蜂蜜色のみずたまり

志月さら

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閉じ込められて①

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「だめだ、開かない……」

 跳び箱にマット、ボール、エトセトラ。
 雑多に物が詰め込まれた薄暗い体育倉庫の中。唯一の出入り口である引き戸を何度引いてみてもびくともしない。窓は一応あるにはあるのだが、高い位置にある上に小さいので通ることは不可能だろう。つまりは――出られない。
 途方に暮れつつ後ろを振り返る。所在なさげに立っていた早瀬さんが、困ったように眉を下げていた。

「もしかして、閉じ込められちゃった……?」
「そう、みたい」

 それ以外に返答のしようがない。
 まさかこんなことになるとは思ってもみなかった。

***

 十月半ばの秋晴れの日。今日は体育祭だった。
 運動はあまり得意ではないものの、彼女に格好悪いところは見せられないからそこそこ頑張った。その甲斐があったかどうかはわからないが、僕たちのクラスが属する縦割りチームは優勝することができた。
 優勝できたことはもちろんそれなりに嬉しかったのだが、それ以上に嬉しかったのは早瀬さんがお弁当を作ってきてくれたことだ。

 母親が仕事で忙しいため、普段も学校行事でもお弁当を作ってもらったことはほとんどない。今日もコンビニで買うつもりでいたので、早瀬さんから「よかったら八木くんの分もお弁当作ってこようか?」と言われたときは物凄く嬉しかった。
 昼休みが至福の時間だったのは言うまでもない。

 体育祭は無事に終わり、放課後。一緒に帰ろうと思い早瀬さんのところに行くと、彼女は何やら困ったような顔をしていた。
 どうしたのかと聞いてみるとジャージのポケットに入れていたハンカチを失くしてしまったらしい。もしかしたら片付けをしているときに体育倉庫で落としてしまったのかもしれないと。もちろん、僕は探すのを手伝うと申し出た。

 倉庫にはすでに鍵がかかっていたが、担任の先生に事情を話したら鍵を貸してもらえた。
 乱雑な倉庫の中で見つけられるのか、そもそも本当にここに落ちているのかわからなかったが、探すこと十数分、奥まったところにある棚の下に何かが落ちているのを見つけた。
 しゃがみ込んで手を伸ばす。それは淡い水色のハンカチだった。

「早瀬さん、もしかしてこれ?」

 少し離れたところを探していた早瀬さんに声をかける。すぐにこちらに歩いてきた彼女は、僕の手の中にあるハンカチを見た途端、安堵したように頷いた。

「そう、それ! ありがとう、八木くん」

 ふわりと笑顔を見せてくれた早瀬さんにハンカチを手渡す。よかった――そう思った途端。
 ガラガラ、と音を立てて開きっぱなしにしていた引き戸が閉められてしまった。倉庫の中が一気に暗くなる。

「えっ、まっ……」

 慌てて入口に駆け寄るがもう遅い。鍵をかけられてしまったらしい。

「すみません、中にいます!」

 ドンドン、と戸を叩いてみるが反応はない。もう立ち去ってしまったのだろうか。
 ――どうしよう。
 体育倉庫に、閉じ込められてしまった。

***

「……早瀬さん、スマホ持ってる?」
「ごめんなさい、教室の鞄の中で……」
「だよね。僕も」

 今日は朝からずっとジャージでいたためスマホを持っていなかった。連絡手段はなし。
 鍵を差しっぱなしにしていたのが失敗だった。きっと鍵を閉め忘れたと勘違いされて通りがかった先生にでも閉められてしまったのだろう。せめて中をしっかり確認してくれればよかったのに。

 教室に鞄が置きっぱなしになっているのを誰かが気付いてくれないかなとも考えてみるが、今日は部活もないためみんな早々に帰ってしまったことだろう。先生たちも遅くまでは残っていないかもしれない。
 夜になっても家に帰らなければ親から連絡が来るだろうが、うちの親は帰りが遅い。下手したら深夜になることもある。
 早瀬さんの家はどうなんだろう。なるべく早く出られたらいいんだけど……さすがに朝まで出られないということはないと思いたい。

「……ごめんね、私のせいで、八木くんまで閉じ込められちゃって」
「そんな、全然、早瀬さんのせいじゃないよ!」

 不安そうに呟いた早瀬さんの言葉を慌てて否定する。
 とりあえず座ろうか、と提案して、並んで腰を下ろした。倉庫の床は埃っぽかったけど、二人ともジャージだから少しくらい汚れても構わない。

 好きな女の子と二人きりで閉じ込められるというシチュエーションは正直、少しだけ嬉しい。けれど以前にも似たようなことがあったし、あまり長時間になると心配だ。
 お腹も空くし、……トイレにも行きたくなるだろうし。

 ちら、と横目で早瀬さんの様子を窺う。暗くてよくわからないが、いまのところ、とくに変わった様子は見られなかった。
 高窓から入ってくる僅かな明かりだけが頼りなので、倉庫の中は薄暗い。
 それでも少しずつ目が慣れてきた。体育倉庫の中を見回してみても脱出に使えそうなものは見当たらない。いまのところはまだ薄暗いという程度だが、もうしばらくすると日が暮れてしまうだろう。そうすると、きっと真っ暗になってしまう。気温も下がってくるだろう。どうか早く、誰かに見つけてほしい。

「きっと誰かが気付いてくれるよ、鞄教室に置きっぱなしだし、見回りの先生とか」
「うん。そうだよね」

 気を紛らわせるように、それからは他愛のない話を続けた。学校のこと、体育祭のこと、再来週の中間テストのこと。けれど、日が落ちてくるとともに不安も増してきた。
 いま、何時だろう。もしかすると、先生もみんな、気付かずに帰ってしまったんじゃないだろうかと嫌な考えばかりが頭を過る。更には――早瀬さんの異変にも、気が付いてしまった。

 口数が少なくなってきて、時折身体を震わせては、何かを堪えるように膝を抱えている。何か、なんて、考えなくてもすぐにわかった。腰を下ろしているコンクリートの床は冷たいし、だいぶ肌寒くなってきた。閉じ込められてから、決して少なくない時間が経っている。――尿意を催してしまうのも、無理もない。

「早瀬さん、寒い? 僕のジャージ着る?」
「えっ……いいよ、大丈夫。それじゃあ八木くんの方が寒くなっちゃうでしょう?」

 トイレ大丈夫? とはさすがに訊けなくて、違う質問をしてみたけれど、早瀬さんは無理に笑みを浮かべたように見えた。
 確かにこの気温の中で半袖になるのはかなりきついけれど、彼女のためなら上着を貸してもいいと本気で思っていた。けれど、その程度では気休めにもならないだろう。彼女が抱えている苦痛を取り除くには、他の解決方法を提示しなければならない。

 まだかろうじて物の輪郭が見える倉庫の中を見渡してみる。ボールの入った籠に、三角コーン、体操マット。なんとか使えないかなと思ったけれど、さすがに無理があるなと考えを打ち消した。あいにくバケツのようなものは見当たらない。
 そっと、早瀬さんの様子を窺ってみる。

 彼女はすっかり俯いて黙りこくっていた。そわそわと身体を揺らしたり、膝を擦り合わせたりしている。床の冷たさから逃れるためか、少しだけ腰を浮かせることもあった。かなりきつそうだった。どうしよう。どうしたら。
 ふいに、顔を上げた早瀬さんと視線がぶつかった。
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