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その38
しおりを挟む「シロ!!」
一瞬何が起こったかわからなかった。
衝撃とともにエティは土の地面に投げ出され、全身を打ち付けた。状況を把握しようと見渡すと、少し離れた所にシロが横になって倒れてグッタリしていた。
「シロ!!しっかりして!」
エティはシロの元まで駆け寄り息があるかを確認した。震える手がシロの鼓動を感じ取り、ホッとしたものの、とても無事だと言える様子ではなかった。シロの白い毛並みにあちこち血が滲んでいたからだ。特に喉のあたりが酷かった。
「ど、どうしてこんな……」
『エティ……。紐が……』
「シロ!……ひ、紐?」
見渡すとシロの足元に細い紐が落ちていた。エティがそれを手に取り引っ張ると、近くの太い木に繋がっていた。
「ま…さか……」
そのまさかであった。道を遮《さえぎ》るように細い紐が木に結んであって、シロは気づかずにそれに突っ込んだのだ。スピードが出ていたためシロの身体は傷つき、次から次へと血が流れていた。突然の出来事にエティはどうしたらいいかわからなかった。ただ流れる血を止めようと手を傷口にあてることしかできなかった。
「ああ、やだ、どうしよう……!シロ!……っあ……」
ドスンと自分の背中に何が当たり、エティはゆっくり振り向いた。視界に入ったのは先日エティに声をかけてきた大人の女性だった。その時とは違い、顔は苦しむように大きく歪んでエティを睨んで立っていた。よく見るとその両手には、血のついた小型のナイフが握られていた。それを見て、エティは自分が刺されたと気づいた。
じわじわと背中に濡れた感触が広がり、息をする度に鋭い痛みがエティを襲った。
きっと近いうちに自分を狙って来るだろうとは思っていたが、シロも一緒に傷つけられるとは思ってもいなかった。エティはシロが血を流す姿に動揺して、ただ人形のように地面に座っていた。
「あなたが…紐を?」
「そうよ」
女性は投げ捨てるように一言そう言うと、ナイフの先をエティに定め直し、何かを決心したように目をギュッと瞑ると、勢いよく向かってきた。
自分が避けるとシロに刺さってしまう。
エティはそのまま動けなかった。
ドカッと大きな音がしてエティが咄嗟に瞑った瞼を開けると、女性は離れた木の下に倒れていた。
『……エティ、無事?』
「シロ!!」
シロが横になったまま後ろ足で女性を蹴り上げ、最後の力でエティを守ったのだ。シロはエティの身を案じたまま意識を失ってしまった。
「やだ!シロ!!死なないで!!」
エティがシロの首に抱きつき、ただひたすら名前を呼び続けるとシロの身体が急にピクピクと動き出した。
『……エティ、力を使った?痛みが消えたわ!』
「シロ!?」
さっきまでの瀕死な姿が嘘のように、もう大丈夫とシロはその場に立ち上がった。シロの首にあった傷口は消え、白い身体を染めていた赤い血も同時に消えた。
シロを助けたいという気持ちからか、何かが弾けたようにエティは自分の中から魔力が溢れるのを感じた。
いつも通りの美しい佇まいのシロに、エティは座ったままポロポロと涙を流した。
「よ、よかった……!」
『良くない!エティは自分の怪我を早く治して!』
怪我と言われてエティはハッとした。その怪我を負わせた本人はシロに蹴られてどうなった?エティはまだガクガクする足で、なんとか倒れた女性の側まで歩み寄った。そして意識がなくピクリとも動かない女性の身体をあちこち触れた。
「よかった。生きてる。でも……腕は折れてるし、内臓は破裂してる」
ホッと軽く息を吐いてその場に座った。
エティは触れるだけでどれだけ負傷しているかがわかるようになっていた。
『そんな奴、死んじゃえばいいのに!』
「シロ!そんな言葉使っちゃダメ!いくら私を庇ったからって、この人が死んだらシロは人殺しになっちゃうのよ!」
『エティ、だからって……。せめて自分から先に治して』
シロに大丈夫だからと笑いかけ落ち着かせると、エティは女性の怪我を回復させた。あんなに悩んでいたのが不思議なくらいに魔力を感じ、コントロールできることにエティは心から安心した。そして複雑な思いだった。シロが瀕死になってなければ、自分の癒しの魔力は出てこなかったかもしれない。
エティは急に眩暈を感じ、自分がまた血を流し続けている事に気づいた。結構深く刺された気がする。短剣でよかった。もう少し長いものだったら今ごろシロと一緒に意識は戻らない状態だろう。
エティが自分に癒しの力を使うと、傷口の部分がふわりと暖かい布を当てられたような感じがした。シロから落ちた際の擦り傷なども一緒に治ったが、服に付いた血はまだ残っていた。シロの時は無意識にやっていたようだが、血を消すのはまた別の魔力だようだ。呪文など必要ない。リリアンが言ったように集中して考えるだけで実行できた。
「……あ、ああ」
「目が覚めた?」
エティが落ち着いた声で言うと、女性は顔色を変えた。何事もなかったように立ち上がる、綺麗な姿のエティと、その後ろに立つ威嚇したシロの姿に、女性は青ざめながら身体を起こした。動揺して目が見開き、唇は震え、冷や汗が額に滲んでいる。
そんな女性の左手に付いている呪いの印を見ながら、エティは深く考えた。
目の前の女性が全てのきっかけを作った。
自分が欲しかった魔力はクリフォードに処女を奪われたからだが、クリフォードがエティに声をかけたのはこの女性がかけた呪いのせいだ。
何故だか憎めない……。
「何故こんな事を?」
エティが膝をついて顔を近づけ訊ねると、女性は怯えながら目線を落として小さく話し始めた。
「……前にここで、クリフォードがキスをしてる相手を見て驚いたわ。彼がずっと以前に好みだと言った女性だった」
女性はエティを見上げた。そのブラウンの瞳は悲しげに揺れていた。
確かにエティがここでクリフォードに気持ちを言葉にした時、彼から息ができないくらいのキスをもらった。この女性はあの時どこかに隠れて二人を見ていたのだ。
「今まで彼は恋人を作らなかった。なのに、あなたを大切そうに……!」
嫉妬というよりも悲しみが強い、そんな表情で女性は地面を見つめた。
『エティ!』
シロの声でエティが振り返ると、遠くにレオに跨った騎士姿のクリフォードが見えた。いつもなら同僚の馬車に送ってもらっているが、今朝は剣の訓練があるからと、クリフォードはレオを連れて出ていた。
馬車だったら今からでも木の陰に隠れれば、気づかれずにやり過ごせたのに、もう向こうからこちらの存在は確認されてしまっただろう。
エティは仕方ない、と女性をそのままに立ち上がった。
「彼が来たわ。バカな事はしないわね?もう一度この子に蹴られる羽目になるわよ」
クリフォードに全て話され、自分のした事がバレてしまう。そう思ったのだろうか、女性は諦めたようにコクリと頷いた。それを見たエティは落ちていたナイフを拾うと、木の元の茂みへ投げ込んだ。一連を見ていた女性は何故?という表情でエティを見た。
「……エティ?こんな所で何を…」
エティ達の近くまで来たクリフォードはレオから降りた。そしてエティの前で地に張り付くように倒れている女性の顔を見て険しい顔つきになった。
「お前は……!エティ?一体どういう事だ?」
クリフォードはエティを女性から引き離すように肩を抱いた。まだ何も言ってないのに、その場の雰囲気で何かあったと感じ取ったようだ。
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