花嫁は騎士志望!!

結城鹿島

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8・心の刺

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所在しょざいなさげに立つリオンをおいて、ユーニスは自分だけベッドに腰掛けた。
全て破壊しつくしたので、勧める椅子がない。仮に椅子があったとしても、立ちっぱなしにさせておこうと思う程度にはまだ腹は立っている。大人気おとなげない自分を反省したが、それはそれ、これはこれ、だ。

「で、何を謝りにきたっていうの?」

ユーニスが促すと、

「あー、その、まずは、すまなかった」

リオンは頭を下げた。王であるにも関わらず、まっすぐに。ユーニスは思った、嫌いだけど話は聞いてあげよう、と。

「えーと、本気でと言ったのに、手を抜こうとした。それが無礼だったのは謝る。お前の腕前も認める。立派な師匠を持ったようで――実に頼もしい」
「あなた、謝るの下手なのねえ……」

ぎこちない謝罪に、ユーニスはしみじみ苦笑した。

「そんなことはない筈だ。さんざん騎士団の古株連中に叩きのめされてきたからな」
「ともかく、謝ってくれてありがとう。私も悪かったわ。あんな風に大勢の前で
怒鳴っちゃって……。やったことはさておき、見物人の前であんなこと――大嫌いなんて言って、恥をかかせたわよね……」
「それは大嫌いっていうのは本意じゃないってことか?」
「そうじゃなくて言葉を選ぶべきだった、ってことよ」

リオンはショックを受けて落ち込んだが、すぐに我に返った。

「ええと、だな、木剣だったのはお前を馬鹿にした訳じゃない。ユーニス、万が一にもお前に怪我をさせたくなかっただけだ。もう本気を疑ってはいない」
「ほんとに……?」
「ああ。お前は思ってたより強かった」

リオンという人間がおべっかを言うようなタイプではないのは判ったから、ユーニスは破顔した。女らしいとか、見た目を褒められるよりも、強さを認めてもらえる方が何倍も嬉しい。

「だが、男の騎士よりはやはり弱い。前線でなく後方でなら、きっとお前の活躍できる場所も多いと思う。騎士団には女も多いが、補給や通信、それから戦術担当や施設担当、他には医療班が主だったところだ、だから――」
「私が弱いのなんて誰より私が知ってるわよ。男の貴方に知らされるまでもないわ」

自分でも驚くほどの冷たい声が出た。ユーニスは、ふいっとリオンから顔を背け、床に視線を落とす。

「あんりゃろう……何が思ったまま口にしろだ……」

リオンが小声で何事かを呻いているが、ユーニスの耳には届かない。

「私は……守る存在になりたいの。守られるのではなくて」

自分が頼りないのはわかっている。それでも、それでもだ。

「お願い、結婚の話は取り消して」

顔を上げると、ぐっと怒りをはらむリオンの眼差しがあった。居たたまれずに、ユーニスは頭を下げる。

「……私個人として、騎士試験を受けさせて欲しいの。王妃になるかもしれないから落とされるのも、受かるのも、嫌なのよ。ただの私として力を試させて頂戴。それで落ちれば――」

一旦息を吐いて、

「考えるから」

言った。

「……落ちれば考える、か」

ユーニスは俯いたまま黙りこんだ。騎士試験は、別に一発合格が必須というわけではない。一度落ちた程度で諦めるような、安い覚悟のつもりはない。落ち続けていつか、駄目だと思うことがあれば、結婚したっていい。ユーニスにとっては、それが最大の譲歩だ。
重苦しい沈黙の中、しばらくして、頭上から長い嘆息。
ユーニスは俯いたまま、リオンの言葉を待った。

「まったく……お前はいい女だな。俺の思った通りの」
「……え……?」

ゆるゆると顔を上げる。と、素直に褒めたくはないが認める、彼はそんな苦笑を浮かべていた。

「お前の師匠に昔の話を聞いた。ジェイラス殿の話を」

ユーニスは、リオンの口から出た名前に息を飲んだ。鼓動を数えて時が過ぎるのを待つ。あれから七年経ったというのに体の内側から凍りついてしまったように、動けなくなる。ほんの少し思い出すだけで、こんなに苦しい。

