上 下
8 / 52

7.家庭訪問

しおりを挟む
 自宅の居間で、茜は緊張した面持ちで正座していた。
 隣には同じように膝を揃えた夏癸がいて、向かいには担任の橘葉子が腰を下ろしている。
 今日は家庭訪問の日だった。毎年のことだが、学校の先生が家に来るというシチュエーションにはどうしても慣れなくて、つい緊張してしまう。子どもが同席するかどうかは自由なのだが、自分のことを話していると思うと気になって仕方ないので、茜は毎年同席させてもらっていた。

 橘と夏癸は穏やかな様子で茜の学校での様子や家庭での様子などを話している。茜は口を挟むことなく二人の会話を聞いていた。少々複雑な家庭環境であることを自覚しているが、前年の担任からしっかり引き継ぎがされているのか、夏癸に対して不信感を抱いてはいないようだ。

「……では、茜さんが小さい頃から日向さんとは顔見知りだったんですね」
「ええ、そうです。茜は学校ではどうですか?」
「そうですね、普段は静かですけど、授業中にはしっかり発言もしていますよ。一年生のときから授業は受け持っていましたが、テストなどもいつもよく頑張っていますし、部活や委員会での活動もきちんと行っていると聞いています」

 茜としては普通にやるべきことをしているだけのつもりなのだが、褒められるとなんだか気恥ずかしくて思わず俯いてしまう。

「ほかに、なにか気になることなどはありますか?」
「いえ、とくには……茜からは、先生に伝えておきたいことはありますか?」
「だ、大丈夫です」

 俯いたまま、茜は小さな声で応えた。
 夏癸は口が堅いので、彼女がいまだに時々おねしょをしてしまうこと、私生活では歳のわりに粗相が多いことなど、うっかり口を滑らせることは決してない。
 茜自身も細心の注意を払っているので、中学生になってからは学校では盛大な失敗をしたことはなかった。羞恥心もあり、担任教師にトイレの心配を伝えたくはない。
 最後に、進路についての話題になった。

「進路希望は藤森高校が第一志望ですね。茜さんの成績なら頑張れば特進科も狙えそうだけど……普通科でいいの?」
「……ええと、特進科はちょっと難しそうなので、普通科にしたいです」

 少し迷ってから、茜は正直な気持ちを口にした。
 高校生の夏癸はきっと特進科に通っていたのだろうが、茜にとっては敷居が高い。それに、進路希望調査を提出する前に柚香から志望校を決めたか訊かれて、藤森高校にすると答えたら彼女も同じ志望校にすると言ってその場で白紙の調査票に記入していたのだ。
 茜が知っている限りでの柚香の成績では藤森高校は少し難しいのではとも思ってしまうが、彼女が受けるとしたら普通科だろう。柚香がどこまで本気なのかはまだわからないが、小中と一緒の学校に通ってきたので高校も同じになれたら嬉しい。

「藤森高校を受ける子は私立を併願することが多いけど、滑り止めの受験は考えている?」
「そこまでは、まだ……」

 滑り止めとして私立を受けることはまったく考えていなかった。ちら、と夏癸の顔を窺うと彼は目元を和らげて口を開いた。

「必要でしたら併願も考えます。ですが、いますぐに決めなければいけないことではないですよね?」
「ええ。夏休み前から学校見学も開催されますし、最終的に志望校を確定させるのは十二月の三者懇談になるので、焦らずによく考えて決めていきましょう」

 橘の言葉を聞いて、茜は小さく息を吐いた。夏癸ともよく話し合ってどうするか決めないといけない。初めての受験に対して不安は大きいけれど、なんとか乗り越えたい。
 二十分程度で家庭訪問は終了し、橘は立ち上がりながら申し訳なさそうに口を開いた。

「あの、すみません。お手洗いをお借りしてもよろしいでしょうか?」
「どうぞ。こちらです」

 夏癸が席を立って案内する。
 湯茶の用意は必要ないと事前に通知されていて実際夏癸も用意をしていなかったのだが、茜の順番は後半のほうだったので彼女もトイレに行きたくなってしまったのだろう。廊下に出ていく二人を見送り、茜は正座したままそっと膝を擦り合わせた。

 ――実は茜自身も、家庭訪問中、トイレに行きたいのを我慢していた。
 お昼過ぎに家に帰ってきてから一度はトイレを済ませたのだが、訪問時間を待つ間にじわじわと尿意を催してしまった。先生が来る前に行っておこう、とそう思った矢先に予定の時間よりも少しだけ早く橘が来てしまい、結局タイミングを逃してしまった。
 べつに、物凄く切羽詰まっているわけではない。ないのだが、家庭訪問が終わったらすぐにトイレに立とうと思っていたので、先を越されてしまってなんだか落ち着かない気持ちになっていた。

 爪先を丸めてそわそわしてしまう。早く出てきてくれないかな。そんなことを思って待っていると、しばらくして廊下を歩いてくる足音が聞こえた。
 玄関先で二人が挨拶をしている声が漏れ聞こえてくる。見送ったほうがいいかと思ったけれど、立ち上がろうとしたら足に力が入らなかった。ずっと正座していたせいか、足が痺れてしまったみたいだ。
 どうしよう、と焦りに襲われる。このままではすぐにトイレに行くこともできない。
 玄関の引き戸を閉める音が耳に届き、ほどなくして居間に入ってきた夏癸に、茜は縋るように視線を向けた。

