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夜会の招待3

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「もう、せっかちなんだから」

日差しを浴びたくないので、ヴィオラは窓には近寄らない。ジェフリーが窓を閉めるのを見守る。

「まったく、窓から飛び降りるところを誰かに見られたらどうするのでしょうか。忙しない方ですね」

「見られたら記憶を書き換えるんでしょ。トトはジェフリーと違ってその辺は上手いから大丈夫よ」

上には上がいると本人は言っていたが、想像できないくらい、トトは吸血鬼の力を使うのが達者だ。

「それよりジェフリー、どうしたものかしらね。テルメロアって名前くらいしか聞いたことないんだけど、ジェフリーは知ってるの?」 

尋ねると、ジェフリーは剣呑な眼差しを窓の外から引き剥がし、ヴィオラに向き直った。

「自治都市テルメロアは観光地として有名ですから、私も名前は存じてます。クロクス、エルベナの両国の間の独立した都市です。昔はどこの国に所属するかで揉め、戦いが絶えず巻き起こったとか。ですが、今では独立した街としてどの国にも属していません。何より――聖教会がないのだそうです」

「あら、それは珍しい……」

大陸全土に居るハンター達の拠点は、各国の聖教会が中心だ。

「ということは……吸血鬼には安全な場所ってことね」

「教会のない独立自治都市というだけでは、安全と言いきれるかどうかわかりませんよお嬢様」

「それはそうだけど、比較的とはいえ安全な街なんて、貴重じゃないの」

吸血鬼にとって、完全に安全な場所なんてこの世に存在しないのだから。

「会合自体は悪くないと思うのよね……。あちこちから色んな人が来るみたいだし、どこに引っ越すかとか、いい情報が手に入るかもしれないでしょ?」

むしろ避けるべき土地の情報だろうか。とりあえず、行って全く意味がない、ということはない筈だ。
ヴィオラはジェフリーの顔を見上げた。

「…………なんでしょう? お嬢様」

冷静沈着な執事の仮面はずっと外れっぱなしだ。ありありと顔に浮かんでいる渋面だけれど、ヴィオラは嫌いではない。
(何を考えているのかしらね)
想像してみれば、すぐさま答えが浮かんでくる。
吸血鬼の世界に染まってほしくない、と思っている。そうに違いない。
だからこそ、ヴィオラは決めた。

「――行くことにするわ」

「……承知いたしました。準備を致します」
決めれば、反対はされなかった。



聖カニアの祭りの翌日。

「これは……すごいわね。こんなの見たことないわ……」

「ええ、お嬢様。確かに……。壮観です」

ヴィオラとジェフリーの視線の先には、海を臨むテルメロアの街がある。

「テルメロアは元々、細長い三角州に作られた小さな街でしたが、後に街を挟む二つの川を水路で結んだので三方が川で囲まれているそうです。それだけでも十分に珍しいですが、それぞれの川に架かっている橋の上にも建物が建っているそうで」
歩きながらジェフリーが旅行ガイドの解説を読み上げていく。

「しかもあれ、橋と橋の間をさらに沢山の橋が繋いでいるみたいね」

人間ならば見通せない距離だが、ヴィオラにとっては橋の上を歩く人数を数えることも可能だ。

「賑やかな街ねえ」

「幾度となく大水で橋を流されては再建されている内に、増えた結果だそうです。街の建物のほとんどは宿屋で――それを街といっていいのか謎ですが――海を利用して各地から集めた食材で作った高級料理を提供したり、貴重な品が各宿で売買されたりしているそうですよ」

左手には大きなトランクを持っているので、ジェフリーは右手だけで器用にページをめくっている。

「入り口の橋はあちらですね。行きましょう」

ひときわ大きな門を備えた橋がある。他の橋からも街へ入れるようだが、自由かつ無償で通れるのは正門たる橋からだけらしい。
夕暮れの薄闇はどんどん深まっていく。というのに、

「見てよ、ジェフリー。城壁を備えた街なら、もう通行を止める時刻なのにねえ……」

少なくない人数がテルメロアへと進んでいる。
橋の上の建物から、たくさんの灯りが漏れている。様々な大きさ、ばらばらの意匠で、同じような建物は一つもない。昨日の祭りの余韻もそのままに、飾りつけも放置されている。

