言葉よりも口づけで

結城鹿島

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2・愛にむせる花

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「お礼は後日改めてします。ご迷惑をおかけしました」
「いいってことよ。オレァ雪草でがっぽり儲けさせてもらってるからな。気にするこたぁねえ」

日頃、事務的な会話しかしてこなかったのに、そんな風に気づかってもらい、ソフィヤは恐縮した。
倒れた後の体にも障りにならない臭いだったのは、昔からの知り合いだったからだ。本人の思う以上にソフィヤは助けられた。

「本当にありがとうございました」
「おう、じゃあなぁ」

丘の上でゼレンキンと別れ、オレークと二人きり残される。何か言わなくちゃ、と焦るソフィヤの先にオレークは丘を下りていく。

「あ、あの」
「雪草の中の方がいいでしょう? お話をするのに」

(ああ、全部知られてしまったんだわ……)

丁度、丘と家の中間地点まで進んだところで、ソフィヤは声を絞り出した。
「オレークさんにもご迷惑をおかけして……すみませんでした」

オレークが立ち止まり、振り返る。苦い笑いを浮かべて。
「いいえ。謝らなけれなならないのは自分の方です。鼻がとんでもなく利く異能だったんですね、ソフィヤ殿は。ひょっとしてと思い、心霊探求院の記録を調べさせていただきました」
「……幼い頃は、ただ気難しい子供だと思われていてんです……。でも、どんどん悪化して……両親が街の医師に相談したところ、紹介状を渡されました。異能かもしれないから、王都の心霊探求院で調べるようにと」

大量の雪草と共に運ばれ、王都へ向かった。今なら堪えられる気がしないが、昔は今より異能も弱かったからどうにか王都へ辿り着くことができた。
異能を研究している国の機関――心霊探求院で、鋭すぎる嗅覚は異能だと言われ、ホッとして――それから落胆した。治るようなことではないのだと判って。

「雪草が臭いを遮断してくれることは、代々雪草を育てている我が家では知れたことでした。雪草があれば、どうにか暮らせるんです、けど……無いと、駄目なんです……」
我を失ってしまう。

オレークが頭を下げた。
「王都で貴女の記録を調べるとともに、この土地の事を上の方に頼んできました。雪草は大変価値のあるものですし、畑をこのままにしておくことも、ソフィヤ殿がここに暮らし続けることも許可は降りると思います。多少面倒な話し合いをしてもらうことになるかもしれませんが……。ソフィヤ殿が不利益を被るようなことには自分がさせません」

ソフィヤは安堵の息を吐いた。ずっと緊張していた体から力が抜ける。

「良かった……。ありがとうございます」
「それと、もう一つ謝らせて下さい」

言って、オレークは地に膝をつけると一層深く頭を下げた。
「えっ、オ、オレークさんっ!?」
「自分がしたことは謝って済むことじゃありませんが――誠に申し訳ありませんでした。その異能では、さぞ不快だったことでしょう。気が済むまで殴ってくれて構いません」
先日のことを言われていると察して、顔が熱くなる。

「や、止めてください、ぶったりなんてしませんからっ」
「でも自分は耐えがたい悪臭だったのでしょう? ソフィヤ殿が嫌がって自分の手を払ったのも、そのせいだったのでは」
「ち、ちがいます。あれは、あの日……オレークさんから…その、においがしたから……」
「なんの臭いがしましたか?」
「その――あの日、情事をしてから来たのではないのですか? 男性の放つ精のにおいが……」

貴方からしたのだ、とは続けられずにソフィヤは口ごもる。

「ま、待ってください自分はそんなことは――」

オレークは狼狽して汗をかいている。見たことないくらい、慌てて、――なんだかちょっと可愛い。

「――あ、いや? ええと、あ……?」

オレークが額を押さえて動きを止めた。ぎこちない動きでソフィヤを見上げてくる。

「あの、その、ですね……些かの心当たりがなくもないのですが……相手の臭いはしなかったでしょう……?」

あまり覚えてない。その後の出来事で上書きされてしまって、思い出せない。ソフィヤは素直に答えた。
「……わかりません。一つのにおいに捕らわれると、よくわからなくなってしまうんです……」

「相手の臭いはしなかった筈です。いませんから。……自分で自分を慰めていただけです。――貴女のところに来る前に発散させておかないと、自分が抑えきれないと思って」
気まずそうにオレークは告白した。

(それって……)
ソフィヤは耳にした言葉の意味を必死に考えた。オレークは自分を欲していたと、そう言っているように聞こえる。自惚れでなければ。
オレークは情けない顔でがっくりと肩を落とし、更に深く頭を下げた。

