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夜会の招待4

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指定された白鴉亭の入り口には、一人の男が立っていた。門番としてはひ弱そうに見える。
だが、彼も吸血鬼だ。油断なく辺りを警戒しているのがヴィオラにはわかった。
ヴィオラとジェフリーが近づくと、
「招待状をお持ちですか?」
男は不愛想に尋ねてきた。

「ええ。でも何も書いてないわよ」

白紙の招待状を男に手渡す。テルメロアに来るまでにさんざん眺めたが、結局ヴィオラには何が招待状に仕込まれているのか理解できなかった。
男は受け取った招待状に鼻を近づけると、先刻とは打って変わって人懐こそうな笑みを浮かべた。

「ようこそ。歓迎しますよ」

「招待状の何で私が招待客だと判別したの?」
答え合わせも楽しみだったことの一つだ。

「時間が経つとほとんど飛んでしまう、僅かな香料がこの紙に沁みこませてあるんです。人間には勿論、吸血鬼でも判らないような微かなものなんですが、自分は嗅覚に優れていまして。一度嗅いだ匂いならどんな微かな物でも覚えているのです。トトには面白がられてましてね」

「なるほど……吸血鬼ならではの鍵ね」

「ええ。ではどうぞ、お通り下さい。良い夜を」



白鴉亭は落ち着いた外観に反して、その内装は眩暈がするような豪華な造りをしていた。宿というより、悪趣味な貴族の屋敷のようだ。クロクスの貴族の屋敷より贅が凝らされているかもしれない。
高い天井の玄関ホールには既に多くの吸血鬼でごった返していた。知り合いと待ち合わせているのか、広間へ移動せず、人が溜まっている。

「ここにいる人、全員が吸血鬼なのよね」

ヴィオラは目をしばたたかせた。普段、吸血鬼は大勢で集まることがないので、なんだか感慨深い。過去にトトのお茶会で紹介された知り合いもいると思うのだが、とりあえず目のつく範囲には見当たらない。

「お嬢様!」

ジェフリーに腕を引かれたが、間に合わずに向かいから歩いて来た中年男性とぶつかってしまった。

「おや、申し訳ないおチビちゃん」

互いにきょろきょろしていたのが悪いのだが――
「おチビちゃんですって? 吸血鬼を見かけで判断するなんて、どれだけ坊やなの」
きつい調子で言い返してしまった。
ヴィオラに睨まれた中年男性はひゃっと怯む。

「あ、ああ、その、すまなかった……」

すごすご去っていく中年男性の背中を見て、ヴィオラはなんだか弱いものいじめをしてしまったような気分になった。あれは淑女として相応しい態度とはいえない。
でも、
(ちゃんと綺麗にしてるのに)
日頃、人間にまじっては子供のフリも仕方ないが、同族相手にまで子供扱いは不愉快だ。吸血鬼として、まだまだ若いのは事実とはいえども。

「おそらく、最近吸血鬼になった方でしょうね」

黙って側に控えていたジェフリーが穏やかに言った。
普段は淑女らしく、と小言の煩いジェフリーがこんな時は何も言わない。
(甘やかしてくれてるのよね……。ずるいんだから)

「……そうね、まだ吸血鬼の力に慣れてないんだわ。そうじゃなかったら、転化してからの年の差がわかるだろうし。だから、しょうがないわね」

ヴィオラが言い聞かせるように何度も頷くと、ジェフリーも同じように

「はい、そうですとも」
何度も頷いた。



ジェフリーと話しながら広間へ向かっていると、
「あら可愛いわね貴女。娘に似ているわ」
今度は品のいい婦人に声をかけられた。

「ごきげんよう」

ヴィオラは今度は柔らかに応えて一礼した。婦人は髪に白い物が混じり始めた年で吸血鬼になったらしい。子供姿の吸血鬼と同じくらいには珍しい。
ヴィオラとジェフリーを交互に見て、
「あなたたちは親子かしら? 家族が一緒なら吸血鬼も悪くないかもしれないわね」
夫人は目を細めた。
先ほどと違ってヴィオラが言い返す気にならなかったのは、婦人がどこか寂しそうだったからかもしれない。けれど、

「失礼、私はただの執事で御座います」

ジェフリーが訂正するのにヴィオラも同意する。

「あら、そうなの? ごめんなさいね」
「いえ……」

その後、夫人と少し話をして別れた。知り合いに呼ばれてその場を離れていく夫人の背中を見送って、ヴィオラはくるりと背後のジェフリーに向き直る。

「ね、わたしたち親子に見えると思う?」

ヴィオラはジェフリーを睨みつけた。答えによっては詰ってやろうと、身構えながら。
なんだかムカムカして仕方ない。婦人に対してではない。ジェフリーの澄ました対応に対してだ。親子じゃないけど、ただの執事とはなんだ。ただのとは。
ジェフリーはちょっとためらってから、口を開いた。

