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執事の消えた日2

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空には舟のような半月が浮かんでいる。
日が落ちて、人々の多くは既に家に帰りついた頃合いだ。酔っ払いと、春を売り買いする者、悪事を企む者たちだけが闇に沈んだ路地をうろついている。
仕掛けは既に済んでいる。ヴィオラは街中央の広場の北、一番高い時計塔の上で、ゆらゆらと月の船が空を上るのを眺めていた。
街は、静かだった。今のところ何の変化もない。

「ちゃんと釣れてくれたかしら。ちまちまやるのは性に合わないんだから、最初っからこうすればよかったわ……」

ヴィオラが計画したのは、ハンターにこちらから接触することである。
ジェフリーがハンターに捕まったという確証はないが、まず疑うべきはそこなので、やるとなったら迅速を貴ぶべし、だ。ジェフリーが消えてからの三日間、人目やハンターを避けつつ消息を探っていたが、もっと早くこうするべきだったと心底思う。
(違ったなら違ったで、他を探せばいいんだし)
ほとんどのハンター達は、聖教会に所属して連携して、複数で動いている。あくまで仮定の話だが、もし、ジェフリーがこの街でハンターの手にかかったなら、他のハンターも情報を共有している筈だ。
つまり、ハンターとの揉め事に巻き込まれているなら、ハンターに聞けばいいのである。
危険な事をしないで下さいと、後で小言を散々言われるだろうが、ジェフリーが悪いのだから知ったことではない。

「あら、あれかしら」

時計塔の正面の広場を、まっすぐにこちらへ向かってくる人影がある。人影から感じるのは間違いようもない殺気。
やっとハンターが来てくれた。
ヴィオラが逃げる気がないと分かっているからか、僧服姿を堂々と晒している。剣を模した文様の色で低位のハンターだと知れた。低位ではあっても、見習い以上は甘くみてはいけない。それがトトの教えだ。
いつもなら、決して正面切って相対しようとは思わない。
しかし、
「まったく、もう! 待ちくたびれたわよ」

待ちわびていたヴィオラは、ウエルカムボードでも掲げて迎えてやりたい気分だ。
日没後すぐに、人間を襲ってメッセージを残しておいたというのに、こんなに待たされるとは思わなかった。
メッセージは襲った人間そのもの。
立て続けに五人、魅了チャームで『時計塔に来い』と伝言を記憶させてから、子供の血を容赦なく吸った。
普段なら、絶対にしないことだ。トトにも、子供は死にやすいから餌には選ばないように、きつく言われている。子供は吸血痕を母親に見つけられやすいし、吸血で死に至りやすく、そうなった場合騒ぎになりやすい――つまり、ハンターを呼びやすい。

だからこそ、今のヴィオラにとっては最高の獲物といえる。
無論、殺すまではしなかった。
けれど、五人も続けて子供が倒れれば、もしハンターが今この街にいるなら、彼らの耳に届く。
(それとも、子供の母親たちの誰かがハンターを呼んだのかもしれないわね)
子供を狙う吸血鬼は、ハンター達にとっては真っ先に倒すべき対象なのだという。

待ち構えていたハンターが時計塔の下まで辿り着いた。若く、逞しい体格の男だ。
向こうからはこちらの姿が確認できなていないだろうに、憎悪をその目に浮かべている。
ハンターは周囲を一瞥すると、吐き捨てた。

「来てやったぞ、吸血鬼化け物め。どこにいる?」

人間ならば、決して聞き取れるはしない小さな声。
その厭味ったらしい言い方に、ヴィオラは逆に奮起した。
ハンター目がけて、一気に時計塔のてっぺんから飛び降りる。人間なら、石畳に激突して死ぬしかない速度で落下していく。地面に到達する寸前で、ヴィオラの影から大量の蝙蝠が湧きあがりその身を包んだ。一瞬の後、霧散していく蝙蝠の中でヴィオラは平然と地に足をつけ、ハンターと向かいあった。