「そんな臭いがしたから……ソフィヤ殿を不快にさせてしまったんですね。手は洗ったんですが……異能では……。大変申し訳ありませんでした」
「あの、顔を上げてください、もういいですから、不快だったわけじゃないんです……そうじゃ、なくて……」

しどろもどろになりながら、ソフィヤは言葉を探した。
「あの時はちゃんとわからなかったんですけど……、今から思えば……あの、きっと……」

ふっとオレークが下げていた顔を戻した。ひたりと真摯な瞳を向けられて、思わず逃げたくなる。雪草の畑の中でなかったなら、ここまで正気を保っていられなかっただろう。
(一大決心をして街にいったのは、なんのためなの、しっかりしなきゃ)
ソフィヤは内心で己を叱りつけ、オレークを見据えた。

「その……、多分、不快だったからじゃなくて――オレークさんが、誰かとそんなことするんだと思って……。……私……きっと嫉妬したんです……」

あの日は臭いに捕らわれてしまったから、自分の気持ちが理解できなかったけれど、今なら素直に認められる。
オレークが自分を求めていると聞かされて、どうしようもなく喜んでしまっているのだから。――認めるしかない。

「それは、ソフィヤ殿が自分と同じように想って頂けてるのだと、舞い上がってもいいでしょうか?」
「そ、れは……オレークさんが私をどう思っているか、聞いてからでないと……答えられません」
「そうですね。自分はソフィヤ殿の事が好きです。――貴女が欲しい」

あまりにストレートな物言いに、ソフィヤは頷くだけで精一杯だ。

「……ところで男の精の臭いがわかるというのは、経験が?」
「ち、違います、父と母が……その、そういうことをしていたのが記憶にあって……」

ソフィヤは慌てて首を横に振った。男性経験どころか、他人とまともに触れ合ったことなどない。

「なんとも……異能というのは辛いものですねえ」
気づかわしげな顔をのオレークが立ちあがり、ゆっくりと近づいて来る。手の届く距離で止まり、
「貴女に触れてもいいですか?」
と、尋ねてきた。

「大丈夫かどうかは、触って試してみてください……」

恥ずかしいことを言っている自覚はある。好きな男性に触れられるなんて事があるとは、今まで考えたこともなかった。だから、大丈夫かどうかは全然わからない。胸だけで達してしまったことを思うと、不安はある。
でも、オレークに触れたいし、触れて欲しかった。

「では、このままベッドへお連れします」
そう言うとオレークはソフィヤを軽々抱き上げた。
「!」

(オレークさんの匂いがこんな間近に……)
ソフィヤはオレークの腕の中で身を固くした。触れられた箇所からもオレークの匂いが際立つ。自分の体からオレークの存在が漂って、必死に理性を保たなければ頭の中はそれで一杯になってしまう。

「ああ、そうだ。もう一つ謝らなければいけないことがあります」
ソフィヤを抱え、雪草の畑の中を進みながら、オレークが言った。
「王都から戻って、直接ここへ来たんですが、鍵がかかっていたので壊してしまいました。ソフィヤ殿になにかあったのかと思って。いや、……勝手にお邪魔してしまったことも謝らなければならないので、『もう一つ』ではないですね。すみません。女性の寝室に勝手に入って。でも、あれで雪草の効能にも気づきました」
「じゃあ、謝らなくていいです。助かったので……」
オレークが雪草を持ってきてくれなければ、街から帰ってくるのにも、もっと苦労したはずだ。
「……わたしのほうこそ、言わなくちゃいけないことがありました。探しにきて下さって、本当にありがとうございました」
「いいえ。ところで、街になにをしに行ったか聞いてもよろしいですか?」

玄関前まで来たところで、オレークに問われ、ソフィヤはぼうっとした頭で答えた。

「オレークさんに会いたかったから……」

媚態を含んだような声になってしまっている、と頭の片隅で思うが、理性はほとんど働いていない。
オレークの匂いに記憶が揺さぶられ、淫らな感覚が呼びおこされているから、早く刺激が欲しくて仕方ない。

「もう少し待ってくださいね」

額に口づけを落とされ、ソフィヤは震えた。
もう自分の脚の付け根から、酷く淫らな匂いが漂ってきている。

                 ◇

狭いベッドに下ろされ、ソフィヤは覚束ない手で服を脱いでいく。
オレークは隣の部屋に灯りを取りにいっている。
「ああ、ありました」と、隣の部屋から声がするより先に、ソフィヤはオレークがランプを見つけたことを異能で把握した。
窓の無いこの寝室は暗い。オレークが灯りを欲しがったので、場所を教えて用意してもらった。
ソフィヤはもうベッドから降りる気力がない。

