クッカサーリ騒動記

結城鹿島

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4女王、手紙を書く

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私室に戻ってきたティルダは悩んでいた。

「さて、誰に送ろうかしらねえ……」

宿代がわりの手紙は、王位に着いてからはずっと同じ相手へ運んでもらっている。
しかし、どこにでも、誰が相手でも届けて貰えるのだから、たまには別の相手に書いてみるのもいいかもしれない。
(だって、いつものは楽しい手紙じゃないんだもの……)
そう思い、机を前に便箋やらを用意してみたものの――結局、考え込んで時間を浪費しただけだった。
国外に私的な手紙を送るような相手が無い。縁や付き合いはあっても、それはクッカサーリの王としてのものだ。

「うーん……。……そうだ」

ふざけて書きだしたのは、出すつもりのない手紙――独り言の羅列だ。
昔は日記に綴っていたのだが、王位を継いだ時に全て処分して、書くのをやめてしまった。
でも、

「たまには、書いてみるとすっきりするのよね……」

面倒な案件に取り組む前の頭の体操にはなった。
ティルダはなんだか満足したので、捨てるだけの手紙を封筒に入れた。封蝋に自分の印璽を押し、宛て名まで書いてみる。

「いい練習になったわ」

一人で悦に入ってくすくすと笑う。
明日の朝、このまま暖炉に放り込めばいい。
燃えていく手紙を見れば、気分がすっきりするだろう。それから面倒な手紙にとりかかればいい。そんなことを思いながら、ティルダは寝室へ向かった。

             ●

翌朝、目が覚めたティルダは胃がひっくり返るほど驚いた。

「どうかいたしましたか?」

気合を入れてティルダの身なりを整え、退出するところだったミルヤミが怪訝な顔を向けてくる。

「えーっと……ちょっと、向こうの机の上に置いておいた手紙を見なかった?」
「そちらへは入っておりませんので、存じ上げません」

私室は書斎と寝室と別れていて、間のドアで繋がっているが、両方とも廊下から通じるドアがある。確かにミルヤミは直接寝室に入ってきたのだから、知らなくて当然だ。
念の為、机の周囲を探したが見つからない。

「まさか」

勢いよく廊下側のドアを開けると、待機していたヨニが目を丸くした。

「どしたよ、陛下。なんだその勢いは」
「――手紙を見なかったかしら?」
「なんだよ、書いたのに失くしたのか?」

ヨニの呆れ顔を見て、ティルダはそっと安堵した。この様子だときっと知らない、筈だ。

「間違えに気付いたから出すつもりじゃなかったの。相手に届いたら失礼だから、気を利かせて持っていったなら返してもらいたかったんだけど――」
「俺じゃない」
「みたいね」

では、誰だろう。大抵のことはヨニに云いつけているので、心当たりがない。

「あ、いや、ちょっと待て陛下。あそこに――」

ヨニが説明もせずに突然駆けだした。廊下の先を曲がった直後、子供の絶叫のような笑い声。そして、またすぐにヨニが戻ってきた。

「あっちに隠れて見てたクイ・ヴェントのチビが居たから、何か知ってるかって聞いてきた」
「で、話すのを渋ったから、くすぐって聞き出したのね」

まあ、泣かせた訳じゃないから構わないだろう。衛兵に渡されて怒られてはいるだろうけど。

「バルシューンってチビが二階に探険に行くって言って消えて、しばらくして帰ってきたら、何か手紙を持っていたって。多分それじゃねえの。チビ共はそいつに続けって、探険しようとしてたみたいだな」
「……二階には上がらないのは暗黙の了解だって……わかってても破りたくなるのが子供ってものかしらね!!」

叫びつつティルダは駆けだした。

「ちょ、ちょっと陛下! 待てって! その顔やばいぞ!」
「ごちゃごちゃ煩いわ! バルシューンを掴まえるわよ!」



大体、階段には衛兵が見張っているのに、どうやって書斎まで来たのだろう、と頭の隅で考えつつ一階の大広間を見回っていく。あちこちで朝食が始まっているので、あまりばたばたと走り回るわけにはいかない。クイ・ヴェント達はおしなべて早起きなので、庭に出ているものもいるようだ。

「これは一苦労だわね」

それぞれの人の塊に朝の挨拶をしながら、見回っていく。

「姫様、どうなすったんだい? 難しいお顔だこと。よく眠れなかったのかね?」
「ばあちゃん、もう姫様じゃなくて女王様でしょう。ごめんなさいねえ」

声をかけられ、朝の挨拶もそこそこにティルダは尋ねる。

「いいのよ。それより、バルシューンって子を見かけなかったかしら?」
「さあ……ジェンミの二番目でしょう? 子供たちは朝から遊びに出てるから、戻ってくるのを待った方がいいんじゃないでしょうか」
「そう、ありがとう」
「死者の谷へ行った子もおるよ、姫様」

流浪の民であるクイ・ヴェントは、亡くなった土地で埋葬を嫌がられることが多い。大抵は、共同墓地の片隅に墓石も無く葬られる。だから、遠方で亡くなった場合、遺骨の一部や遺灰や形見の品をクッカサーリに運んで改めて墓をつくる。

