うちの娘には××癖があります

志月さら

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18.予想外の失敗

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 土産物屋が並ぶ通りを歩いていると、ふいに身体がぶるりと震えた。どうしよう。急にトイレに行きたくなってしまった。
 さりげなく周りを見渡してみるが、近くにあるのは小さな商店ばかりで公衆トイレのようなものは見当たらない。トイレを貸してもらえるかはわからないし、第一お店の人に聞くのは恥ずかしい。どこか確実にトイレがあるところへ移動したほうがいいかもしれない。

「茜、そろそろ行くってー」
「う、うん」

 近くにいた柚香に呼ばれて足を向ける。班のみんなと一緒に歩きながら、隣にいる柚香の顔をさりげなく窺った。口を開こうとして、けれど言葉が出てこなく再び閉じてしまう。

「……」

 どうしよう。どうしよう。ちゃんと、言わないと。トイレに行きたいって伝えないと。
 焦る気持ちとともに尿意が高まってくる。なんで、どうしてこんなに、おしっこしたくなるの。
 一歩足を踏み出すたびに、ちゃぷんとお腹の奥が揺れた。さりげなく膝を擦り合わせる。おしっこ。おしっこ。早く、したい。トイレ、どこかにないかな。
 焦りながら、それでも必死に足を前に動かしていると、ふいにぞくぞくっと背筋に寒気が走った。ほぼ同時に、じわ……と下着に濡れた感触が広がる。

「ゃっ……だ、だめっ」

 慌ててスカートの前を両手で押さえつける。それなのに身体は勝手に限界を迎えてしまい、しょろ、と温かいものが下着を濡らした。思わず、その場で足を止める。
 じゅー、びちゃびちゃ。
 脚を伝い落ちたおしっこが、音を立てて足元の地面に水溜まりを作り上げていく。柚香となずなが何か言っている気がするけれどよく聞こえない。椋と大樹にもきっと見られている。恥ずかしさに頬が熱くなる。少しでも彼らの視線から逃れたくて、茜は深く俯いた。

 水音はまだ止まない。そんなに我慢していたつもりはなかったのに、おしっこは次から次へと溢れてきて下着やスカートを濡らしていく。
 周囲の騒めきが耳に入ってくる。こんなに人目があるところで、おしっこを、漏らしてしまった。
 お尻の下に温かい感触が広がるのを感じながら、茜はただ呆然と立ち尽くしていた――。


「……っ!」

 はっとして目を覚ました。ぼんやりとした薄暗い視界に見慣れない天井が映っている。

(なんだ、夢……)

 安心しつつベッドの中で身じろぐと、ぐしょ、と嫌な感触を捉えてしまった。

(うそ、やだ、なんで……?)

 嫌だ。信じたくない。そう思いながらも手をそこに伸ばしてしまう。シーツに触れた茜の指先には確かに濡れた布地があった。下着も、寝間着代わりのジャージもお尻から腰の辺りが冷たくなっている。
 ――おねしょを、してしまった。
 どうしよう、と寝起きの混乱した頭のまま考えを巡らす。ひとまず起き上がって時間を確認すると、枕元の時計は午前一時を示していた。起床時刻の六時まではまだまだ時間がある。

(とりあえず、着替えて、それから、ベッドを片付けて――)

 やるべきことを頭の中で思い浮かべるのに身体が動かない。そもそもベッドの始末はどうしたらいいのだろう。家で使っているような防水シーツを使っているわけではないから、きっとマットレスまで汚れてしまっている。

「……っ」

 じわりと視界が滲んだ。泣いたってどうしようもないとわかっているのに涙がせり上がってくる。家とは違い夏癸はいないのだから、自分でなんとかしないと。泣いている場合ではないのに。
 掛け布団ごと膝を抱えて、顔を押しつける。そうして無理矢理涙を止めようとしていると、ふいに隣のベッドから声が聞こえてきた。

「……あ、かね? どうしたの?」
「……!」

 びくり、と肩が震えた。応えようとしたけれど、口を開いても喉の奥が震えるだけで声にならない。

「どうしたのぉー?」

 二つ隣のベッドから、眠そうななずなの声まで聞こえてくる。
 それでも黙ったままでいると、二つの足音が静かにベッドに歩み寄ってきた。

「……茜ちゃん? 大丈夫?」 
「具合悪い?」

 心配そうな声に申し訳なくなってくる。茜は意を決して、おずおずと顔を上げた。

「わ、わたし、あの……」

 震える声でなんとか告げようとしたけれど、それ以上は言葉にならなかった。口を噤んでしまう茜の様子を見ていた柚香が、ふと何かに気付いたように口を開いた。

「……もしかして、おねしょした?」

 彼女の声が耳に入った途端、ぼろぼろと涙がこぼれた。

「わー! ごめんごめんごめん、泣かないで!」
「……っ」

 あたふたする柚香に対して、慌てて首を振る。
 違う、柚香のせいで泣いたわけではないと伝えたくて。

「ご、めん……だいじょうぶ……」

 なんとか声を絞り出して、袖で涙を拭う。すると、なずなにそっと顔を覗き込まれた。

「茜ちゃんが謝ることないよ。柚香の訊き方が悪いんだし」
「うん。ごめん」
「ううん……ほんとに、しちゃったから」

 恥ずかしく思いながらも正直に告げると、なずなが少しだけ目を丸くした。

「……あれとかじゃなくて?」
「ちがう、と思う」

 今月はもう終わったので次は当分先のはずだ。それに、そのときとは明らかに濡れた感触が違う。枕元の明かりだけを頼りにおそるおそる掛け布団の中を覗いてみると、やはりシーツの上に広がっていたのは粗相の跡だった。

