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お忍びでおでかけ③
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祭りを見物していると、リーシャがふいに足を止めた。アクセサリーや小物を扱った露店を興味深そうに見つめている。
彼女の視線が注がれているのは木彫りのペンダントだった。革紐を通した小さな四角い木片に、繊細な花の模様が彫られている。美しい細工だとは思うが、宝石も付いていないそれは彼女が身に着けるものとしてはあまりにも安物すぎるだろう。私的な場で身に着けているだけでも咎められるかもしれない。
リーシャもそれはわかっているのだろう。ペンダントを買いたいと言い出すことはなく、代わりのように隣に並んでいる栞を手に取った。紐の先に、似たような木彫り細工と水晶の飾りがついている。栞ならば、私室で使用する分には問題ないだろう。
「この栞が欲しいです。あの……自分で買ってもいいですか?」
おずおずと口を開いたリーシャに、構わないと頷く。
カイルが銅貨を手渡すと、リーシャは緊張した面持ちで店主に声をかけた。
「あ、あの。この、栞をください」
店主に支払いを済ませ、包んでもらった栞を受け取ったリーシャはほっとしたように柔らかな笑みを浮かべた。
王城内では硬い表情を浮かべていることの多い彼女が、年相応の少女として無邪気な姿を見せている。そのようなリーシャの様子を見ていると、不思議とカイルの心も安らいだ。
「少し座りましょうか」
オープンカフェに空席を見つけたので、歩き疲れたであろう彼女に休憩を促す。
芳しい花の香りのする紅茶と林檎のパイを味わい、一息つく。ティーカップを置き、周囲を軽く見渡したリーシャは嬉しそうに表情を緩めた。
「皆さん、すごく楽しそうですね。どなたも笑っています。これがお祭りというものなのですね」
「……リリア様も、楽しんでおられるように見えます」
「はい。とっても」
ふわりと、花が咲いたようにリーシャは微笑む。
彼女の、心の底からの笑顔を目にするのは随分と久しぶりに思えた。
***
カフェを後にし、しばらくは楽しそうに周りを見ながら歩いていたリーシャだが、急に元気がなくなってきたように見えた。心なしか足取りも重いような気がする。
どうしたのだろう。慣れない場所に来てやはり疲れが出てきたのだろうか。帰城を早めるべきか思案していると、ふいに躊躇いがちに袖を引かれた。
「カイル、あの……」
「はい、なんでしょう」
足を止めたリーシャに倣い、何か言いたげな彼女の言葉を待つ。
リーシャはもごもごと唇を動かすと、俯きがちに口を開いた。
「えっと……」
「?」
「その……」
もじもじとどこか落ち着かない彼女の様子に気付き、もしや、と勘付く。
「……お手洗いですか?」
周囲を憚りながら小声で訊ねると、リーシャはびくっと肩を震わせ、僅かな沈黙ののちに小さく首を縦に振った。
「承知しました」
一番近くの手洗いに足を向けると、女性用には長い列ができていた。
見物客が多いのだから仕方がないとは思うが、彼女は待てるだろうかと心配になる。
「……他の場所を探しましょうか?」
我慢できますか、などと直接訊くわけにはいかないので言葉を選んで訊ねたが、リーシャは小さく首を振った。もっとも、この混みようだと他の場所も同じようなものだろう。
「……あ、あの、一人で大丈夫なので、カイルは向こうで待っていてくれませんか?」
リーシャはおずおずと告げると、少し離れた場所にあるベンチをそっと指差した。
護衛として彼女の傍を離れるわけにはいかないが、トイレに並んでいるときに付き添われたくないという気持ちも理解できる。
「承知しました。お待ちしております」
リーシャの言葉を聞き入れ、離れたところで待つことにする。けれど彼女から目を離すことはなく、何かあればすぐに駆けつけられるようにしておく。
一番後ろに並んでいたリーシャの後にも女性が何人か並び、トイレの順番を待つ人の列は少しずつ伸びていく。反対に、列の進みようは果てしなく遅かった。
リーシャの様子をそっと窺う。最初はじっと静かに立っているように見えたが、時折小さく身体を揺すったりスカートを握り締めたりするようになった。人目があるから大きな動きができないだけで、もしかしたら限界が近いのではないだろうか。
列の先はまだ長く、彼女が手洗いを済ませるにはまだ時間がかかるだろう。
先日、森の中で目にしてしまったリーシャの姿を思い出す。フリルやレースがふんだんに使われたドレスをぐっしょりと濡らして、泣いていた。
いまこの場で身元が知られることはないとしても、年頃の少女が人前で粗相するような事態になることは避けなければならない。何よりも彼女を傷付けたくはない。
どこか人目のない場所に連れて行った方が良いだろうかと考えを巡らせていると、ふいにリーシャが列から抜け出すのが目に入った。ドレスの裾を翻し、人波に紛れていく。慌てて彼女の後を追いかけた。