「油臭いかもしれませんが、貴女の様子を確認したいので今日は我慢してください」
こくりとソフィヤは頷いた。
「ソフィヤ殿、大丈夫ですか?」
「……大丈夫とは断言できません。多分、訳がわからなくなると思います……おかしくなっても嫌いにならないでくれますか……?」

もうすっかり体は熱くなってしまっている。くらくらして、既に酔っ払っているような感覚だ。そうでなければ、先に裸になってオレークを待つなんて恥ずかしくてできない。
ぼうっと裸で待つソフィヤの前で、オレークも一糸まとわぬ姿になる。
鍛えられた体から立ちのぼる雄の匂いに、「はぁ」とソフィヤは切ない息を吐いた。完全に彼に欲情している。
「そう、そうして、力を抜いていて下さいね」
優しく頬を撫でられ、唇が重ねられた。そっと押し付けるだけのような口づけなのに、濃厚な匂いに頭が朦朧とする。

「……ん、はぁ……」
「どうですか? 大丈夫そうですか?」

優しい声。だから、本当のことを言ってもきっと平気。

「……唇が離れても、匂いのせいで、ずっと口づけられているみたいに感じるんです……」
「それは――羨ましい。自分もずっと貴女を感じていたいものです」
「そんな、ん……んん――っ」

もう一度、今度は口の隅々まで蹂躙されるようなキスだった。舌を絡ませあい、唾液を交換し合う。口の中からオレークの匂いがしてくるなんて、まともでいられない。
「はぁ……」
体を起こしていられなくて、ソフィヤはベッドに倒れこんだ。まるで誘う様な姿勢になってしまっているが、そこまで頭は回らない。
うっとりとオレークに見下ろされ、くすぐったい気分になった。異能のせいで、視覚まで敏感になっているのかもしれない。感覚の全てが強まっている。

「ちょっと触りますよ」
つう、と、へそを触られて、
「ひぅ」
ソフィヤは甲高い声を上げた。

「異能とはいえ、触るだけでもそんなに匂いが移りますか?」
「……オレークさんの匂いが自分に移って……まるで、ずっ触れられているような変な気分になるんです……」

こうして素肌で触れあう感覚の苦しさは、きっとソフィヤにしかわからない。
肌の上にオレークの指が触れるだけでオレークの匂いが移り、重なっていく。

「貴方が触れた部分が、指が離れても、どこだか……わかるんです。ずっと、熱くて――」
「じゃあ、全部、漫勉なく触りますから浸って下さい」
「――そんな」

右腕を持ち上げられ、指の一本ずつに口づけられる。手首から腕まで舌を這わせられ、時おり強く吸いつかれた。左腕もおなじようにされ、ぜえぜえとソフィヤは喘いだ。
「今日は胸はあまり触らないでおきます」
そうは言いながらもオレークはソフィヤの胸をやわやわと揉み、硬くなった頂きをぺろりと舐めた。
「ンんっ!」
手加減されているのに、ソフィヤはすっかり翻弄されてしまっている。
オレークの手は腰を這い、内股をなで、膝裏を持ち上げソフィヤの脚を開いた。
「……は、っあ……」
脚のあちこちにもキスを落とされ、いやいやと首を振った。脚の間にまでそうされそうだけど、そんなことされたら、おかしくなってしまう。

「さすがにこう敏感では辛すぎるでしょうから、そこに口づけるのは今度にします」
オレークがくすりと笑う。ソフィヤがほっとして力を抜くと、くるりと裏返された。
「!」
そして、今度は背中にキスを落とし、そのまま腰から下まで同じようにソフィヤに印を刻んだ。
ソフィヤにしか解らない匂いの印を。
「……あ、……はぁ……っ」
宣言通り、本当に全身満遍なく触れられ、ソフィヤの体でオレークの匂いがしない箇所がない。あちこちから香るオレークの存在が、まるで媚薬のようにソフィヤを蕩けさせていく。
強く刺激されている訳ではないのに、身体の奥から湧き上がる快感が子宮を疼かせる。

「っ……はあっ、……っぅ……」
「辛いですか」

俯せの背にかけられた声に、ソフィヤは慌てて身をよじる。苦し気な顔のオレークの頬に手を伸ばす。

「平気、です、から……」

止めたりしないでほしい。

「……ソフィヤ殿」
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