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21.修学旅行、最終日

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「んん……」
 
 枕元から聞こえてくるアラーム音によって、眠りの中にあった意識が浮上させられる。
 手探りでスマホを掴み、ぼんやりと目を開けて画面をタップする。再び目を閉じそうになるのをなんとか堪えるけれど、すぐには起き上がれない。ごろんと寝返りを打つと、隣の布団にいるなずなと目が合った。
 
「茜ちゃん、おはよ」
「……おはよう、なずなちゃん」
 
 そうだった。自室ではなかった。寝起きのぼんやりした頭でようやく現状を思い出す。
 
「布団、大丈夫?」
「うん。大丈夫みたい」
 
 抑えた声で訊ねられて、そっと頷く。幸い、今朝は布団が濡れていなかった。もしも旅先で二日連続失敗していたら、今日はもう何もできないくらい落ち込むところだった。
 
「茜、なずな、早く起きないと。朝ご飯きちゃうよ!」
「はぁい」
「柚香は朝から元気だね……」
 
 早くに起きたのか、すでに着替えまで済ませている柚香に声をかけられて渋々身体を起こす。ほかの女子たちは髪を梳かしたり着替えたりとそれぞれ身支度を整えている。朝に弱いのは茜となずなだけのようだ。
 
(おしっこ……)
 
 布団を剥がした途端、膀胱がずしりと重たいことに気付いた。一晩分のおしっこがしっかりと溜まっている。
 さりげなく室内を見渡すが、自分も含めて六人全員いた。部屋のトイレに入っている人はいないみたいだ。立ち上がろうとすると、再びなずなと視線がぶつかった。
 
「茜ちゃん、先トイレ行っていいよ」
「う、うん。ありがとう」
 
 順番を譲られて、かあっと頬が熱くなる。けれど断る余裕はなくて、茜はそそくさとトイレに向かった。
 ジャージと下着を一気に下ろして便座に腰かける。ボタンを押して擬音が流れ出すのとほぼ同時に、水流が迸った。
 しゅうぅぅ、ぱちゃぱちゃ。音消しをしていても、水面を叩く微かな水音はどうしても自分の耳には入ってくる。夜中に一度トイレを済ませたのに、どうして朝になるとこんなにおしっこが溜まっているのだろう。不思議でならないが、とにかくおねしょは回避できたのでよかった。
 待っているであろうなずなのために、茜は急いで用を足してトイレから出る。ちょうど外で待っていたなずなが入れ替わりでトイレに入った。
 
 手を洗ってから顔も洗って、鏡に映る自分の顔を眺める。少し寝不足かと思ったけれど、顔色は悪くない。このまま何事もなく一日を過ごして、夏癸がいる家に早く帰りたい。
 今日は修学旅行三日目、最終日だ。
 
 ***
 
 三日目はクラス別行動。茜たちのクラスは生八ツ橋作りの体験をしてから、受験生としては定番の北野天満宮に参拝した。湯豆腐のお店で昼食を済ませ、気が付けば帰りの新幹線に揺られていた。
 
「……ん」
 
 柚香となずなとおしゃべりをしていたと思っていたのに、いつの間にか眠っていたらしい。ふと目を開けた茜は生理現象を催していることに気付いた。
 横を見ると、二人とも目を閉じて微かな寝息を立てている。通路側なので気兼ねなく席を立ち、トイレを済ませてそっと戻ってくる。
  
(あと三十分くらいかな……)
 
 腕時計を見てから、しおりに書かれていた新幹線の到着時刻を思い出す。
 新幹線は渋滞の心配がないので安心だ。駅から学校まではバスでの移動になるが、それも一時間程度の距離なので心配はない。
 手持ち無沙汰になってスマホを見ると、夏癸からメッセージの返信が来ていることに気付いた。
 
【帰りの新幹線に乗りました】
 
 そう送ったのは、新幹線に乗って席に着いた直後。
 
【気をつけて。予定通り、学校に迎えに行きますね】
 
 夏癸からのメッセージは、茜が送った数分後に来ていた。
 忙しいかもしれないからすぐには返信が来ないだろうと、スマホをしまっていたことを少しだけ後悔する。今更反応を返すのはなんとなく憚られて、既読スルーする形になってしまう。
 声や文章だけでなく、早く夏癸に会いたい。あとたったの一時間半程度の距離なのに、焦がれるような気持ちは強くなるばかりだった。
 
