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57 支えになるもの

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レジナルドが優しく笑いかけてくる。

以前の私なら、彼の表情は機嫌の良し悪しを判断するくらいにしか思わなかった。私がどんな我が儘を言っても受け入れてくれそうな、おおらかな笑顔。そんな風に感じるのは私の気持ちに変化があったから?

たくさん考えなきゃいけない事があるのに、レジナルドに正体を知られていたという予想外の展開に頭がぼうっとする。靄がかかった思考でもはっきりわかるのは、仕事が終わった後またこの部屋に帰ってきてもいいという事。レジナルドがいつもと同じように「また後で」と微笑んだのが自分でも驚くほど嬉しかった。


***


早く帰るからと宣言した通り、レジナルドは夕日が沈む前に外回りから帰ってきて、その足で薬室に迎えに来た。ライアンの仕事が終わるまで待つと言って薬室に居座ったレジナルドに、薬室長は冷めたような目で、連れて行けとライアンを差し出した。


ライアンを連れて自室に戻ったレジナルドは、メイドさんにお茶の用意をさせて人払いした。今朝の話の続きをするためだ。ライアンは広すぎるリビングを軽く見回すと、外を伺うように窓の側に立った。


「この部屋って建物の一番上だから外から見えないですよね?ローズに戻ってもいいですか?」


二人きりだから敬語は外せばいいのに、とレジナルドは不満そうな顔つきで「どうぞ」と言うと、念のためレースカーテンを引いた。それを見届けた後、ライアンの周りだけ風が吹いたように髪や服が揺れると、あっという間にローズの姿に変わった。

レジナルドは目を輝かせるでもなく、また驚くこともなく平然とローズの変化を見ていた。意外に順応性が高いようだ。ローズがテーブルにつき、用意された紅茶に口をつけるとレジナルドも同じようにティーカップを持った。


「そういえば、甘いものが苦手なのは知らなかった。酒も強いし俺は全然ローズのことわかってなかったな」

「一番肝心な事は知っていたじゃない。いつライアンが私だと気付いたの?」

「ライアンが最初にここに泊まった夜だ」


ローズはおかしいと首をかしげた。


「夜?でもその前に薬室でローズに会った事があるか聞いてきたでしょう?もっと前からじゃないの?」

「それは薬草の本が……まぁ説明が面倒だからそれは後で言う。とにかく、夜中ライアンがうなされていたから横についていたんだが、その時目の前でライアンからローズに姿が変わった」

「えっ、そうなの?」


なんとも誤魔化しようがない状況だ。寝ている間に魔法が解けるなどと考えた事がなかった。ローズは油断してしまったとがっくりして額に手をあてた。


「それで、正体を知ったのに黙って部屋に置いてたの?」

「ライアンが全く知らない人物に変身したら少しくらい警戒するが、ローズだったから別に何の問題もないだろ?ただ、自分の目で見たくせに何だか確信がなくて、結局アルフォンスさんに聞きに行った。その時にローズが魔女だと教えてもらったんだ」


レジナルドはローズの両親に勝手に話に行ったのを気にしたが、ローズが気にしたのはその点ではなかった。目の前にいるローズは人間にはない力を持っていて得体の知れない存在だ。それなのにレジナルドはどうして普通にしているのだろう。食べ物の好き嫌いを話す時とそんなにかわらない口調だ。


「ねぇ、約束って何?父さんと約束があるから知らないふりしてたって事でしょう?」

「ああ、かなり前の話なんだが……」


かなり前の事と言いながら、レジナルドは十年前の事をさも昨日あったかのように細かく説明をした。ローズが魔力を持って寝込んだ時にレジナルドが何度も訪ねて来たのは母親から聞いていたが、父親に様々な事を約束させられていたなんて初めて知った。そんな昔の約束を忠実に守っているなんて、レジナルドは驚くほどに真面目な性格をしている。いや、忍耐強いだけだろうか?


「もう遠慮なんてしなくていいから。俺に手伝える事があったら言ってくれ」


私を甘やかす笑顔。もしかしたらそんなつもりはなく笑いかけているかも知れないけれど、つい頼りたくなってしまう。ぐらぐらとおぼつかない足取りで立つ私は、腕を軽く引っ張られたらレジナルドの胸に寄りかかって離れられなくなる。助けてと縋ったくせに、今更ながら躊躇ってしまう。


こんな厄介ごとを抱えた私があなたの側にいてもいいの……?


