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第一章

第2話:弟の話が長い

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 ベッドに腰を掛けたジルとエリスは、二人で仲良く話していた。正確にいえば、ジルが大袈裟に手を使いながら一方的に話し込み、相槌を打つエリスが聞き続けているだけだが。

 そんな弟の元気な姿が久しぶりに見れて嬉しい気持ちはあるものの、エリスは少しばかり違和感を覚えていた。

(看病している頃から気になってたけど、体が成長してないのよね。ポーションだけで生き長らえたといっても、こんな話は聞いたことがないわ。成長を阻害するような効果が呪いにあったのかな)

 この世界の治療は、ほとんどのケースが錬金術で作り出すポーションになる。栄養剤や成長剤を混ぜ込むこともあり、ジルのように三年間も寝込んでいたとしても、普通に体は成長する。当然、ジルにも同じポーションを飲ませていたため、成長しないはずはないのだが、現実は三年前と変わらない幼い容姿のままだった。

 まるで、成長することを止められてしまったかのように。

「……エリスお姉ちゃん。……エリスお姉ちゃん!」

「えっ? あ、なに?」

「僕の話、ちゃんと聞いてる?」

「も、もちろん、ちゃんと聞いてるよ。えーっと、あれでしょ。大根! そう、大根の話!」

「うん、大根に味を染み込みやすくするために、かくばってるところを包丁で切り落とすんだよ。食べられる部分だから、ちょっともったいないと思うんだけどね。ちなみに、出汁は牛スジを煮込んで作るの、ふろふき大根」

 どれほど前世の父親は熱心に料理を教えていたのだろうか。十歳にしては、食通である。英才教育の賜物といえば聞こえはいいけれど……、ふろふき大根の良さがわかる子供というのは、なかなか渋い。いや、だいぶ渋い。

 エリスからすれば、何の話やねん、という話題である。

 ジルがベラベラと話し続けている内容は、前世の思い出……というより、父親と一緒に作った料理の作り方や、その料理を食べた感想ばかり。前世の記憶を思い出したことで、料理オタクだった父親の影響が出てしまったのかもしれない。今世の父親は、物静かな人だったから。

 もう一度ジルに怒られないようにするため、エリスは何度か頷き、しっかりと相槌を入れる。元気なジルの姿を見れば、表情は勝手に緩んでしまうため、温かく微笑んでいるように見えていた。

 しかし、明らかに料理の話がマニアックすぎる。聞いたこともない料理の名前や、味の想像ができない話が多い。

 三年も眠っていれば、不思議な夢を見てもおかしくないかなーと、エリスは思う。むしろ、笑って話せるくらいの楽しい夢でよかった、と。

 でも……、限度がある!

(眠っていただけなのに、話が長いッ! こんなに話すような子だったっけ?)

 話が止まらない! 酔っぱらった酒飲みのように、料理の話ばかりでラッシュ攻撃である!

 ふろふき大根を中心とした大根の話だけで、すでに数時間が経過して、外はスッカリと夕暮れ時。今日は大根の夢を見そう。明日八百屋さんに行ったら、良い大根を選ぶことができそう。どうして食べていないのに、大根を食べたような気分になっているんだろう。

 完全に大根の話に飽きている、エリスなのであった。

 だが、久しぶりに弟が愛くるしい笑顔を向けてきて、楽しそうに話している姿を見たら……止められない! クリクリッとした大きな目で上目遣いをされれば、ニコッと笑って、うんうんと頷くしか選択肢がなかった。

「次はね、大根とブリを合わせた料理で、ブリ大根って言うの。料理の名前がそのまますぎて、ビックリするよね」

「待って。一つだけでいいから、私の話も聞いて。大事な話があるの」

 話が途切れたチャンスを逃さないと言わんばかりに、会話の流れにカットインした、エリス。まさか大根の話がまだ続くなんて……ビックリするのはそこだよ! と思いつつも、咳払いをして心を落ち着かせる。

 ジルが楽しそうに話してくれるのは、構わない。でも、元気になったからこそ、話しておかなければならないこともある。それは、寝込み続けたジルの記憶を確認するためでもあった。

「どうして三年近く寝込んでいたのか、理由はちゃんと覚えてる?」

 自分で聞いたものの、エリスの頭に思い出したくない光景が再生されてしまい、胃が焼かれるように痛み始める。三年の月日が流れたとはいえ、平凡な日常が失われた公爵家襲撃事件のことを、エリスは心の整理がつけられずにいたから。

「なんとなくだけど、覚えてるよ。三年も寝込んでるとは思わなかったけど」

「じゃあ……、お父さんとお母さんが亡くなったことは?」

「うん、なんとなく。でも思い出は残ってるし、エリスお姉ちゃんがいてくれるから、寂しくはないかな」

 ジルは前世で父親と二人暮らしだったため、母親の思い出があるだけでも幸せだと思えたし、この世界では魔物や魔族が暴れたり、隣国と武力で争ったりするため、両親がいない家も多い。

