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執事の消えた日3

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街の外、街道の両側には麦畑が広がっている。街道をしばらく北に進んで、道を少し離れた林の中に、その廃教会はあった。ハンターから聞き出した場所に間違いない。
十分に距離を取って様子を伺えば、下草に香りのキツイハーブが何種類も混ぜられたものが、あちこちに、それとなく撒かれている。大したものではないのだが、感覚の鋭い吸血鬼には不愉快な匂いだ。それに、鶏の血も下草に隠され撒かれている。

「腹立たしいわね……」
陳腐な、罠ともいえない仕掛けだが、癇には触る。転化したての吸血鬼なら、引っ掛かるかもしれない。
問題なのは、複数の人間の気配の方だった。中にいるのは間違いないが、何人いるかは隠されているようで解らない。吸血鬼を待ち伏せするなんて、ハンターだけでなく高位の聖職者がいるのかもしれない。高位の聖職者は面倒な法術を使う。会わぬが吉という存在だ。

「どう見たって罠よね……ほんと。笑っちゃうわ」

普段だったら、こんな罠すぎる罠は笑ってスルーするところだが、
「よし!」
ヴィオラはぎゅっと拳を握りしめ、足を踏み出す。
ジェフリーが捕まってるなら、ちんたらしてる時間はない。


真正面から廃教会へ向かって歩きだす。
罠だろうがなんだろうが、正面突破あるのみだ。
正面のドアには、鍵もかかっていなかった。中は荒れている。どうも、教会として使われていたのは随分前のことで、ここ最近はきこりだか農民だかの倉庫にされているらしい。後方半分に二階席があり、昔は多くの信者が通ったであろうことが窺える。
かつて信者たちが座っていたであろう長椅子は、無造作に高く積まれて内部の見通しを悪くしていた。椅子の他は農具や藁束、何が入っているのかわからない樽などが、いくつも置かれている。

「!」
教会の奥、樽の影から頭がはみ出ているのが見えた。位置からして樽に背を預け、座っているのだろう。
――死んではいない、はず。
髪の色は、銀に近い色の薄い金。

「ジェフリー?」
声が震えないように気をつけながら、ヴィオラは呼びかけた。

「はーい?」

「だれよ!?!?!?」

答える声も振り向いた顔も、まるで見知らぬ男のものだった。
「あー、ども、俺はエルガー・ホワイトですっ」

完全な別人だ。
髪の色だけはジェフリーによく似ていたが、顔も体格も正反対の青年だった。十代後半に見えるキザな格好で、ヴィオラを見て締まりのない笑顔を浮かべた。もっとも、緩いのは見た目だけで、トトほどではないが相当に力の強い吸血鬼なのが一見しただけでわかる。
しかし、

「ジェフリーじゃないじゃないの!!!!」
ヴィオラは叫んだ。

「ええ~? そんながっかりしなくても……」

青年、エルガーは苦笑した。その表情のなんとも緩いこと。ハンターの罠の中だというのに、平然としている。その態度にヴィオラは腹が立った。やっぱり下らない仕掛けのせいで、少し感覚が鈍っているのかもしれない。
こんな至近距離に来るまで、別人だとわからないなんて。

「一大決心して来たのに、なんなのよ! もう。怒るわよ!」

「や、既に十分、怒ってると思うけど、止めてほしいわー。ひょっとして君、トトの友達?」

エルガーに聞かれて、ヴィオラは警戒値を下げた。トトの知り合いなら悪い人ではない。多分。
記憶をさらう。夜会で会っていたのかもしれない、と思ったのだが心当たりはない。

「会ったことないわよね……?」
「うん。無い。でも、トトからよく聞いてたし、すぐわかったわー。君、ヴィオラちゃんでしょ?小っちゃい吸血鬼は珍しいからねー」

「なんなのよ、会ったことあるのかと思っちゃったじゃない。あなた何なの?」

大体、妙だった。
「なんでそんな間抜けな捕まり方しているのよ?」

エルガーは、後ろ手にロープで縛られている。
だが、そんな物はすぐにでも外れるだろうに。その程度の力はあるように思える。
苦笑しつつ、縛られたままエルガーは立ち上がった。
「いっやー、色々あるんだなー。これが」

「見た目は只のロープだがな、中に銀糸が編みこんであるのだ。容易には解けまい」

エルガーの言葉を遮るように、ドアの影から得意げな顔のハンターが姿を現した。それ自体は予想していたので、別にいい。
何が色々なのかエルガーを詰問してやろうと思ったヴィオラは、邪魔をされたことに苛立った。

「動くなよ、化け物吸血鬼ども」

物陰にあったらしい裏口の方からも、ぞろぞろとハンターが現れ、全部で七人に囲まれてしまった。
ただの人間ならば、なんてことのない人数ではある。
しかし、相手は吸血鬼殲滅を掲げる聖教会のハンター達だ。

