックすると、その小説の本文が載っていた。



『パスティーシュ』

 花弁が埃をかぶった、うすぎたないスリッパみたくなってしまった棘だらけの一輪の深紅の薔薇と、ちらちらとあえかに明滅するローソクを手に、女装したナルミは、そろそろと螺旋を描きながら青い闇のなかを這いずりまわるようして東横線のプラットホームを彷徨い歩き、やがて神秘の森に黒々と横たわる湖水のような女性専用車へと入っていく。
 音のない世界。水底には、ズタボロの巨大な女性器がひとつ。

 奇妙なオブジェが立ち並ぶ薄暗い湖底の夥しい数のオブジェたちを縫うようにして、そぞろ歩いてゆくナルミを押し進めているのは、漠然とした恐怖だ。

 いつまでも追いかけてくる恐怖から逃れるため、どんどんオブジェの樹海へと迷い込んでいく。行けば行くほどオブジェの森に入り込むばかりで、抜け出ようとすればするほど、水底の森の奥深くに彷徨い込んでいく。

 ゆらゆらゆるゆると蠢いているオブジェたちは、たぶん何かをデフォルメしてつくられているであろうことはわかるのだけれど、それがなんであるのかがどうしても思い出せない。それは、たぶん太古から脈々と受け継がれてきた何かを象ったものなのだ。

   そして、にわかにあたりに靄が立ち込めはじめるや、ステータスを見るときのようなウインドウが現われると、その画面に、アンドロメダ銀河がゆっくりと回転しながら、近付いたり遠退いたりしているスクリーン・セイバのような映像がゆったりと流れはじめ、やがてそれはケンタウルス座のオメガ星団から、ペルセウス座の二重星団へ、そしておうし座のスバルへと陽炎のように虚ろに移ろってゆき、次いで暗転すると今度はじわじわと滲むように、少年だろうか、その端正な横顔の静止画像が浮かび上がってくるや、カチリというクリック音と共に画像が動きはじめる。

 ゆらゆらと揺れる花陰の向こうに男が独り、うつむき加減にたたずんでいる。濃紺のスーツを着ている彼の後方には、ぼろぼろに腐蝕したドラム缶(を半分に横から切断したもの)があり、雨水が溜まっているのだろう、その上で気忙しげに蚊柱が震えている。

   戸板の隙間や節穴から洩れさす光の紗幕のなかで、埃の粒子たちはダイアモンドの輝きにも似て、きらめきながらうねるように対流している。

   少年はその節穴のひとつから、外を飽かずに覗き見ているのだが、男は相も変わらずうつむき加減のままひっそりとたたずんでいた。

   動きのあるものといえば、蚊柱ぐらいなものだが、少年はこれから起こるであろうことを心待ちにするかのように、まんじりともせずに節穴を覗き込んでいて、やがてお約束のようにドラマがはじまるのか、と思った刹那、上手からドラム缶をよけてブースカの着ぐるみを着た人物が登場して来た。

   すると、件の男はおもむろに右の掌を手鏡を覗くように顔の前に掲げると、指折りながら、なにやら数えはじめる。

   ブースカの着ぐるみの人物は、音もなくその彼の背後に忍び寄り、そっと肩に手を置く――と、彼は飛び上がるほど驚いた。

   そのあまりにも不自然な演技に赤面しかけたが、実のところそれが狙いなのかもしれず、となると、当然そこにあざとさが要求されるわけであって、そのあざとさが一服の清涼剤とは全く逆の豚の背脂のようなギトギトしたリビドーを放っていて、調和と不調和あっての大調和とすれば、それはそれでたいへん結構なことに違いなかった。

   ただ、ゆっくりとそれこそ五分ほどかけて後ろを振り返るものだから殆ど動いていないように思われ、カット割りはせずにワンシーン、ワンカットの長回しを用いているため、どうしたって視野に入ってくるのだが、信じがたい超微速度で動いていることがわかると、それからは息の詰まるような思いで、その彼の気の遠くなるような忍耐力と集中力を慮って食い入るようにディスプレイを見つづけ、首のひねりがいよいよ限界に達すると、次いで腰を軸に上半身の回転がはじまった。

   しかし、ついにすべての動きが終了したときには、着ぐるみの人物は、既にブースカの被りものをとってうまそうに紫煙をくゆらせながら、あらぬ方向を見つめているのだった。

  やがて、中空に浮かぶウインドウはインクが滲むようにして消え、ロケーションが変わると、ナルミは洞窟のなかを歩いていた。

   ふと上を見上げて驚いた。コウモリが洞窟の天井にびっしりと張り付いていた。啼きもせず微動だにしないコウモリたちは、上を見上げなければ気付くこともなかったかもしれない。

  それほど洞窟に同化しきっていた。やがて洞窟は大きくカーブを描いて右に曲がっていき、曲がり切るとすぐに三つに分岐しているところに出た。

 ふたつに道が分かれているのならば、躊躇なくナルミは左側の道を選ぶと思う。癖みたいなものだ。だが、三叉路となるとわけがわからない。

   どの道を選んでいいのか見当もつかない。もしかしたら、それから小一時間ほどもあれこれ考えあぐねていたかもしれない。あるいは、三分程度だったかもしれない。完璧にパニクっていた。

 とてつもなく怖いことが待っていると第六感が告げていた。いくら考えても答えなど出るわけもない。ナルミは、いち、にい、と数を数えながら目を瞑ってその場で回転しはじめる。目がまわって倒れこんだ道が進むべき道だ。

 やがてトランス状態のような浮遊感を伴った眩暈を感じたとたん、いきなりナルミは猛烈な勢いで堕ちはじめていた。三つのうちのどの道なのかわからないけれども、選んだ道の暗がりの向こうは、底なしの穴だった。

 この圧倒的な喪失感はいったいなんのだろう。落下しながら何物かに激突する恐怖よりも、すべてが失われてしまった空っぽな心に気が狂うほど戦慄し、ナルミは間断なく絶叫しつづける。吐き気がするほどのこの恐怖をどうしたら断ち切ることができるだろうか。




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