 そして、三年もの長い間、自分の面倒見てくれていた姉の存在は大きかった。姉が無事に生きていてくれて本当によかった、と思えるほどに。

 ニコッと笑うジルの姿を見て、エリスは胸をなでおろす。

 わざわざ自分に気を遣って答えるほど、ジルは大人ではない。思っていることが顔に出てしまうような、まだまだ幼い男の子だ。

「そっか。じゃあ、私ももう深く考えないことにするね。ジルが生きてくれているなら、それでいい」

 もちろん、エリスの中でも弟が生き残ってくれた影響は大きかった。いきなり一人にならなかったし、看病や治療できるポーションを探している間は、余計なことを考えずに済んだ。

 襲撃に巻き込まれたジルのために、十分な治療費を公爵家が支援してくれたこともあり、エリスの負担も少なかった。死の淵をさまよったジルが前を向こうとするのなら、自分も前を向かなければならない。

 姉の自分がクヨクヨしていては、きっとジルは前を向けなくなってしまうから。

 少ししんみりした空気が流れると、ぐぅ~、とジルのお腹がなった。ポーションだけで三年も生活をしていたため、胃の中はスッカラカン。お腹が空くのも当然のこと。

 呑気に大根の話ばかり数時間も話している方がおかしいだろう。

「お腹、空いちゃったね。ちょっと早いけど、夜ごはんにしよっか。簡単なオムライス程度だったら、私でも作れるようになったから」

 母親が生きている間、エリスは料理をしたことがなかった。この三年の間で自立する必要があったため、簡単な料理を覚えただけ。でも、ジルが元気になった今こそ、姉として、手料理の一つくらいは食べさせてあげたいと、エリスは思っている。

 しかし、目の前にいるのは、前世で四歳から六年間も中華鍋を振っていた、料理マニアの記憶を持つジルである。立ち上がろうとした姉の手を取り、調理に向かおうとしたエリスを妨害した。

「エリスお姉ちゃんは疲れてるでしょ? ずっと僕の面倒を見てくれてたんだもん。だから、僕が代わりに作るね」

 いくら家族とはいえ、献身的に面倒を見てくれたエリスに恩返しがしたい。これからは、僕がエリスお姉ちゃんの役に立たなくちゃ、という気持ちで胸がいっぱいなのだ。

「動けるようになったといっても、まだ病み上がりだよ。ゆっくりしてなきゃダメでしょ」

 エリスは譲らない! 純粋に心配な気持ちもあるとはいえ、作れるようになったオムライスを弟に食べてほしい!

「次はエリスお姉ちゃんが倒れちゃうかもしれないから、ゆっくりしてて。顔も少し痩せちゃってるでしょ」

 ジルも譲らない! 記憶の中に眠る姉よりも痩せた顔を見て、料理を作ってあげたい気持ちが上昇する!

「ゆっくりするのはジルだよ! 私がオムライスを作るの!」

 可愛い弟に、手作りオムライスを食べさせたい!

「ダメ! 僕がオムライスを作る!」

 お世話をしてくれた姉に、オムライスを食べさせたい!

 終わることのない姉弟の言い争いは、どちらかが譲るという選択肢はなかった。

 心配という言葉はどこへ行ってしまったのか。もはや、二人は自分のオムライスを食べさせることしか考えていない。久しぶりに会話できるようになった姉弟は、互いに褒めてもらいたいという承認欲求に満ち溢れている。

「こうなったら、平等にジャンケンで決めよ! 勝った方が作って、負けた方が正座待機ね」

 正座で待機する意味は、絶対にないッ!

「うん、わかった! じゃあ、僕は最初にグーを出す!」

「えっ? ん? じゃ、じゃあ、私はパー……を出すよ?」

 いきなり自分はグーを出すというジルの謎の発言に、エリスは目をパチクリさせていた。うんうんと軽快に頷く弟の姿を見て、エリスは都合のいい解釈を始めてしまう。

 言い合いになって引けなくなったから、わざと負けようとしてるのね。なんだかなんだで姉の言うことを聞く、可愛い弟だわ。もう、いくつになっても子供なんだから。程度にしか、思っていないのである!

 しかし、エリスは知らない。ジャンケンの心理戦だということを! 前世の記憶が蘇った弟は、ずる賢い作戦を実行しているということを!

 弟が不敵な笑みを浮かべていることに……、エリスは気づかない。優しい顔で微笑み返してしまう。

「じゃあ、いくよ。じゃーんけーん、ポンッ!」

 嘘は卑怯じゃん……、エリスはそう呟くのだった。
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