「二日目はお参りに行く人が多いものね……」

たしかに、待ち構えていた方が確実かもしれない

「あーヨニ様見っけ!」
「ん? どうした、ナハラ、だっけ? 誰か呼んでたか?」
「バルシューンが探してたの」
「ちょっと、ナハラ、バルシューンはどこなの?」

横から割って入り、掴みかからん勢いで問いただすと、

「む、むこうの方だよ……」

と、実に曖昧な答えを返された。

「そう、ありがとう。いま急いでいるから失礼するわね」

どうにか笑顔を作って、ティルダはその場を後にする。

「……向こうってどこかしらね」

笑顔を崩さずにみっともなくない程度の速足で歩きつつ、ヨニに聞くともなしに問う。

「大広間は王宮の端なんだから、残り全部が『向こう』になるんじゃないか?」
「ああ、もう、役に立たないわねヨニったら!」
「……八つ当たりだろう、それ。でも俺を探してるっていうなら、どこかで待ってたらいいと思うけど」

前半は小声で零したのでティルダには気付かれなかった。後半はティルダへの提案だ。

「それはそうなのだけど……。……わかったわ、その方が多分早いだろうし、そうしましょう。ただし、人気のないところで捕まえるわ。そうね……裏庭の四阿とかがいいわ」

              ●

裏庭の四阿は普段はあまり使ってないので、少々寂れていた。

「外で朝飯ってのも悪くないな」

厨房から運んで貰った豆のスープと鶏肉を挟んだ黒パンを食べつつ、ヨニがまったりしている。その顔を苦々しく眺めつつ、ティルダもスープを口に運ぶ。
表の庭の方からは沢山の人の声が聞えてくる。なのに、裏庭は静かだった。

「陛下、落ち着けって。そわそわしてないで、ちゃんと食べろよ。零すぞ」
「うるさいわよ、ヨニ。変な役職つけるわよ」
「はいはい」

胡桃の殻を剥きつつ、ためらいながらヨニが尋ねる。

「――つうか、陛下、俺宛ての手紙を失くして、探してるのか?」

ただの現状の確認だとわかっていても、昨晩書いた文章がつい蘇ってのた打ち回りたい気分になったが、ティルダは平静を装ってパンをゆっくり飲みこんでから答えた。

「……解雇通知じゃないことを祈るのね」
「まあ、取り戻そうとしてる訳だから、だとしても撤回するつもりなんだろうし、別にいいけど。それに、そもそも、俺を雇ったのは先代だから、陛下に解雇するって言われたって聞く気ないしな」

毒を吐いてみてもあっさり流された。おまけに、何を言うのか。ティルダはヨニの云ったことを頭の中で反芻して、確認のためにそのまま尋ね返した。

「……お父様じゃなきゃ、あなたを解雇できないってこと?」
「そうそう」

ヨニは軽い調子で首を縦に振っているが、なんだその無理難題は。父はもう亡くなっている。そんなことはヨニだって勿論知っている。

「じゃあ不可能じゃないのよ」
「そう、だから一生、俺で我慢しとけよ」

真顔で言われて、無表情で済ませられたのは日頃の仕事の成果といえるだろう。王様稼業は人と会うのも大事な仕事で、感情をコントロールするのは必須要件だ。
皮肉な笑みかにやにや笑いでも浮かべていたなら、何か言えたのに。
気負うでもなく、なんてことのない口調で言われたから、ティルダは俯かないでいるだけで精一杯だった。

「ほれ」

渋皮まで向いた胡桃を差し出され、手の平に乗せてもらう。
クイ・ヴェント達は栗や胡桃など木の実の類もよく食べるので、食事に添えられている。
ティルダは受け取った胡桃を無言のまま口に押し込んだ。なにか言えば、顔色を変えずにいることができなくなってしまうから。

「その調子じゃ、解雇通知は絶対になさそうだから、そろそろいいか」

一転、不敵な笑顔で、ヨニは胡桃を生垣に向かって勢いよく投擲した。

「いってぇ!!」

頭を押さえたバルシューンが、少し離れた茂みから立ち上がった。
「!」
あっという間に、ヨニがバルシューンの元へ走り、その首根っこを押さえる。

「おい、チビ、こそこそしてんじゃない。陛下の手紙持ってるなら今すぐ出せよ」
「わ、わかったよ。そもそもヨニ様に届けるつもりなんだから、渡すってば~」
「駄目よ! 渡さないで!!」

滅多にない大声でティルダは怒鳴った。驚いてバルシューンの動きが止まる。が、手紙は既にヨニの手だ。

「陛下、子供相手にそんなに怒鳴ることないだろ。なんだよ、そんなに恥ずかしい書き間違いをしたのか?」
「ちがっ、いいえ、違わないわ。そうよ、だから返して」
「なんだよ。あっやしーなー。別に、俺が相手なら書き間違いの一つや二つ構わないだろうに。……陛下、さては、まさか俺に愛を告白しようと?」
「違うわよ!!」