(二階に様子見が二人、一階に五人……ちょっと本気出さなきゃかしらね)

「あ、ヴィオラ、ごめん。本気だすのは勘弁して」
小声でエルガーに止められた。

ジェフリーが居なかったので、全員一週間は起き上がれないくらい叩きのめしてやろうと思ったのに。
「なんでよ」
訊き返すと、

「完全に無傷で、彼らを捕まえたいんだわ」
エルガーは奇妙なことを言った。

「……そのためにワザと捕まってたの?」
「そう、色々計画があってさー」
計画、その単語にふと思い出す。

「あなた、武闘派の一員ってこと?」
仲間の中で、積極的にハンターと対峙している面子を、トトは武闘派と呼んでいた。目の前の呑気な男がそうだとは、どうにもヴィオラには信じ難いけれど――

「うん。まあそういうわけなんで、任せてくれると助かる」
年長者に言われては仕方ない。

「そう、わかったわ……じゃあ、わたしは、何もしないで観劇させてもらうことにするわ」
そこまでを手早く伝え合うと、ヴィオラは壁際に寄って、成り行きを見守ることに決めた。

「そうしといて~」

エルガーは縛られたままの手をひらひらと振った。
あまりの緊張感の無さに戸惑いを覚えるが、状況は刻一刻と変化していく。
ハンター達が包囲網をじりじりと狭めている。人間にはまだ遠い間合い。だが、
「てぃっ」
予備動作なしに、エルガーは先に近づいてきた二人のハンターを蹴りつけた。倒れた二人は呻き声も上げず静かに沈み、起き上がっらない。器用なものだとヴィオラは感心した。
ハンター達も慣れたものなのか、仲間が倒されても声を発しない。
ヴィオラは二階のハンターに目をやった。動く気配はない。何か狙っているようだが、味方に当たらないように機会を計っているのだろうか。
ハンター達は完全にエルガーに集中している。

(本当に何もしなくて大丈夫かしら……)

四方から斬りかかられてもエルガーは、見事に立ち回っている。また一人、ハンターを蹴りつけて昏倒させた。不思議な体術を使うものだ。大した力を出していないように見えるが、ハンター達が吹っ飛ばされている。腕が自由で、無傷で捕まえるなんて考えなければ、あっという間に全員無力化させられるだろう。
恐らく、怪我さえさせないように気をつかっている。
(何が狙いなのかわからないけど――)
やっぱりなにか手伝おうかと、エルガーとハンター達へ向けて一歩近寄ったその時、ヴィオラは衝撃に襲われた。

「!!」

まるで巨人にでも、地面に押さえつけられたような圧力。身体が重くて、まともに身動きがとれない。ビリビリと全身が総毛立ち、息が詰まる。

「いったた、痺れるう。ヴィオラは無事―?」
あくまで呑気なエルガーの声が腹立たしい。

「仲間を助けにきたのが間違いじゃ、化け物吸血鬼。この結界からは逃れられまい」

二階から見下した笑いが降ってくる。

「こんのっ……さっきから化け物、化け物うるさいわよ……っ」

忌々しい抗魔の力を、床と天井から感じる。どうりで二階のハンターは何もしていなかったのだ。

(やっぱり法術仕える高位の聖職者がいたわけね……)
ヴィオラとエルガーが揃って結界の範囲内に入るのを見計らって、起動させるタイミングを計っていたのだろう。

(わたしの失態だわ)

法術使いがいる可能性を思い浮かべておきながら、実際に出てこられると、してやられた気分になるのは、八つ当たりだろうか。ヴィオラは反省を放り投げて、誰にともなく怒鳴った。
「わたしとこの人は仲間じゃなくて、初対面なんだけど!」
「ええ~!? この状況でもそういうこと言う? トトの仲間でしょー!? じゃあ仲間だってば!俺も仲間だよ!?」

「今さら喚いても無駄だ。一緒に送ってやる化け物ども」

ハンターが白木の杭を持って近づいてくる。聖教会が吸血鬼を滅するために使う白木の杭は、握りが作られていて凶悪なナイフのようだ。
ヴィオラは死ぬこと自体を恐れてはいない。
だけど、それでも死ぬのは嫌だ。
何が嫌かって、ジェフリーを一人にするのが嫌だ。きっと、泣く。
自分の死体を見つけて、ジェフリーは馬鹿みたいに泣くだろう。想像でき過ぎて嫌だった。
ハンターがヴィオラの横に立つ。

(目が見える位置なら『魅了チャーム』で操ってやるのに)

エルガーの方はさらに酷い状況で、心臓に杭を刺される前に首を落とされそうだ。銀の大剣を構えたハンターに背後をとられている。助けは期待できそうにない。

「っつ……」

ヴィオラは唯一自由になる目を閉じた。
ジェフリーの声が聞えたような気がして、少しだけ泣きそうになる。
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