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遊園地デート②
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「あったかい……」
両手を温めるようにココアの紙コップを持った早瀬さんがほっと顔を緩める。
着込んでいてもだいぶ冷えていたらしく、コーンスープを一口すすると身体の内側から温まるような感じがした。
ジェットコースターを楽しんだあともいくつかアトラクションを巡って、いまは屋内のフードコートで一休み中だ。
「だいぶ乗ったよね? 早瀬さん、他に乗りたいものある?」
「うーんと、あとは観覧車だけでいいかなぁ。ちょっと疲れちゃったかも……」
苦笑を浮かべる早瀬さんに、僕も疲れたかも、と同意する。観覧車は最後に乗ろうと決めていたし、他に乗りたいアトラクションはほとんど制覇してしまった。
「少し休んでようよ。ずっと外にいると寒いし」
「そうだね」
お喋りをしながら冷えた身体を温めていると、気が付くと外は薄暗くなり始めていた。冬の日暮れは早い。そろそろイルミネーションが点灯される時刻だろう。
「そろそろ観覧車行こうか?」
「うん」
頷きながら席を立った早瀬さんが、ふと視線をどこかに向けた。彼女の視線を追うと、見慣れた青と赤のマークが目に入る。
「一応、お手洗い行っておいていいかな……?」
「うん。待ってるね」
トイレに向かった彼女を見送る。待ってる、と言いながら、自分もなんだかトイレに行きたいことに気が付いた。女子トイレは並んでいそうだし、すぐに戻れば大丈夫だよねと男子トイレに向かう。けれどその見通しは甘かったらしく、男子トイレにも軽い列ができていた。
どうしよう。思ったより時間がかかっちゃうかも。
不安に襲われるけれど、もしも観覧車に乗っている最中に我慢できなくなったら情けない。ここでちゃんと済ませておこうと列に並ぶ。
数分待って用を足し、トイレの外に出ると、壁際に立った早瀬さんがきょろきょろと不安そうに周りを見回していた。慌てて彼女に駆け寄る。
「早瀬さん、ごめん! 僕もトイレ行ってたんだ」
「あ、八木くん……。よかった、見失っちゃったかと思った」
ふわりと安心したように微笑んだ早瀬さんを見てほんの少し罪悪感に駆られる。
待ってるねじゃなくて、僕もトイレ行くねって言っておけばよかった。
外に出た途端、ちょうどイルミネーションに光が灯った。
園内に設置された巨大なクリスマスツリー、そのほかにも飾り付けられた建物や木々、花壇がライトアップされている。薄闇に包まれた園内を何万もの色とりどりの光が照らす光景はとても幻想的だった。
「きれいだね」
「うん……」
こくんと頷いた早瀬さんの手を取って、ライトアップされた園内を観覧車に向かって歩き出す。観覧車自体も色鮮やかに光っていて綺麗だ。
観覧車には僕たちと同じく恋人同士らしき人たちが何人も並んでいた。
三十分ほど並んでからゴンドラに乗り込む。向かい合って座り、窓の外をそっと眺めた。ゴンドラは徐々に高度を増していき、地上が遠ざかっていく。
観覧車からは、きらきらと煌めく園内のイルミネーションを一望できた。
「わ、上から見るとすごいね」
「ほんと、きれいだね……」
――美しいイルミネーションに、ほどよい密室。初めてキスをするシチュエーションとしては文句ないんじゃないだろうか。
なんだか緊張してしまって、向かいに座る早瀬さんの顔をちゃんと見ることができない。手のひらにじっとりと汗をかいている。
窓の外に向けていた視線を彼女に向けようとして、思わず俯いてしまう。勇気が出せない。いや、でも、せっかくいい雰囲気なんだから!