「茜? どうしました?」
「あ、足が……痺れちゃって……」
「大丈夫ですか?」
「立たせてください……っ」

 恥ずかしく思いながらも頼むと、夏癸は呆れることもなく手を貸してくれた。彼に体重を預けながら足を崩してそっと腰を上げる。足の裏にぴりぴりと痛みが走ったけれど、なんとか立ち上がることができた。
 けれどすぐに歩き出すことはできなくて、足の痺れが取れるまで立ったまま夏癸にしがみついていた。座っている間は平気だったのに、立ち上がった途端に尿意が強まった気がして思わず膝を擦り合わせてしまう。

「トイレですか? 連れていってあげましょうか?」
「っ、大丈夫です……!」

 以前体調が悪いときにお姫様抱っこでトイレまで連れていかれたことを思い出してしまい、かあっと顔が熱くなった。さすがにそれは恥ずかしすぎるので断り、一人で廊下へ出る。そうはいってもまだ普段通りにすたすたと歩くことはできなくて、壁に手をつきながらよたよたと歩いていった。
 いつもより時間をかけてトイレに辿り着いた。大丈夫、まだ余裕はある。落ち着いて中に入り、鍵をかける。下着を下ろして便座に腰かけ、お腹の力を抜くと、しゅいぃ……と水流が迸った。さほど時間をかけることなく排尿を終え、茜はそっと息を吐いた。
 下着を汚すことも床を汚すこともなく無事に用を足すことができた。当然、これが普通なのだけれど、間に合わないことも決して少なくないのだ。

(もちろん、いつもおもらししているわけじゃないけど……!)

 誰に言い訳するでもなく心の内で思いながら、ざあと水を流してドアを開けた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

「学校でトイレは1日2回まで」という校則がある女子校の話

赤髪命
大衆娯楽
とある地方の私立女子校、御清水学園には、ある変わった校則があった。 「校内のトイレを使うには、毎朝各個人に2枚ずつ配られるコインを使用しなければならない」 そんな校則の中で生活する少女たちの、おしがまと助け合いの物語

周りの女子に自分のおしっこを転送できる能力を得たので女子のお漏らしを堪能しようと思います

赤髪命
大衆娯楽
中学二年生の杉本 翔は、ある日突然、女神と名乗る女性から、女子に自分のおしっこを転送する能力を貰った。 「これで女子のお漏らし見放題じゃねーか!」 果たして上手くいくのだろうか。 ※雑ですが許してください(笑)

校外学習の帰りに渋滞に巻き込まれた女子高生たちが集団お漏らしする話

赤髪命
大衆娯楽
※この作品は「校外学習の帰りに渋滞に巻き込まれた女子高生たちが小さな公園のトイレをみんなで使う話」のifバージョンとして、もっと渋滞がひどくトイレ休憩云々の前に高速道路上でバスが立ち往生していた場合を描く公式2次創作です。 前作との文体、文章量の違いはありますがその分キャラクターを濃く描いていくのでお楽しみ下さい。(評判が良ければ彼女たちの日常編もいずれ連載するかもです)

放課後の生徒会室

志月さら
恋愛
春日知佳はある日の放課後、生徒会室で必死におしっこを我慢していた。幼馴染の三好司が書類の存在を忘れていて、生徒会長の楠木旭は殺気立っている。そんな状況でトイレに行きたいと言い出すことができない知佳は、ついに彼らの前でおもらしをしてしまい――。 ※この作品はpixiv、カクヨムにも掲載しています。

おしっこ我慢が趣味の彼女と、女子の尿意が見えるようになった僕。

赤髪命
青春
~ある日目が覚めると、なぜか周りの女子に黄色い尻尾のようなものが見えるようになっていた~ 高校一年生の小林雄太は、ある日突然女子の尿意が見えるようになった。 (特にその尿意に干渉できるわけでもないし、そんなに意味を感じないな……) そう考えていた雄太だったが、クラスのアイドル的存在の鈴木彩音が実はおしっこを我慢することが趣味だと知り……?

6年生になっても

ryo
大衆娯楽
おもらしが治らない女の子が集団生活に苦戦するお話です。

おもらしの想い出

吉野のりこ
大衆娯楽
高校生にもなって、おもらし、そんな想い出の連続です。

名前を書くとお漏らしさせることが出来るノートを拾ったのでイジメてくる女子に復讐します。ついでにアイドルとかも漏らさせてやりたい放題します

カルラ アンジェリ
ファンタジー
平凡な高校生暁 大地は陰キャな性格も手伝って女子からイジメられていた。 そんな毎日に鬱憤が溜まっていたが相手が女子では暴力でやり返すことも出来ず苦しんでいた大地はある日一冊のノートを拾う。 それはお漏らしノートという物でこれに名前を書くと対象を自在にお漏らしさせることが出来るというのだ。 これを使い主人公はいじめっ子女子たちに復讐を開始する。 更にそれがきっかけで元からあったお漏らしフェチの素養は高まりアイドルも漏らさせていきやりたい放題することに。 ネット上ではこの怪事件が何らかの超常現象の力と話題になりそれを失禁王から略してシンと呼び一部から奉られることになる。 しかしその変態行為を許さない美少女名探偵が現れシンの正体を暴くことを誓い…… これはそんな一人の変態男と美少女名探偵の頭脳戦とお漏らしを楽しむ物語。

処理中です...