怯えるバルシューンを和ませようとしての冗談だと分かったけれど、ティルダは吠えた。

「そもそも、そんなことだったら別に手紙になんてしないわよ。紙の無駄だわ。直接言えばすむ話じゃないの」
「ま、まあ、確かに……?」

もっと照れたっていいのに、とか、そんなこととはどういう意味だ?とか、ヨニがぶつくさ言うのを完全に無視して、ティルダは命令した。

「ともかくそれを返しなさい。ふざけて書いたのであって、送るつもりはなかったのよ」
「ほう」

手紙とティルダを交互に見て、ヨニが数歩距離をとる。

「ちょっと?」

眉を顰め、睨みつければ、ヨニは口元に人の悪い笑みを浮かべている。

「そこまで恥ずかしがるなら、ちょっと見てみたいんだけど――陛下を泣かすわけにはいかないしな。どうしたもんかなー」

手紙をひらひらと見せびらかされ、血が上った頭がすっと冷えた。
「よくよく殴りつけたくなる男だわね……」
(寛容と忍耐、寛容と忍耐、寛容と忍耐!)
心の中で繰り返す。そう、大事な事だ。忘れてはいけない。冷静にならなければ。

「――いいかげんにしないと怒るわよ。具体的には不敬罪で牢屋送りにしてやるわ……!!」

ヨニに押さえつけられていたバルシューンが、がたがた震え出す。

「わかったから落ち着けって――、え?」

手紙を横から奪われえてヨニが驚いている。

「こんなところで何してるんだい、君たち」

互いに睨み合っていたので、さらなる乱入者――アレクシスにヨニもティルダも対応できなかった。
(伯父様!? どこから沸いて来たの!?)

「えっ、ちょ、ちょっと、伯父様! それを返して下さい」

手紙に視線を落とし、アレクシスはふうっと短い溜息を吐く。

「君たち、本当に何をしてるんだい? 大勢の客を招いているこの時期にね、何をしてるんだい?」

父に似た顔で「何を遊んでいるのだ」と責められては、ぐうの音も出ない。

「その……」
「これは僕が預かるよ」
「え?」

馬鹿みたいに口を開けてティルダは聞き返した。

「返してほしかったら、僕の家まで取りにきなさい。ついでにお茶にでも付き合ってもらおうかな」

言うと、アレクシスは踵を返し、王宮へと向かう。

「わ、わ、わかりました! 伯父様! なんでしたら、今すぐ参りますから!」
「何言ってるの。予定が暫く入っているでしょう。お互いに」

振り返るアレクシスは人の悪い笑みを浮かべている。

「そうですけど! おじさま!」



アレクシスの後を必死に追っていくティルダを眺めつつ、ヨニは呟いた。

「えげつないな……」

姪との一時を姪本人に嫌われようと、手に入れようとするあの強引さ。誕生日会の時も一人本気で隠れていたのは、必死に探されたかったからに違いない、とヨニは踏んでいる。

「んで、お前は、事情聴取だからな、チビ」

すっかり怯え、足元で固まっていたバルシューンをヨニは睨んだ。

「うえぇ」

「うえーじゃねえよ。衛兵が居たってのに、どうやって陛下の部屋に侵入したんだよ」
ことによったら何人かの失職が免れない一大事だ。

「窓からだよ」
「窓からって……外から入ったってことか?」

ティルダの部屋にはバルコニーはない。

「そうだよ」
「ロープとか使ってか?」
「ううん。一旦上に昇って、降りるだけ。素足になれば、ちょっとしたでっぱりがあれば上り下りできるし。鍵ゆるかったし」

無邪気に話すバルシューンにヨニは絶句した。
ちょっとしたでっぱりなら確かにあるが、命綱もなしに昇り降りできるような足場とは到底いえるものではない。
クイ・ヴェントが未だ各地で忌避されるのは、このせいだ。鳥の如く駆けるだけでない、恐ろしい身体能力を持っている一族、そう思われているから。
警備を見直さなくてはと思うが、こんな軽業みたいな真似を出来る人間も、そうそう居ないだろう。どこまで厳しくしたものか、悩みは一旦棚上げすることにして

「あー……方法はわかった。で、なんで、そんなことしたんだよ?」
「陛下の手紙を届けたかったんだよ! 一番早く走れるやつが届ける決まりだけどさ……。俺だってできるって思って。そんで、部屋に行ったら、なんか手紙が机の上にあって……ヨニ様あてだったし先に届けちゃえって」
「あのな、子供だからって許せる範囲を越えてるけど、多分サクルとか長老にこっぴどく叱られるだろうから、俺は俺の云いたいことだけ言うな」
「うん……?」
「ティルダを困らせるんじゃねえよ」

げんこつ一発で済ませたのは自制心が三分の一、それからこの後予想されるお仕置きへの同情が三分の一。そして、敵でなく味方でいるなら頼もしいという打算が残り三分の一だ。
それにしても、あの手紙には一体何が書かれていたのだろう。
しばらくそのことが気になって仕方ないヨニなのであった。

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