「ユーニス、俺は、そのことも謝りにきたんだ」

ゆっくりとした動きで、リオンがランタン角灯を床に置く。そして、自分の隣に腰を下ろすのを呆然とユーニスは見た。

「謝る……?」

ユーニスは、瞬きを繰り返して目の前の男を観察した。オルコスの現国王を。黒い前髪の下、柘榴色の瞳が真っすぐに自分を捉えている。

「午後の仕事をまるまる放って当時の記録を読んでいた。だから、こんな遅くになった」

どうやら思っていたよりも遅い時間だったようだが、そんなことよりも、引っ掛かる言葉があった。

「記録……って? なんの記録のこと?」
「グラディオーラ伯とベルトラム伯と父の取引のだ」

父とベルトラム伯だけでなく、先王も含めた取引とは、一体なんのことだろう。いや、街の騎士団の数を誤魔化していたために、兄たちが死んだ件に関することに決まってはいる。問題は――どんな内容か、だ。

「……どんな取引があったの?」
「父はベルトラム伯が騎士の数を誤魔化していたことを公表しないよう、グラディオーラ伯に頼んだ」
「――王からの指図だったの?」

ユーニスは顔を歪めた。瞬間的に苦い物がこみ上がる。
父とベルトラム伯の間で何かがあったことはユーニスも察していた。いや、ユーニスだけではない。壊滅した第七隊の親類縁者はグラディオーラ伯領のあちこちにいるのだ。今でもベルトラム伯に対する不信は大きい。
本来、『揺らぎ』の対策は、発生した土地の領主に責任がある。
そのために武力を――騎士団を備えることを許されているのだから。
必要とされている最低数の人員もないところで、兄達は戦わなければならなかった。なのに、糾弾されてしかるべきだったベルトラム伯はなんの処罰も受けなかった。取引が無かった訳がない。

「なにかのやりとりがあったのは、領内では暗黙の了解になってるわ。でも……父さまとベルトラム伯の間でのことかと思ってたわ。――いつの間にかね、仕方なかったことにされたの、あの時のことは」

今では、街の騎士団がよそに救援を送っていたから、戦力が手薄になって、第七隊が苦境に陥ったとされている。僅かな不幸と、――それから兄達の力不足で起きた悲劇だと。

「後々の処理でグラディオーラ領に融通を利かせたり、あとは見舞金だとかなんだを出していたようだが――揉め事にせず、秘するように互いに約束させたのは父だ。どう見ても、不公平な処置だったと俺は思う」

リオンの言葉にユーニスは唇を噛んだ。

「なぜ、そんな風に……」

王にベルトラム伯を処罰してほしいと、願った夜が何度あったことか。

「父の心の底まではわからないが、騎士の数を誤魔化していたなんて、ばらすわけにはいかなかったんだろう」
「だから何故よ」
「お前たちは、ただ襲われるのを我慢するしかないと、そんなことを言うわけにはいかないだろう?」

……ああ、そうだわ。
領民たちには魔物と戦う術はない。騎士の剣でしか魔物を倒せない。だから、魔物が出現しても騎士に助けを求めるしかない。
だが、助けを求めて伸ばした先、そこに何もなかったら?
――考えただけで絶望だ。

「『揺らぎ』の発生の多い辺境で、不安を煽るようなことは出来ない。その判断は俺にも理解できる」

泣きそうになりながら、ユーニスは頷いた。

「そう、ね。確かに辺境では『揺らぎ』が多くて……、本当に騎士団が心の支えなのよ」
「ユーニス……」

街の住人はそれぞれの家の地下室や、市庁舎の地下室に逃げ込んで騎士団が魔物を討伐することを待っていた。グラディオーラ伯領からユーニスと共に来た商人たちも、商館の地下室に逃げ込んで、助けを待った。護衛の為の騎士たちは外の騎士団と呼応しようとしたが、城壁を越えてくる魔物と戦うことで精いっぱいだった。
救援にきた騎士団が兄の率いるものだと、上げられた狼煙玉の色でわかった時、ユーニスは心底安堵したものだ。ああ、これで大丈夫と。