 ***
 
「夏癸さん、ただいま!」
「おかえりなさい、お疲れ様でした」
 
 学校に着いて解団式を終え、迎えに来た保護者でごった返している駐車場へ向かう。夏癸の姿はすぐに見つけることができた。車に荷物を詰め込み、柚香とともに後部座席に並んで座る。車を発進させてから、夏癸が口を開いた。
 
「修学旅行どうでした?」
「楽しかったです。貴船神社とかにも行けたし……あと、今日、八ツ橋作りました!」
「茜めっちゃ上手でしたよー」
 
 旅行中の出来事を軽く話しながら柚香をマンションまで送り届ける。それからまっすぐに帰宅し、茜は玄関先でさっそく荷物を開いた。
 
「あの、これ、お土産です!」
「ありがとうございます。八ツ橋と抹茶ラングドシャ……と、湯葉ですか?」
「うん。夏癸さん、好きかなって」
「嬉しいです。さっそく夕飯に使いましょうか」

 顔を綻ばせた夏癸はきっと本当に喜んでくれている。
 喜んでもらえてよかった、と安堵しつつ、茜はふと疑問に思っていたことを訊ねてみた。
 
「そういえば、夏癸さんは中学の修学旅行ってどこに行ったんですか? やっぱり京都とか?」
「そうですね、中学は……確かオーストラリアでしたね……」
「えっ!? 海外だったんですか!?」

 予想外の回答に思わず目を丸くする。
 夏癸は少しだけばつが悪そうな顔で言葉を続けた。
 
「少し特殊な学校だったんですよね。ああ、そういえば、茜にハガキが届いていましたよ。持ってきますね」
「わたしに?」
 
 夏癸はふと居間に足を向けてから、すぐに戻ってきた。
 中学生の頃の夏癸の話をもっと聞いてみたかったが、なんだか上手く話を逸らされたような気がする。
 差し出されたハガキは確かに茜宛のもので、発送元の住所はよく知っている出版社のものだった。そこに書かれていた名前に一瞬目を疑う。
 
「葉月マヤ先生!?」
 
 大好きな少女小説『伯爵様の花嫁』シリーズを執筆している著者の名前だ。驚きつつハガキを裏返すと、西洋の古城と思われる写真が使われたポストカードだった。
 『応援ありがとう。受験勉強がんばってね』と直筆のメッセージとともにサインが添えられている。
 少し前に、勇気を出して初めて送ったファンレターに対する返信だった。
 
「わ、わ、どうしよう!? 夏癸さん、葉月先生から、お返事が……!」
「ええ。よかったですね」
 
 微笑を浮かべた夏癸の表情になぜか違和感を覚えて、首を傾げる。
 
「夏癸さん?」
「……すみません。私も茜からファンレターをもらってみたいなと、思ってしまいました」
「え、ええと、でも一緒に住んでるのにファンレター送るのって、変じゃないですか……?」
 
 出版社を通して手紙を送るとなると、担当編集も目を通すことになるだろう。夏癸の担当になる人たちは茜のことを少なからず知っているので、ファンレターを読まれると思うと気恥ずかしい。それに、夏癸の本はいつも読み終わった直後に、直接感想を伝えている。
 
「やっぱりだめですか?」
「えっと……」
 
 夏癸にしては珍しくねだるような視線を向けられて、思わずたじろぐ。
 自分のファンレターを彼がそこまで欲しがってくれるのなら、書いてみてもいいかもしれない。けれどさすがに即答はできなかった。
 
「すみません、困らせてしまいましたね。忘れてください」
 
 着替えておいでと促されて、茜は黙ったまま頷いた。二階の自室に向かいながら、じわじわと頬に熱が集まってくるのを感じる。
 夏癸のことを、かわいい、と思ってしまった。そんなことを思ったのは初めてで、自分自身に戸惑う。ファンレターの返事をもらえた嬉しさは忘れてしまいそうだった。
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