「想像してたより、にぎやかな街だわ。……あら」

正門である橋の半ばで警備兵らしき男が、通行人たちの行き来をそれとなく確認している。
しかしそれだけで、特に何のチェックもなく、ヴィオラとジェフリーの二人はテルメロアの街に入ることが出来た。

 

「ねえ、ジェフリー、わかった?」
街に入ってからヴィオラは尋ねた。ジェフリーの顔を窺うと、疑問を浮かべている。

「何がでございましょう?」

「わからなかったの? じゃあ、そこの人は?」

何か荷物を運んでいる中年男性をヴィオラは指さした。運んでいるのは大量の野菜のようだから、どこかの宿の下働きだろうか。見た目に珍しいところはない。が、

「あれは――まさか、」

少し目を凝らしてから、ジェフリーはぎょっとしている。

「吸血鬼、でしょうか?」

「そうよ。さっきの警備兵もそうだし、あっちの……あの女の人もそうね」

吸血鬼同士ならば、よっぽど力に差があるのでなければ、相手が吸血鬼かどうかは一見しただけでわかる。何より、テルメロアを歩く吸血鬼たちはあまり身分を隠そうとしていないようで、とても解りやすい。
顔を隠して歩いているのは人間たちの方が多い。今も、身分の高そうなご婦人が、若い吟遊詩人のような男と腕を組んでいかがわしげな宿へと入っていくのを見て、ジェフリーが呆れている。

「なるほど……。この街は、吸血鬼だけでなく他所で大っぴらに会えない者たちの密会の場所ということですか。……お嬢様の教育にはよろしくありませんね」

「そう言わないで。こんなにお仲間がいるなら、ぴりぴりしなくていいんじゃないかしら。ジェフリーだってずっと気を張ってたら疲れるでしょう? 息抜きにいい街じゃないの」

どうせなら、トト主催の夜会を楽しみたい。これだけ吸血鬼が堂々といられる街ならば、ちょっとは肩の力を抜いたっていいはず。

「ね? 珍しいところに来たんだから、楽しみましょう?」

ヴィオラはジェフリーの前で小首を傾げ、淑女らしくほんのりと笑みを浮かべてみせた。
しばしの沈黙。
無言に負けずに逆側へ首を傾げるヴィオラ。
ジェフリーのしかめっ面が維持されたのはここまでだった。

「――わかりました、お嬢様。では、準備は入念に致しましょうか」
「準備?」
「ええ。肩の力を抜くからこそ、気合を入れませんと」



白鴉亭に近い適当な宿に部屋をとると、ジェフリーはベッドにヴィオラのドレスを並べた。

「お嬢様、どれがよろしいですか?」
「ああ、準備って、夜会の準備ね」

ベッドの上に並べられたドレスは三着。常に移動しながら暮らしているので一張羅といえるドレスは少ない。

「どれがいいかしら?」
赤と深緑、それと白いドレス。形はどれもおとなしめ。ヴィオラはどれも同じくらい好きだ。少ない数しか持てないから、全てお気に入りではある。

「そうですね、お嬢様には断然、赤がお似合いです」
「じゃあ、赤でいいわ」

ヴィオラだって乙女なのだ。装うことは好きだ。
赤いドレスに着替えたら、櫛を持ったジェフリーが待ち構えている。

「さ、次は髪のセットです」
「はいはい。任せたわよ」

ジェフリーに髪を梳られていると、ヴィオラは撫でられている猫の気分になる。ジェフリーの指は骨張っていて、ごつごつしているけれど、とても優しいので気持ちいい。
しばらくして、

「どうでしょうか、お嬢様」

見事に結い上げられたヴィオラの黒髪に、仕上げとして真珠の髪飾りがあしらわれた。真珠は最近の流行ではない。
しかし、黒髪に映えるようにとジェフリーが選んだことがわかるので、ヴィオラは、ただ満面の笑みを浮かべた。ヴィオラの年齢では化粧はあまり似合わないので、もうこれで支度は終了だ。
ジェフリーはいつも通りの黒い燕尾服。絵に描いたような執事とお嬢様に見えるだろう

「ではお嬢様、参りましょうか。白鴉亭へ」
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