「街の周りは、もしもの時のために開けているでしょ?」
「ああ」

魔物が襲ってきてもすぐに発見できるように、どの街も周囲は見通しがよくなっている。普段なら、子供が城壁に登ることは許されない。
が、混乱に乗じてユーニスは大人の目を盗んで城壁へ上り、ジェイラスの姿を探した。

「城壁の上から沢山の魔物と戦う兄たちがよく見えたわ。団旗をね、掲げていたの。ああ、助かるんだな、って私、ホッとしたの。旗を見て」

刻一刻と倒れていく騎士たちとその騎馬と、魔物の屍で街の周囲がいっぱいになっても、旗は倒れなかった。
――ここにいる。お前を見捨ててなんかいない。俺はここにいる。
兄がそう言っているように思えた。
ダリウスがさらなる救援を寄こした頃には、魔物はジェイラス達によってほとんど駆逐されていた。
出現した魔物の数に比べると、街の住人の犠牲は極めて少なくすんだ。引き換えに、ジェイラスの率いるグラディオーラ伯領の騎士団第七隊のほとんどは死んだ。生き残ったのはたったの四人。今でも剣を持てるのはディーンだけ。
もしもあの時、自分も一緒に戦えたなら……。何度そう思ったことだろう。
一緒に戦えたとしても、実際には大した役には立てなかっただろう。それは判っている。それでも、見ているだけよりはよっぽどマシだ。

「ユーニス……っ」

リオンに抱き寄せられ、ユーニスは身体を竦ませた。寝間着しか身に着けていないから、彼の腕の感触がありありと伝わってきて、気恥ずかしい。
しかし、何故か拒む気にはならなかった。きっと、

「すまない、ユーニス」

耳元で絞り出されたリオンの声が震えているから。

「わたし……」

体の力を抜いて、リオンに身を預け、ユーニスは一息に言った。

「わたし、あの旗みたいになりたいの。もう大丈夫って、人々を絶望させない存在になりたい。だから騎士になりたいの」

ユーニスを抱きしめるリオンの手に一段と力がこめられる。それは不快ではない。

「本当にすまなかった」
「いいの? 王様がそんな簡単に謝って」
「ベルトラム伯を陰で相当に絞ったようだが、不公平な裁定だったことは間違いない。だから謝りたい、王として、なにより俺個人として」

ユーニスはたったいま、耳にした言葉を何度も心の中で繰り返した。

「王様として、ってあなたが玉座につく前のことなのに?」
「例え、玉座に着く前のことだとて、背負う覚悟はある」

ユーニスには、ずっと、心の奥に刺さる棘のような物があった。
騎士になるということは突き詰めるところ、王の下で戦うということだ。民を守るために騎士になりたいけれど、王に忠誠を誓うのはどこか嫌だった。
それが、ほどけていく。

「お前のせいじゃない」

強気なのに、リオンの声は優しい。トントンと子供をあやす様に背中を叩かれて、ユーニスは泣きだした。

「わ、私を助けにきたから……兄さまが死んだの……」

あまりに不利な状況だったのだ。一旦引いたとしても、責められる筋合いではない。壊滅を防ぐため、援軍を待ってもよかったのだ。あくまでベルトラム伯領の問題なのだから。
けれど、ユーニスがいたから、引かなかったのだと、そうとしか思えなかった。
兄の元で戦う騎士はディーンを始め、顔見知りも多くいた。彼らも、みな自分のせいで死んだのだとユーニスは思った。そうじゃないと、頭では理解できる。第一に魔物のせいで、その次に責任を問うならベルトラム伯のせいだ。
だけど、簡単には割り切れない。

「……っ、く」
「すまない、ユーニス、すまない」

リオンは繰り返し謝りながら、ユーニスの背中を撫で続けた。

「私のせいで兄さまが……っ」
「もう泣くな、ユーニス」

耳に口づけるように囁かれ、ドキリと心臓が跳ねる。ど、どうしたらいいの、とユーニスは狼狽えた。改めて現状を確認すれば、自分はリオンの腕の中にいる。寝間着ごしに手の温度が伝わる程に抱きしめられ、腰かけているのは寝台だ。自覚すると、途端に羞恥で顔が赤くなる。
……はやく、離れないと。
そう思うものの。顔を見られるのが恥ずかしくて、動けない。
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