コンコンと外に面した窓の外から音がして、ローズは口から出そうになった言葉を飲み込んだ。


「何だ?鳥?」


レースカーテンの隙間から日が暮れてきた外を覗いたレジナルドが不思議そうに呟いた。


「母さんの使い魔かも。ああ、やっぱりそうね。窓を開けてもいい?」


そう言ってローズが窓に手をかけようとすると、レジナルドが後ろから長い手を伸ばして先に窓を開けた。外からくちばしで窓を突いていた一匹の小さな小鳥はその隙間を滑るように通ると部屋の中へ飛び込んできた。小鳥は部屋の中をぐるりと旋回した後ローズの手に止まった。


「使い魔って?」


レジナルドはキョトンとしながらローズに向かってピーピー鳴く小鳥を眺めた。


「簡単に言うとレジナルドにとってメイドさんみたいな存在かしら。私は使い魔を持ってないから母さん経由でお仕事を頼んでいたの」

「へぇ、鳥が何て言ってるのか理解できるのか」

「……。」

「どうした?何か気になる事でも言われたのか?」

「……ええ、ちょっとね」


ローズが顔を曇らせると、レジナルドもつられたように神妙な面持ちになった。ローズは窓から外に小鳥を放った後、すぐ近くに立つレジナルドに対面した。


「父さんから聞いてるかもしれないけど、私の前に現れる幻影の男の人は、私が呪いをかけて殺しそうになった人なの。その人が明日私を訪ねてくるわ」

「面識がないって言ってなかったか?どうしてローズの所に?何しにくるんだ」


レジナルドが声を荒げてローズに詰め寄った。心配してくれてるのがひしひしと伝わってくる。小鳥から報告を受けて実はかなり動揺していたローズは、レジナルドの気が気でない様子に逆に冷静になった。


「危害を受けることはないわ。彼はエティの雇い主で恋人なの。私が彼につけた呪いのせいでエティが衰弱してしまったから、私が彼の元から勝手に連れ帰ったの。彼はエティを連れ戻しに来るだけよ」

「妹のエティ?確か遠くにいるって言ってなかったか?いつエティの所へ迎えに…?いや、そんなことよりそいつが来るなら俺もローズと一緒に会うからな」

「いいえ、一人で行くわ。そして幻影と決着をつけてくる。だから……あの夜みたいにもう一度大丈夫って言って…私を送り出してくれる……?」


語尾が情けなくも、しどろもどろになった。甘えるのって結構難しい。
眉を下げてレジナルドを見上げると不満そうに難しい顔をされた。ぐっと堪えてはいるみたいだが、全身から一人で行かせたくないと心情が溢れ出ている。


「レジー。お願い」


ローズはレジナルドの胸に額をくっつけ、切に頼んだ。他のどんなものよりも今はレジナルドの言葉ひとつが支えになって前に進んで行ける。エティの恋人が来るのは過去のわだかまりを払拭するいい転機に思える。ここで何もしなかったら一生幻影に怯えたままになってしまう気がする。


「こんな時にそんな呼び方してずるいぞ」


そう苦しげに低く呟いたレジナルドはローズをふわりと抱きしめた。


「……帰ってくるのを待ってるからな」


その後、耳元で繰り返された「大丈夫」の言葉はローズの身体に染み渡り心を満たした。このまま眠りにつきたいと思うほどの温かさだった。


その日の夜、律儀にライアンの姿で寝ようとしたローズはレジナルドに笑われた。


「俺しかいないんだから素のままでいればいいのに」

「そうね、何だか癖になってたわ。そういえばレジナルド様はライアンに過保護すぎるわよ。薬室長まで二人はできてるって勘違いされたわ。薬室に居づらくなるからやめてくれる?」


ローズの姿に戻り、遠慮なくレジナルドを睨むが相手はそんなの知らん顔だ。レジナルドは何食わぬ顔で上掛けを捲るとローズの横に寝転んだ。


「虫除けにはちょうどいいだろ。しかし何度薬室に行ってもあの薬の匂いには慣れないな。あの苦い匂いだけで仙人の手製栄養ドリンク飲んでる気分だ」

「その顔、子供の頃と一緒」


実際に嗅いでるわけでもないのに、うえっと顔を歪めたレジナルドが可笑しくてローズはクスクスと笑いだした。笑われたレジナルドも一緒になって笑うと、自然と手を繋いできた。そのまま和やかに眠りについたお陰か、その晩は夢にクリフォードが出てこずに、レジナルドを朝まで起こすことはなかった。


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