人だかりの隙間を縫って駆けていくリーシャの姿を見失わないように目で追い続けるが、カイルは彼女と違って身体が大きいので何度も人とぶつかりそうになり、なかなか距離が縮まらない。リーシャが大通りから外れて細い道に入っていくのを見て、強引に人だかりを掻き分けた。人にぶつかり文句を言われるが、構っている暇はない。ひたすらに足を前に進める。
「リーシャ様……!?」
彼女が入ったと思われる路地裏に足を踏み入れたが、誰もいなかった。
てっきり人目を避けて用を足すつもりなのかもしれないと思ったが姿が見えない。一体どこに行ってしまったのか。狼狽しながら辺りを見回す。
来た道を戻るべきか。他の道に入ったのかもしれない。
踵を返そうとしたとき、ふと、見覚えのある色が視界の端を掠めた気がした。
違和感を覚えた方へ視線を向けると、大通りへと続く道に幌の付いた荷運び用の馬車が止まっていた。行商人だろうか。一見不審には思えないが、二人の男が何かを運び込んでいる。カイルは考える間もなく駆け出していた。
「……おい、早くしろ」
「大丈夫だって、誰にも見られてな――」
耳に入ってきた小声の会話に確信し、音もなく剣を抜く。
「――私の大切なお方を、どこへ連れていくつもりですか?」
冷ややかな声とともに、指示を出していた男の首筋に剣を突き立てた。
「誰だ!? ……っ」
「な、なんだテメェ!?」
男が振り向いた隙に鳩尾を殴り地面に倒す。もう一人の男が顔を上げた際に幌の隙間から見覚えのあるブーツが目に入り、容赦なく斬りつけた。血を流して地面に倒れ伏した男を見て、殴られたまま動けずにいた男がひっと悲鳴を上げる。顔の横に剣を突き立てると、恐怖のあまりか失神してしまった。
気絶した男二人には目もくれず、カイルは馬車の中を覗いた。中には思った通り、リーシャが倒れていた。見たところ外傷はないが、何らかの方法で気絶させられたのだろう。
自分が至らないせいで彼女を危険な目に遭わせてしまった。ほんの一時とはいえ彼女の傍を離れてしまったことに対する後悔と、自分の迂闊さに怒りが湧いた。
ロープが落ちているのを見つけたので、外で倒れている男二人を動けないように縛っておく。剣で斬りつけた男は血が出ているが致命傷となるような傷ではない。少しの間放っておいたところですぐに死ぬことはないだろう。
馬車の中には手足を縛られ気絶している少女の姿が何人かあったが、気に留めることなくリーシャだけを抱きかかえて馬車を降りた。
大通りに出てすぐに見かけた警備兵に自分と彼女の身元を明かし簡潔に事情を説明する。
祭りに乗じてよからぬことを実行していた男達の処罰と捕まっていた少女達の保護は任せ、リーシャを城へ連れ帰るべく馬車へと急いだ。
彼女の視線が注がれているのは木彫りのペンダントだった。革紐を通した小さな四角い木片に、繊細な花の模様が彫られている。美しい細工だとは思うが、宝石も付いていないそれは彼女が身に着けるものとしてはあまりにも安物すぎるだろう。私的な場で身に着けているだけでも咎められるかもしれない。
リーシャもそれはわかっているのだろう。ペンダントを買いたいと言い出すことはなく、代わりのように隣に並んでいる栞を手に取った。紐の先に、似たような木彫り細工と水晶の飾りがついている。栞ならば、私室で使用する分には問題ないだろう。
「この栞が欲しいです。あの……自分で買ってもいいですか?」
おずおずと口を開いたリーシャに、構わないと頷く。
カイルが銅貨を手渡すと、リーシャは緊張した面持ちで店主に声をかけた。
「あ、あの。この、栞をください」
店主に支払いを済ませ、包んでもらった栞を受け取ったリーシャはほっとしたように柔らかな笑みを浮かべた。
王城内では硬い表情を浮かべていることの多い彼女が、年相応の少女として無邪気な姿を見せている。そのようなリーシャの様子を見ていると、不思議とカイルの心も安らいだ。
「少し座りましょうか」
オープンカフェに空席を見つけたので、歩き疲れたであろう彼女に休憩を促す。
芳しい花の香りのする紅茶と林檎のパイを味わい、一息つく。ティーカップを置き、周囲を軽く見渡したリーシャは嬉しそうに表情を緩めた。
「皆さん、すごく楽しそうですね。どなたも笑っています。これがお祭りというものなのですね」
「……リリア様も、楽しんでおられるように見えます」
「はい。とっても」
ふわりと、花が咲いたようにリーシャは微笑む。
彼女の、心の底からの笑顔を目にするのは随分と久しぶりに思えた。
***
カフェを後にし、しばらくは楽しそうに周りを見ながら歩いていたリーシャだが、急に元気がなくなってきたように見えた。心なしか足取りも重いような気がする。
どうしたのだろう。慣れない場所に来てやはり疲れが出てきたのだろうか。帰城を早めるべきか思案していると、ふいに躊躇いがちに袖を引かれた。
「カイル、あの……」
「はい、なんでしょう」
足を止めたリーシャに倣い、何か言いたげな彼女の言葉を待つ。
リーシャはもごもごと唇を動かすと、俯きがちに口を開いた。