「さっきの、人間相手だったらまるで聴こえかったと思わない? 聞きたいことがあるのだけど、質問には大きな声で答えて頂戴ね」

「黙れ、化け物。よくも無垢な幼子を毒牙にかけたな」

ハンターはとりつく島もなく、銀加工の短剣をヴィオラに向けて構えた。

「……私だって幼子だと思わない?」

首を傾げて、ヴィオラは軽くしなを作ってみた。ハンターは不快な物を見たというように、一層顔を歪めただけだった。そして、無言で構えた剣先を、つと下げる。そして突撃してくる動きに合わせ――

夜の広場に虚しく発砲音が響いた。
「……!?」
ヴィオラの頭を砕くはずだった銀の弾丸が、狙撃主の予定を外れ、空に向けて放たれたのだ。

「自然な合図ねえ。感心するわ。でも、撃たれたら痛いもの、眠ってもらったわ」
ヴィオラは肩を竦めた。警戒の度合いを上げる目の前のハンターに、優しく語り掛ける。

「時計塔から見える建物全部に蝙蝠を配置していたのよ、貴方たちが来るより早く。ちまちまやるのは性に合わないんだもの」

ヴィオラが右手を上げると、広場の周囲、全ての建物から黒い煙があがった。そして、黒い煙――無数の蝙蝠たちが、ヴィオラの元へ戻ってくる。

蝙蝠に見張らせていたから、時計塔から見て左手の建物の煙突の影に隠れたハンターに、狙われていたことをヴィオラは知っていた。一発そらせればそれでいい。連発できる長銃は、聖教会といえども持っていないはずだから。狙撃手は気絶させたので、不意打ちはもうこない。

「……どこが幼子だ」

「化け物でもなんでもいいから、質問に答えてくれる?」

蝙蝠を差し向けるでもなく、ヴィオラは微笑んだ。

「く、ぐ……?」

ハンターは、ぎこちない動きで距離をとろうとしている。しかし、
「動けないでしょう? なんだか随分と甘く見積もられていたみだいだけど、あんなに堂々と姿を見せるんだもの。――こうなるって判ってたんじゃなくて? 」

瞳がさらされているなら、視線は通るのだ。既に半ば意識を支配しているハンターの瞳を、ヴィオラはさらに力を込めて見つめた。そうすれば、それだけでハンターの精神は堕ちる。

「わたし、見た目通りの歳じゃないのよ?」
(精々怯えるがいいわ)
精神に揺らぎがあると、吸血鬼の『魅了チャーム』の力は効きやすい。

「さあ、答えて頂戴。年は四十、銀に見えるくらい薄い金髪の男の吸血鬼を知らない? 名前はジェフリー・コッカーよ」

ハンターの男は、虚ろな瞳でこくりと頷いた。
「名は知らない……が、成人男性の……金髪の、吸血鬼を捕まえたという……報告なら……聞いた」

「捕まえた?」
捕まえた、というからには生きている筈で、それは喜ばしい事だが、ハンターが吸血鬼を捕まえてどうするつもりなのか。敢えて、軽く尋ねる。

「見つけたら即殺が、あなた達のモットーなんじゃないの?」

「その、吸血鬼は仲間に、黒髪の少女を、連れているというので……餌にしておびき寄せる……る、計画だ……と」
ヴィオラの指先が、自身の意思に反してわなないた。

「なんですって……」

言われた言葉の意味を反芻して、唇を噛む。
自分のせいで、ハンターにジェフリーが捕まっているなんて、眩暈がする。
勿論――怒りのあまりに、だ。
殺意めいたものに支配されそうになるが、ハンターを安易に殺すのは自分の首だけでなく、他の吸血鬼達の首を絞めることになるのだから、我慢しなくては。
何より、ジェフリーの所在を確認しなければならない。

「その金髪の吸血鬼は、今どこにいるの!」
「か。街道を、北に、しばらく行くと……廃れた教会が、ある……そこに」

ヴィオラは、ハンターをきつく睨みつける視線に怒りを込めた。途端に、ハンターはぷつりと意識を失って無様に倒れこんだ。
その頭を踏みつぶしてやりたい衝動を押さえるのには、かなりの努力が必要だった。

「今は、見逃してあげるわ。でも、ジェフリーにかすり傷ひとつでもつけていたら、アンタ達、皆殺しにしてやるから」
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