「あ、あの、す――」
まずは名前で呼ぼう、と顔を上げて、目を丸くした。
早瀬さんは深く俯いて、両手で膝を握り締めていた。なんだか身体が震えている。予想外の姿に慌てふためきながら、僕は身を乗り出した。
「早瀬さん、大丈夫っ? 気分悪いの?」
「ちがう、の……おしっこ……っ」
俯いたまま、小さな声で早瀬さんは告げた。
彼女の口から直接的な言葉が飛び出したことにびっくりする。えっ、いま、おしっこって言った? 早瀬さんが? でも、さっきトイレに行ったのに。
どうして、と思わず声に出ていた。待っている間に冷えちゃったのかな。
疑問の答えは彼女が震える声で教えてくれた。
「ごめんなさい。お手洗い、すごく混んでて……あんまり待たせちゃいけないと思ったから……」
用を足さずに出てきてしまったということらしい。そうとは知らずに自分だけトイレを済ませてきたことが申し訳なくなる。
そんなこと気にしなくてよかったのに、と思うものの今更言ってもどうしようもない。
観覧車の所要時間は二十分弱。頂上まであと少しだから、残り時間は十数分。確か観覧車の近くにはトイレがなかったはずだ。一番近いトイレまでどのくらいかかるだろう。マップを広げてみて、頭の中で必死に計算する。
キスを試みるどころではなくなったし、景色を見る余裕もない。とにかくゴンドラ内を汚してしまうのはまずい。早瀬さんに恥ずかしい思いをさせてしまう。何かないかなと自分のボディバッグの中を見てみるけれど、役立ちそうなものは何もなかった。
「あと十五分くらいで降りられると思うんだけど……だ、大丈夫そう……?」
「たぶん……がんばる、ね。あんまり見ないでくれると嬉しい……」
「う、うん。外見てるね。だから、僕のことは気にしないで」
必死におしっこを我慢している様子の早瀬さんから慌てて目を逸らす。けれどどうしても視界の隅に入るので気になってしまう。
膝を擦り合わせる様子、スカートを押さえる様子。見ないために目を瞑ると、今度は衣擦れと荒い呼吸音が耳についた。顔が熱くなる。
結局、目を開けたまま必死に窓の外を見つめた。さっきはあんなに綺麗だと思った遠くにあるイルミネーションの光がなんだか恨めしく感じる。早く地上に着いてほしい。
ゆっくりと、けれど確実に、ゴンドラは下に向かって進んでいく。
両手を温めるようにココアの紙コップを持った早瀬さんがほっと顔を緩める。
着込んでいてもだいぶ冷えていたらしく、コーンスープを一口すすると身体の内側から温まるような感じがした。
ジェットコースターを楽しんだあともいくつかアトラクションを巡って、いまは屋内のフードコートで一休み中だ。
「だいぶ乗ったよね? 早瀬さん、他に乗りたいものある?」
「うーんと、あとは観覧車だけでいいかなぁ。ちょっと疲れちゃったかも……」
苦笑を浮かべる早瀬さんに、僕も疲れたかも、と同意する。観覧車は最後に乗ろうと決めていたし、他に乗りたいアトラクションはほとんど制覇してしまった。
「少し休んでようよ。ずっと外にいると寒いし」
「そうだね」
お喋りをしながら冷えた身体を温めていると、気が付くと外は薄暗くなり始めていた。冬の日暮れは早い。そろそろイルミネーションが点灯される時刻だろう。
「そろそろ観覧車行こうか?」
「うん」
頷きながら席を立った早瀬さんが、ふと視線をどこかに向けた。彼女の視線を追うと、見慣れた青と赤のマークが目に入る。
「一応、お手洗い行っておいていいかな……?」
「うん。待ってるね」
トイレに向かった彼女を見送る。待ってる、と言いながら、自分もなんだかトイレに行きたいことに気が付いた。女子トイレは並んでいそうだし、すぐに戻れば大丈夫だよねと男子トイレに向かう。けれどその見通しは甘かったらしく、男子トイレにも軽い列ができていた。
どうしよう。思ったより時間がかかっちゃうかも。
不安に襲われるけれど、もしも観覧車に乗っている最中に我慢できなくなったら情けない。ここでちゃんと済ませておこうと列に並ぶ。
数分待って用を足し、トイレの外に出ると、壁際に立った早瀬さんがきょろきょろと不安そうに周りを見回していた。慌てて彼女に駆け寄る。