「えっと……」
「?」
「その……」
もじもじとどこか落ち着かない彼女の様子に気付き、もしや、と勘付く。
「……お手洗いですか?」
周囲を憚りながら小声で訊ねると、リーシャはびくっと肩を震わせ、僅かな沈黙ののちに小さく首を縦に振った。
「承知しました」
一番近くの手洗いに足を向けると、女性用には長い列ができていた。
見物客が多いのだから仕方がないとは思うが、彼女は待てるだろうかと心配になる。
「……他の場所を探しましょうか?」
我慢できますか、などと直接訊くわけにはいかないので言葉を選んで訊ねたが、リーシャは小さく首を振った。もっとも、この混みようだと他の場所も同じようなものだろう。
「……あ、あの、一人で大丈夫なので、カイルは向こうで待っていてくれませんか?」
リーシャはおずおずと告げると、少し離れた場所にあるベンチをそっと指差した。
護衛として彼女の傍を離れるわけにはいかないが、トイレに並んでいるときに付き添われたくないという気持ちも理解できる。
「承知しました。お待ちしております」
リーシャの言葉を聞き入れ、離れたところで待つことにする。けれど彼女から目を離すことはなく、何かあればすぐに駆けつけられるようにしておく。
一番後ろに並んでいたリーシャの後にも女性が何人か並び、トイレの順番を待つ人の列は少しずつ伸びていく。反対に、列の進みようは果てしなく遅かった。
リーシャの様子をそっと窺う。最初はじっと静かに立っているように見えたが、時折小さく身体を揺すったりスカートを握り締めたりするようになった。人目があるから大きな動きができないだけで、もしかしたら限界が近いのではないだろうか。
列の先はまだ長く、彼女が手洗いを済ませるにはまだ時間がかかるだろう。
先日、森の中で目にしてしまったリーシャの姿を思い出す。フリルやレースがふんだんに使われたドレスをぐっしょりと濡らして、泣いていた。
いまこの場で身元が知られることはないとしても、年頃の少女が人前で粗相するような事態になることは避けなければならない。何よりも彼女を傷付けたくはない。
どこか人目のない場所に連れて行った方が良いだろうかと考えを巡らせていると、ふいにリーシャが列から抜け出すのが目に入った。ドレスの裾を翻し、人波に紛れていく。慌てて彼女の後を追いかけた。
人だかりの隙間を縫って駆けていくリーシャの姿を見失わないように目で追い続けるが、カイルは彼女と違って身体が大きいので何度も人とぶつかりそうになり、なかなか距離が縮まらない。リーシャが大通りから外れて細い道に入っていくのを見て、強引に人だかりを掻き分けた。人にぶつかり文句を言われるが、構っている暇はない。ひたすらに足を前に進める。
「リーシャ様……!?」
彼女が入ったと思われる路地裏に足を踏み入れたが、誰もいなかった。
てっきり人目を避けて用を足すつもりなのかもしれないと思ったが姿が見えない。一体どこに行ってしまったのか。狼狽しながら辺りを見回す。
来た道を戻るべきか。他の道に入ったのかもしれない。
踵を返そうとしたとき、ふと、見覚えのある色が視界の端を掠めた気がした。
違和感を覚えた方へ視線を向けると、大通りへと続く道に幌の付いた荷運び用の馬車が止まっていた。行商人だろうか。一見不審には思えないが、二人の男が何かを運び込んでいる。カイルは考える間もなく駆け出していた。
「……おい、早くしろ」
「大丈夫だって、誰にも見られてな――」
耳に入ってきた小声の会話に確信し、音もなく剣を抜く。
「――私の大切なお方を、どこへ連れていくつもりですか?」
冷ややかな声とともに、指示を出していた男の首筋に剣を突き立てた。
「誰だ!? ……っ」
「な、なんだテメェ!?」
男が振り向いた隙に鳩尾を殴り地面に倒す。もう一人の男が顔を上げた際に幌の隙間から見覚えのあるブーツが目に入り、容赦なく斬りつけた。血を流して地面に倒れ伏した男を見て、殴られたまま動けずにいた男がひっと悲鳴を上げる。顔の横に剣を突き立てると、恐怖のあまりか失神してしまった。
気絶した男二人には目もくれず、カイルは馬車の中を覗いた。中には思った通り、リーシャが倒れていた。見たところ外傷はないが、何らかの方法で気絶させられたのだろう。
自分が至らないせいで彼女を危険な目に遭わせてしまった。ほんの一時とはいえ彼女の傍を離れてしまったことに対する後悔と、自分の迂闊さに怒りが湧いた。
ロープが落ちているのを見つけたので、外で倒れている男二人を動けないように縛っておく。剣で斬りつけた男は血が出ているが致命傷となるような傷ではない。少しの間放っておいたところですぐに死ぬことはないだろう。
馬車の中には手足を縛られ気絶している少女の姿が何人かあったが、気に留めることなくリーシャだけを抱きかかえて馬車を降りた。
大通りに出てすぐに見かけた警備兵に自分と彼女の身元を明かし簡潔に事情を説明する。
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