「お嬢様と私では髪の色が違いすぎますからね……、そうは見えないと思いますが。しかし、そうですね、吸血鬼的な意味で、だったのかもしれません」

「なによそれ。それならわたしが『親』よ? わたしがジェフリーを吸血鬼にしたんだから」

するりと喉から言葉が滑り出た。言ったヴィオラ自身が驚くほどに。
ぎこちなくジェフリーの顔を見上げると、困ったような笑顔があった。

「ではお母さま、とお呼びしましょうか?」

「ぜーったい嫌よ。そんなの許さないわよ、ジェフリー」

二人はしばらく黙って顔を見合わせた。やがてどちらともなく、くすくすと笑いだす。こうやって、昔のことを冗談にできるようにはなるとは。時間は偉大なものだとヴィオラは思う。
賑やかな広間の中で、二人の周りだけ切り取られたように穏やかだった。
その柔らかな空気を一気に変える声が響き渡る。

「やあよく来たね、みんな。ようこそ、僕の大事な仲間たち」

トトが大仰に手を振り上げながら二階から広間への階段を降りてきた。今日は、いつもよりまともに着飾っているので、いくらか貫禄があるように見える。

「出不精の子たちも来てくれたみたいで嬉しいよ。あちこちから美味しいものを取り寄せているからね、楽しんでもらいたい。でもまずは、心配している人も多いようだから、今日の集まりを計画した意図を説明させてもらおうかな」

聴衆の視線がトトに集まる。先ほどまで騒がしかった広間が、水を打ったように静まった。

「既に聞き知っている者もいるかもしれないが――美しき薔薇のリディエンヌがハンターの手にかかって不帰の客となった。まずは、彼女の眠りが安らかなものとなるよう祈りを」

トトの言葉にあちこちで小さな悲鳴が上がる。
ヴィオラもリディエンヌの名前はトトに聞いいたことがある。

「美しき薔薇のリディエンヌ……確か、トトの知り合いの中じゃかなりの古株だったはず。四百年くらい前のエルベナの王族だとか、そんな話を聞いたわ」

人付き合いも多く、人気者だったという。
あちこちからすすり泣きが聴こえてくる。
ヴィオラはジェフリーの横顔を眺めた。身長差のせいで表情が見えにくい。
「……」
ただ、なんともいえない沈黙を漂わせている。ヴィオラは、何度か言葉を飲みこんで、それから、
「ジェフリー、吸血鬼に大往生なんてことはないのよ、きっと。わたしが死んだら悲しい?」
訊いてみた。

「勿論です。――そうですね、人間以上に生きたとしてもお嬢様との別れは受け入れることなど出来ないでしょう」

何気ない調子で言われて、ヴィオラは言葉に詰まってしまう。
いつか、別れがくるのだろうか。こんな風に大勢が泣くようなことはないだろう。ヴィオラは人付き合いの多い方ではない。
でも、ジェフリーは――どうなるだろう。悲しんで――泣くのだろうか。
トトの言葉は続いている。

「ハンターが我々にしつこく付きまとってくるのは昔からだが、どうにも近ごろ攻勢が激しい。だからね、君たちに注意をしてほしい。いつも以上に、ね。それと僕らの仲間の中にはハンターと戦う者たちがいる。彼らに協力を要請されたら応じてあげてほしいんだ」

「ハンターと戦うなんて」「恐ろしい」と、怯えた声があちこちから上がった。青ざめた顔の者も多い。老いることもなく、病も知らぬ吸血鬼にとってハンターはわかりやすい恐怖としては唯一のものだから仕方もない。

「――つまり我々にも戦えと言うことですか?」

ジェフリーがよく通る声でトトに問うた。二人の間を、ヴィオラを含めた聴衆の視線が行き来する。
トトは、ゆっくりと頭を振った。子供を安心させるように優しい笑みを浮かべ、

「いやいや、今日ここに呼んだ皆は、武闘派でないのはわかってるよ。だからそういうことを言ってるんじゃないんだ。餌場に一時入ることを許してほしいってことさ。大丈夫、ハンターとのいざこざは戦いにむいている連中でやる。――そして勝つよ」
静かに、だが力強くトトは言った。

「ただ、それまでの間、気を付けてほしいと警告しようと思ってね」

トトの言葉に聴衆たちの多くが安堵したようだ。それから不安をかき消すように、威勢のいい声があがる。
「儂は戦えないが、いくばくか援助することは出来るぞ!」
名乗りを上げたのは商人風の男だ。いかにも資産家というような、良い身なりをしている。
「そうだそうだ、そういう形なら俺にだって!」
何人かが、続いて同じ様に資金の援助を申し出た。それに対して拍手が湧き起こる。トトは大仰に喜んだ。

「あら、こういうこと。なるほど、うまいわね、トトは」

ハンターたちに対抗するにしても、なんだかんだ物入りなのだろう。
うまいパスを出した形になったジェフリーはしかめっ面。冗談にすることが出来るようになっても、吸血鬼であることが不本意なのだ。
(やっぱりそうよねえ……)
ヴィオラは内心で溜息を吐いた。
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