「早瀬さん、ごめん! 僕もトイレ行ってたんだ」
「あ、八木くん……。よかった、見失っちゃったかと思った」
ふわりと安心したように微笑んだ早瀬さんを見てほんの少し罪悪感に駆られる。
待ってるねじゃなくて、僕もトイレ行くねって言っておけばよかった。
外に出た途端、ちょうどイルミネーションに光が灯った。
園内に設置された巨大なクリスマスツリー、そのほかにも飾り付けられた建物や木々、花壇がライトアップされている。薄闇に包まれた園内を何万もの色とりどりの光が照らす光景はとても幻想的だった。
「きれいだね」
「うん……」
こくんと頷いた早瀬さんの手を取って、ライトアップされた園内を観覧車に向かって歩き出す。観覧車自体も色鮮やかに光っていて綺麗だ。
観覧車には僕たちと同じく恋人同士らしき人たちが何人も並んでいた。
三十分ほど並んでからゴンドラに乗り込む。向かい合って座り、窓の外をそっと眺めた。ゴンドラは徐々に高度を増していき、地上が遠ざかっていく。
観覧車からは、きらきらと煌めく園内のイルミネーションを一望できた。
「わ、上から見るとすごいね」
「ほんと、きれいだね……」
――美しいイルミネーションに、ほどよい密室。初めてキスをするシチュエーションとしては文句ないんじゃないだろうか。
なんだか緊張してしまって、向かいに座る早瀬さんの顔をちゃんと見ることができない。手のひらにじっとりと汗をかいている。
窓の外に向けていた視線を彼女に向けようとして、思わず俯いてしまう。勇気が出せない。いや、でも、せっかくいい雰囲気なんだから!
「あ、あの、す――」
まずは名前で呼ぼう、と顔を上げて、目を丸くした。
早瀬さんは深く俯いて、両手で膝を握り締めていた。なんだか身体が震えている。予想外の姿に慌てふためきながら、僕は身を乗り出した。
「早瀬さん、大丈夫っ? 気分悪いの?」
「ちがう、の……おしっこ……っ」
俯いたまま、小さな声で早瀬さんは告げた。
彼女の口から直接的な言葉が飛び出したことにびっくりする。えっ、いま、おしっこって言った? 早瀬さんが? でも、さっきトイレに行ったのに。
どうして、と思わず声に出ていた。待っている間に冷えちゃったのかな。
疑問の答えは彼女が震える声で教えてくれた。
「ごめんなさい。お手洗い、すごく混んでて……あんまり待たせちゃいけないと思ったから……」
用を足さずに出てきてしまったということらしい。そうとは知らずに自分だけトイレを済ませてきたことが申し訳なくなる。
そんなこと気にしなくてよかったのに、と思うものの今更言ってもどうしようもない。
観覧車の所要時間は二十分弱。頂上まであと少しだから、残り時間は十数分。確か観覧車の近くにはトイレがなかったはずだ。一番近いトイレまでどのくらいかかるだろう。マップを広げてみて、頭の中で必死に計算する。
キスを試みるどころではなくなったし、景色を見る余裕もない。とにかくゴンドラ内を汚してしまうのはまずい。早瀬さんに恥ずかしい思いをさせてしまう。何かないかなと自分のボディバッグの中を見てみるけれど、役立ちそうなものは何もなかった。
「あと十五分くらいで降りられると思うんだけど……だ、大丈夫そう……?」
「たぶん……がんばる、ね。あんまり見ないでくれると嬉しい……」
「う、うん。外見てるね。だから、僕のことは気にしないで」
必死におしっこを我慢している様子の早瀬さんから慌てて目を逸らす。けれどどうしても視界の隅に入るので気になってしまう。
膝を擦り合わせる様子、スカートを押さえる様子。見ないために目を瞑ると、今度は衣擦れと荒い呼吸音が耳についた。顔が熱くなる。
結局、目を開けたまま必死に窓の外を見つめた。さっきはあんなに綺麗だと思った遠くにあるイルミネーションの光がなんだか恨めしく感じる。早く地上に着いてほしい。
ゆっくりと、けれど確実に、ゴンドラは下に向かって進んでいく。
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