瞳の石と魔女の物語

結城鹿島

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3章 傷の瞳のシーレ

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一人きりになった暗闇の中で、うたた寝の間に見た夢を再び反芻する。

ある日、弟だと紹介された子供にシーレは少し戸惑ったような覚えがある。そんなものが存在するとは思っていなかったからだ。
自分も子供だったが、エミレはもっと幼かった。確か三つ年が違うはずだ。子供には小さな差ではない。だから、ひ弱で貧弱なやつだな、というのが第一印象だった。
それから、間抜けな顔をしているな、とも思った。
シーレに向けた屈託のない笑顔。そのくしゃくしゃの顔に警戒心は微塵もなかった。
接していく中で母の言葉以上に、面倒を見てやらなければいけない弱い存在なのだと、理解した。クルーガは男女の別が厳しく、身内であっても男女は同席しない。妹たちとはろくに接したことが無かったので、初めて自分より弱い存在をエミレで認識したような気がする。

それから思ったのは、自分とまるで似ていないということだ。
シーレ自身は幼い頃から父似だと、誉めそやされてきた。母親譲りの琥珀色の瞳以外は、黒炭の色の硬い髪も、骨太な体格も長い指も、くしゃみの仕方さえ、なにもかもが似ている。シーレにとって、それは自慢だった。
一方のエミレは、母親に瓜二つで父にはまるで似ていない。
ただ一つ、その青色の瞳以外は。
そのことだけは、シーレがエミレを気に入らないところだった。敢えて口にするほどのことではない。けれど、子供の頃はずるいと詰りたくなる気持ちを持て余した。外国の人間が父の瞳を美しい空色と褒めるのを聞いたことがある。クルーガの空は灰色に曇ることが多く、普通青い瞳と空の色は結びつかない。シーレは、エミレの瞳を見るたびに遠い空のことを思った。

寝返りをうって、溜息を吐く。こんな風に考えていたらまた、エミレの夢をみてしまいそうだ。頭から追い出そうとしても中々上手くいかない。
理由はわかっている。父がエミレの処遇について何もいわないからだ。
クルーガでは王位に就かなかった王族の男は、王家の籍から離れる。その後の行方はそれぞれだが、自分が王位に付く時、エミレがどんな顔で自分を見るのか、シーレにはまだ想像ができない。
案の定、夢の中で弟の姿を再び見た。

                 ◇

王宮はいつになく賑やかさに包まれていた。
リウレシアからの使者を迎える式典が終わり、続いて始まったのは気軽な宴だ。
今回、使者が運んできたのは書状だけではない。姫の侍女や召使たちを、ひと足先に連れてきてもらった。
冬の前に彼女たちを受け入れることにしたのは、シーレのアイデアだ。
過去、国外からクルーガに王妃を迎えたことは何度かあったが、常に最初の冬に破局の危機を迎えていると伝えられているからだ。原因は冬の厳しさに起因するとされている。
シーレ及びクルーガの男たちからすると、簡単に訪れの予期できる危機といえる。
だから、本人は無理でも、せめて世話をする人間に先に寒さに慣れてもらおうと考えたのだ。
それに、リウレシアに遊学させていたクルーガの楽団も一緒に連れてきてもらった。音楽はクルーガでは冬の間の重要な楽しみだ。というより他にはない。
彼らが覚えてきたリウレシアの曲を奏でている。明るい曲調はシーレの好みに合う。気分よく耳を傾けていると、大きな腹を揺らしながら男が陽気に声をかけてきた。

「ご機嫌ようシーレ様、リウレシアの音がお気に召したようで、何よりです」
「ああ。貴方のように陽気なのがいい」
「お褒め頂き光栄ですよ」
ラフィタ・ケンバーレはリウレシアの国王の従兄弟にあたる。シーレとリウレシアの姫の結婚話を進めるにあたって尽力してくれた。明るく気どりがなく、話やすい人物だ。
「リウレシアとは水が違うと不安がる者も、実は少なくなかったのですが、安心したようですな」
広間を見渡すと、硬い表情だったリウレシアの侍女たちもようやく、くつろいでいるようだ。きっと未開の地に送られると、悲嘆に暮れていた者も多いのだろう。初めて来る外国の人間はみな同じような反応をする。思ったより田舎じゃないんだな、と。
シーレは肩を竦めた。

「まあその内、音を上げる者も出るだろうが」
「侍女といっても姫様付ともなれば貴族の子女たちですからな。そうかもしれません。しかし、姫様におかれましては、そのようなことはありませんぞ。こちらに来るのを大層楽しみにしておりますよ」
「万全の体勢で姫を迎えられるよう、こちらも全力を尽くすが、クルーガの冬は想像以上に厳しい。侍女たちに先に苦労してもらうことで、準備が全て整うだろう。彼女たちには申し訳ないが」

既にクルーガの冬を体験済みのケンバーレは苦笑した。シーレも顔を見合わせて苦笑する。
「そうそうシーレ様」
ケンバーレは後ろに控える小姓から手紙を受け取り、恭しくシーレに手渡した。手紙にはリウレシアの姫、アイレアの印章が押されている。
「これは人には頼めませんからな。いつものように姫様からです。先ほどの私の言葉が嘘でないことは、きっとそこに書かれているでしょう」
シーレは口元を緩めた。
「お二人の愛の運び手になるのも今回で最後でしょうかね」
「そんな風に言われてはむず痒いな」
遠く、二人の話す様子を窺うギレスが満足げに頷いている。
面はゆい気分になるシーレだが、気分は悪くない。

                 ◇

クルーガの宴は長く続く。人が集まるとだらだらと過ごすのは冬のせいだが、他の季節でもそれが普通になってしまった。勢をこらすのが食事などではなく、音楽なのがクルーガの限度なので直されることのない習慣だろう。途中で抜け出し、シーレは王宮の外れを目指した。
そこには父の暮らす離れがある。
侍従を一人と近衛を連れ、長い廊下を歩んでいく。クルーガの建物は寒さを防ぐべく、極端に窓が小さい。王宮といえども、それは変わらない。まだ夏だというのに、薄暗く物寂しものだ。
シーレは徐々に気分が沈んでいくのを自覚した。
いっそ、外から回っていけば良かった、と思った。
それぞれの建物を繋ぐ渡り廊下には壁面が作られており、廊下自体が小さな部屋といってさしつかえない。景色が見えれば気分も違っただろう。

シーレは視線の先、正面に七人程度の一団を目に留めた。こちらに向かってくる。

「シーレ様、ご機嫌麗しゅう」

一団の中心にいる中年の男が、一礼して気安げに挨拶をしてきた。
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