「やっぱり……お、おねしょ、しちゃったみたい」
「そっか。うん、まあ、そういうこともあるよね。えーと、どうしようか」

 茜もなずなも互いに恥ずかしさと気まずさを感じていると、ふいに柚香が立ち上がった。

「あたし、先生起こしてくる」

 えっ、と茜は狼狽した。

「や、やだ……」
「だってベッドどうにかしないと。朝になってからだと他の子にバレるかもだし」

 確かに柚香の言うことはもっともで、茜は小さく頷いた。部屋を出ていく彼女を黙ったまま見送る。ほんの少しの沈黙のあと、なずなが口を開いた。

「とりあえず、先に着替えちゃおう? 先生来たときにそのままじゃ嫌でしょ?」

 なずなに促されてバスルームに足を向ける。ベッドから出るときに彼女に濡れたジャージを見られるのは恥ずかしかったけれど、さりげなく目を逸らしてくれていた。
 バスルームで一人きりになってから、茜は頭を悩ませた。着替えは余分に持ってきたので問題ないが、汚したものの処理はどうしよう。さすがにそのまま最終日まで持ち歩きたくはないので、シャワーを浴びながら手早くお湯で洗ってしまう。

 身体を綺麗にして、新しい下着とジャージに着替える。汚してしまった衣服は浴槽の縁にかけておく。朝までに乾いてくれるといいのだけれど。
 おずおずとバスルームから出ると、部屋の電気が点いていて、修学旅行に同行してきている養護教諭の榎本が室内にいた。柚香となずなと何かを話していたようだが、茜に気付いてこちらを振り向く。

「あ、椎名さん。大丈夫? 体調悪かったりしない?」
「は、はい……大丈夫、です」

 茜が汚してしまったベッドには掛け布団がかけられたままだったが、ベッドから出たときと少し位置がずれている気がする。濡れたシーツを確認されたのかと思うと頬が熱くなった。

「一応、熱測っておこうか?」

 そう言われて差し出された体温計で熱を測る。シャワーを浴びたばかりなのでほんの少しだけ高いけれど、平熱の範囲内だった。

「うん、熱はないみたいね。慣れない環境で疲れちゃったかな。たまにあることだから、あんまり気にしないでね」
「あの、ベッドの片付け、どうしたらいいですか」

 不安に思っていたことを訊ねると、榎本は優しく微笑んだ。

「ホテルの人に伝えておくから、あとのことは心配しなくて大丈夫よ」
「……ほかの先生に知らせたりって、しますか……?」
「そうね。一応、担任の橘先生には伝えなきゃいけないんだけど、やっぱりいや?」

 僅かに逡巡したのち、茜は小さく首を振った。担任が男性の先生だったら伝えられたくないが、女性の橘ならまだ抵抗感は少ない。もちろん恥ずかしいことに変わりはないけれど。

「橘先生だけなら……」
「ええ。ほかの人には絶対に言わないから、安心して」

 榎本の柔らかい声に、こくりと頷く。

「それじゃあ、明日も早いしもう寝なさいって言いたいところなんだけど……どうする? ベッド使えないし、先生の部屋で寝ようか?」
「えっと……」

 榎本の部屋は保健室代わりになっているが、一人だけ先生の部屋に行って寝るのは緊張してしまう。思わず、助けを求めるように柚香に視線を向けると、自分のベッドに座っていた彼女は立ち上がって茜の腕を絡め取った。

「あたしのベッドで一緒に寝よ! 先生と一緒って緊張して眠れないでしょ」

 こくこくと頷いて柚香に同意する。榎本は苦笑しつつも了承してくれた。

「あ、そうだ。椎名さん、汚れた服、先生が明日コインランドリーで洗っておこうか?」
「えっ、いえ、大丈夫ですっ」
「でも、着替え足りなくなっちゃわない? そのままにしておかないほうがいいし、遠慮しなくていいから、ね?」
「……わかりました。お願いします」

 まさか粗相したときのために着替えを余分に持ってきているとは、口が裂けても言えない。バスルームで干しておくつもりだった湿った衣服を榎本に預け、部屋を出ていく彼女を見送った。ふと時計を見ると、もう少しで二時になるところだった。
 先生やホテルに迷惑をかけたことも、柚香となずなの睡眠時間を減らしてしまったことも申し訳なくなってくる。

「起こしちゃってごめんね」
「気にしなくていいって。なんとかなってよかった」
「ほら、茜、おいで」
「ん、ちょっと待ってて……」

 心配なのでもう一度トイレを済ませておく。茜がトイレから出ると、なずなと柚香も順番にトイレに行ってからベッドへ入った。枕元の小さな明かり以外を再び消してから、柚香の隣へ潜り込む。声を落として、そっと口を開いた。

「ごめんね、狭くない?」
「大丈夫大丈夫」
「……もし、またしちゃったらどうしよう」
「そのときはあたしがおねしょしたことにするし」

 思わず不安を吐露する茜に、微かに笑みを含んだ声で柚香が応えた。

「大丈夫だって。そんな何回もしないよ。ほら、早く寝よう。おやすみ」
「……うん。おやすみ」

 傍らに柚香の体温を感じながら目を閉じる。すぐには眠れないような気がしていたけれど、気付かぬうちに夢の世界へと誘われていた。
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