蜂蜜色のみずたまり

志月さら

文字の大きさ
上 下
8 / 16

遊園地デート②

しおりを挟む
「あったかい……」

 両手を温めるようにココアの紙コップを持った早瀬さんがほっと顔を緩める。
 着込んでいてもだいぶ冷えていたらしく、コーンスープを一口すすると身体の内側から温まるような感じがした。
 ジェットコースターを楽しんだあともいくつかアトラクションを巡って、いまは屋内のフードコートで一休み中だ。

「だいぶ乗ったよね? 早瀬さん、他に乗りたいものある?」
「うーんと、あとは観覧車だけでいいかなぁ。ちょっと疲れちゃったかも……」

 苦笑を浮かべる早瀬さんに、僕も疲れたかも、と同意する。観覧車は最後に乗ろうと決めていたし、他に乗りたいアトラクションはほとんど制覇してしまった。

「少し休んでようよ。ずっと外にいると寒いし」
「そうだね」

 お喋りをしながら冷えた身体を温めていると、気が付くと外は薄暗くなり始めていた。冬の日暮れは早い。そろそろイルミネーションが点灯される時刻だろう。

「そろそろ観覧車行こうか?」
「うん」

 頷きながら席を立った早瀬さんが、ふと視線をどこかに向けた。彼女の視線を追うと、見慣れた青と赤のマークが目に入る。

「一応、お手洗い行っておいていいかな……?」
「うん。待ってるね」

 トイレに向かった彼女を見送る。待ってる、と言いながら、自分もなんだかトイレに行きたいことに気が付いた。女子トイレは並んでいそうだし、すぐに戻れば大丈夫だよねと男子トイレに向かう。けれどその見通しは甘かったらしく、男子トイレにも軽い列ができていた。

 どうしよう。思ったより時間がかかっちゃうかも。
 不安に襲われるけれど、もしも観覧車に乗っている最中に我慢できなくなったら情けない。ここでちゃんと済ませておこうと列に並ぶ。
 数分待って用を足し、トイレの外に出ると、壁際に立った早瀬さんがきょろきょろと不安そうに周りを見回していた。慌てて彼女に駆け寄る。

「早瀬さん、ごめん! 僕もトイレ行ってたんだ」
「あ、八木くん……。よかった、見失っちゃったかと思った」

 ふわりと安心したように微笑んだ早瀬さんを見てほんの少し罪悪感に駆られる。
 待ってるねじゃなくて、僕もトイレ行くねって言っておけばよかった。
 外に出た途端、ちょうどイルミネーションに光が灯った。
 園内に設置された巨大なクリスマスツリー、そのほかにも飾り付けられた建物や木々、花壇がライトアップされている。薄闇に包まれた園内を何万もの色とりどりの光が照らす光景はとても幻想的だった。

「きれいだね」
「うん……」

 こくんと頷いた早瀬さんの手を取って、ライトアップされた園内を観覧車に向かって歩き出す。観覧車自体も色鮮やかに光っていて綺麗だ。
 観覧車には僕たちと同じく恋人同士らしき人たちが何人も並んでいた。
 三十分ほど並んでからゴンドラに乗り込む。向かい合って座り、窓の外をそっと眺めた。ゴンドラは徐々に高度を増していき、地上が遠ざかっていく。
 観覧車からは、きらきらと煌めく園内のイルミネーションを一望できた。

「わ、上から見るとすごいね」
「ほんと、きれいだね……」

 ――美しいイルミネーションに、ほどよい密室。初めてキスをするシチュエーションとしては文句ないんじゃないだろうか。
 なんだか緊張してしまって、向かいに座る早瀬さんの顔をちゃんと見ることができない。手のひらにじっとりと汗をかいている。
 窓の外に向けていた視線を彼女に向けようとして、思わず俯いてしまう。勇気が出せない。いや、でも、せっかくいい雰囲気なんだから!

「あ、あの、す――」

 まずは名前で呼ぼう、と顔を上げて、目を丸くした。
 早瀬さんは深く俯いて、両手で膝を握り締めていた。なんだか身体が震えている。予想外の姿に慌てふためきながら、僕は身を乗り出した。

「早瀬さん、大丈夫っ? 気分悪いの?」
「ちがう、の……おしっこ……っ」

 俯いたまま、小さな声で早瀬さんは告げた。
 彼女の口から直接的な言葉が飛び出したことにびっくりする。えっ、いま、おしっこって言った? 早瀬さんが? でも、さっきトイレに行ったのに。
 どうして、と思わず声に出ていた。待っている間に冷えちゃったのかな。
 疑問の答えは彼女が震える声で教えてくれた。

「ごめんなさい。お手洗い、すごく混んでて……あんまり待たせちゃいけないと思ったから……」

 用を足さずに出てきてしまったということらしい。そうとは知らずに自分だけトイレを済ませてきたことが申し訳なくなる。
 そんなこと気にしなくてよかったのに、と思うものの今更言ってもどうしようもない。
 観覧車の所要時間は二十分弱。頂上まであと少しだから、残り時間は十数分。確か観覧車の近くにはトイレがなかったはずだ。一番近いトイレまでどのくらいかかるだろう。マップを広げてみて、頭の中で必死に計算する。

 キスを試みるどころではなくなったし、景色を見る余裕もない。とにかくゴンドラ内を汚してしまうのはまずい。早瀬さんに恥ずかしい思いをさせてしまう。何かないかなと自分のボディバッグの中を見てみるけれど、役立ちそうなものは何もなかった。

「あと十五分くらいで降りられると思うんだけど……だ、大丈夫そう……?」
「たぶん……がんばる、ね。あんまり見ないでくれると嬉しい……」
「う、うん。外見てるね。だから、僕のことは気にしないで」

 必死におしっこを我慢している様子の早瀬さんから慌てて目を逸らす。けれどどうしても視界の隅に入るので気になってしまう。
 膝を擦り合わせる様子、スカートを押さえる様子。見ないために目を瞑ると、今度は衣擦れと荒い呼吸音が耳についた。顔が熱くなる。

 結局、目を開けたまま必死に窓の外を見つめた。さっきはあんなに綺麗だと思った遠くにあるイルミネーションの光がなんだか恨めしく感じる。早く地上に着いてほしい。
 ゆっくりと、けれど確実に、ゴンドラは下に向かって進んでいく。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

体育座りでスカートを汚してしまったあの日々

yoshieeesan
現代文学
学生時代にやたらとさせられた体育座りですが、女性からすると服が汚れた嫌な思い出が多いです。そういった短編小説を書いていきます。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

職場のパートのおばさん

Rollman
恋愛
職場のパートのおばさんと…

秘事

詩織
恋愛
妻が何か隠し事をしている感じがし、調べるようになった。 そしてその結果は...

処理中です...