瞳の石と魔女の物語

結城鹿島

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4章 器の瞳の魔女

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王は若者を無残に処断してから、反対者に厳しい処置をとるようになった。
そうしても、何も変わらないと分かったからなのか。淡々と魔女に処刑を命じていく。
積まれた死体は山の如く。人々は王を憎んだ。
しかし、どれほど怨嗟の声が上がろうとも、王の治世は揺るがない。
国の安定は王が言葉にする前の望みだったから。
王が政治から興味を失っても、国は淀みなく動いていく。

                 ◇

それはある蒸し暑い夜のことだった。
昼から酒を飲んでいた王が、魔女の方を見ることなく言った。

「いい女を出してくれ」
「……はい王様」

魔女は嫌だと思ったのに、力が働いたのが分かった。なぜなら、全ての望みを叶えるという願いが前提にある。魔女自身にも抗うことなどできない。
魔女が僅かに逡巡する間に、王の目の前に細工のように美しい女が現れた。どこからか運んだのか、それともゼロから作ったのか、魔女にもわからない。
感情はあるらしく、女の顔には困惑が浮かんでいる。辺りを見回し、魔女に気づいて目を見開くその様子も愛らしい。寝台へと手を引かれても、女は悲鳴を上げたり暴れたりはしなかった。それも当然だ。王を拒むわけなどない。王の望んだ女が現れたのだから。

王と女が寝台に入るのを、同じ部屋の中で魔女は見ていた。目の前の王よりも魔女を気にする女と、視線が何度も交差する。
王はそんな女も魔女も気にしている様子はない。もっとも随分前から、魔女を影のようにしか扱っていない。影ならば常に側にあるのは当たり前のこと――存在を意識すらしていない。
女の身体から衣服が剥ぎ取られていく。
王が女の白い首すじに口づけるのを魔女は見ていた。

「は」

魔女が声を出すと、女は引きつった顔を魔女に向けた。
王の手は止まらない。

「あ、はは」

絞り出すように笑い声を立てても、王の耳には届いていないようだった。影の笑い声など存在するとは思っていないのかもしれない。女が怯えているから、声は出ているはずなのに。
いや、あの女の方がおかしいのかもしれない。
魔女は疑った。本当に自分はここに存在しているのかどうか。

「は、ははっ、は、あははははははははははははははははは!」

王が女を抱くのを魔女はずっと見ていた。
今や魔女の身体は全てが影のように染まっていた。
手も足も、髪も眼も、開いた口の中さえ、黒かった。泣いていようと判別などできないだろう。闇よりもなお黒々と、そこに存在している。まさに影そのものとして。

影の魔女は、霧の魔女の事を少しだけ思い出した。
その人生がどんなものだったのか、少しだけわかったような気がした。

                 ◇

それからも魔女は王の望みを全て叶えた。叶え続けた。
反発する望みでさえ叶えた。寿命を越えたいという願いですら叶えた。
全ての願いを叶えるという魔女の力は、働き続けていた。
魔女はますます恐れられ、誰とも一切の言葉を交わすことが無い。

「もう、やめてしまおうか――」

百官諸侯の並ぶ前で、王位を降りてくれという嘆願を勇敢な男が読み上げた事に対する王の答えは、くたびれた溜息だった。

「なぜ、俺の苦労をわかってくれないんだろうな、誰も」

酷く面倒くさそうに、誰に言うでもなく呟いた。

「確かに、国は栄えた。でも、何一つあなたの力ではない――!!」
勇敢な男はまっすぐに言葉を投げる。

そんなことはない。確かに抱いた望みは王自身のものだった筈だ。王の傍らに控える魔女は反駁しようとした。
だが王の言葉に遮られる。

「そうか、では全て元通りに――いや、全て消してやろうか?」

なんの感慨もこめずにその一言を王は口にした。
その瞬間、広間から全ての音が消えた。まつりごとを担う百官諸侯が固唾を飲んで、一点を見つめている。黒い滲みのような影の魔女を。
まだ大丈夫なはず。まだ、望みとはいえないはず、こんなことで国が滅んで堪るかと、皆が祈るような思いでいるのがわかった。
そうした視線を一身にあつめて、魔女は自分が何を思っているのか把握できなかなかった。
既に自分など、とうの昔に失っていたから。
それでも、どこかがざわつく。
もはや死んだと思った魔女でなかった時のメラナが、心の底で問いかけを放つ。

――わたしのしてきたことは無意味だったと?
――わたしはもう必要ないってこと?
蝶の羽ばたきのような重さで、魔女の脳裏に一つの考えが浮かんだ。

――王を殺してしまおうか、と。

魔女は願いを叶えるだけだ。叶えてきたのは王の望みだ。道を間違ったというのならば、願った王が間違えたのだ。王が居なくなれば間違いも消えるだろう。
魔女は王の死を願った。
けれど、王は気だるげに臣下を睥睨したままだった。その心臓は変わらずに動いている。
確かに願った筈なのに。王が死なない。

そうだ――忘れていた。魔女は自分の望みは叶えられない。魔女の力を欲して、それが叶えられた時点で、魔女になったものの望みは既に叶えられているから――。

女を作り出すことができても、たった一人とて殺せない。
例えばそれが――
誰かが、魔女の死を願ってくれなければ魔女は死ぬことすらできない。
なんて、役に立たない力だろう。
代償に人生全てを差し出したのに、心から願う事こそ叶えることができないなんて。
魔女は思わずこみあがる笑いを噛み殺した。
誰かが王を殺してくれないなら、永遠に望みを叶え続けなければいけないのか。
霧の魔女が最期になぜ喜んだのかが、漸く心底理解できた。

その時、空気さえ凍りついてしまったかのような広間を、黒い線が切り裂いた。
どこから現れたものか、まっすぐな軌跡を描いて一羽の鴉が広間の中央に降り立つ。
鴉は美しい声で朗々と宣言した。

「王よ、やはり貴方は間違っていた。魔女、僕の望みを今こそ叶えてもらおう――」
その場には、覚えている者はいなかったが、それはかつて王に諫言して処断された若者の声だった。
魔女はどんな相手でも代償を差し出すなら、願いを叶える奇跡の存在だ。
鴉に尋ねる。

「――お前の望みは?」

魔女に怯え、他の人間は望むことをしてこなかった。だれであれ、望みを抱くものがいるなら魔女はこれまでだってきっと叶えてきたのに。王は「王以外の望みを叶えるな」とは口にしなかった。獣だろうと、資格はある。
鴉の声は広間の隅々にまで響いた。

「王を殺してくれ」

魔女は黙って頷く。
それだけ、それだけだった。確かめるまでもなく、すでに傍らの王は事切れていた。
なんてあっけない。
魔女は、口元を歪めた。だれにもそうは見えなかったが。
鴉が何度か羽を震わせ、高い声で啼いた。他には誰も動くものはない。みな言葉を失い虚脱している。
「虚しいな。これまでの日々はなんだったのか……」
烏が苦笑して一人ごちた。

なぜ鴉の願いを叶えることができたのか。
魔女は記憶を辿った。
王の死を願った鴉の身体は、かつて魔女が戯れに助けた鴉だ。それが、なぜ――。
ああ、そうだ。死にかけの子鴉の願いをではなく、先に母鴉の願いを叶えたのだった。子供を死なせたくない母鴉の願いで、子鴉が死ぬことのないように時を止めておいた。何かに使えるだろうと思って。そして、若者が死にたくないと願った時、若者の魂で子鴉を繕うことで子鴉の願いを叶えたのだ。鴉の身体に若者の魂を移すことで結果的に鴉だけでなく、若者も助かった。
王が望んだのは若者を消すこと。その願いにも反することは無い。
「死にたくない」という若者の願いは、彼と関わりなく叶った。だから、まだ若者には資格がある。
それにしても、あの日なぜそんな気まぐれを起したのだろうか。
魔女は、その理由までは思い出せなかった。
「代償には何を差し出せばいい?」
鴉の声で思考が切れる。
「――ああ、それはいい。とっくに貰っているさ」
そう、そうだった。魔女は思い出した。あの日は随分おかしなことをしたものだ。

鴉は不思議そうに首を傾げたが、続けてさらに願った。
「そうか、ではもう一つ願いたい。王の望みで叶った全てを元に戻してほしい。出来る限りでいいから」
二つ目の望みを魔女に願うなんて、滅多にする人間はいない。というより、差し出すものがないから出来ない。鴉が口にしたのは、命をいくつか差し出しても天秤が釣り合うかどうかわからないほど大きな望みのように思える。
けれど、確かに何を差し出しても構わないという強い思いに根差した願いだ。ならば、魔女の力は自動的にそれを叶えようとする。
魔女は力を捻じ曲げながら、軽く答えた。

「そうさね、じゃあ――アンタにはアタシの小間使いになって貰おうかね。アタシの気がすむまで」
「わかった契約だな」

鴉が頷くと、湧き上がる影に包まれその姿が消える。
魔女は鴉の消えた広間をゆっくり見回した。
そしてそれから魔女も煙のように姿を消した。

そこには、何かを差し出してでも願いを叶えて欲しいと望む人間はいなかったから。


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