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辺境伯のグルメ令嬢は、婚約破棄に動じない

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「アメリア・メイラーゼ。貴様との婚約を破棄する!」

 王城の一番広いホールに響き渡るほどの大声で、突然、私は婚約者のガイラー王子に婚約破棄を言い渡された。

 誰もが動けず、沈黙してしまうのも無理はない。今は私たちの婚約パーティーの真っただ中であり、大勢の貴族たちが祝うために集まってくれている。

 そんななかで婚約破棄を言い渡すなど、正気の沙汰とは思えなかった。

 ご立腹のガイラー王子に指を差され、片手にステーキが載った皿を持っている私は、非常に注目を浴びている。もう少しタイミングが悪かったら、口の中にステーキを含んだ状態で見られているところだ。

「今日ようやくわかった。この女は、俺のことなんか考えちゃいない。メシのことだけを考えている!」

 ステーキの載った皿を持っている時点で言い逃れはできないし、否定するつもりはない。ガイラー王子のことなどどうでもよく、ごはんのことだけを考えていることを認めよう。

 ただ、私は自分の仕事をキッチリと果たした。会場にいるすべての方と挨拶を交わし、ようやく食事ができるようになったのだから、文句を言われる筋合いはない。

「ガイラー王子、そのようなことをおっしゃっているのですか?」

初めてだろう!」

 確かに、私には初めてだ。しかし、今までガイラー王子は数え切れないほど婚約破棄をしている。

 顔が好かん。声がうざい。スタイルが悪い。自分勝手な理由ばかりで、公爵家・伯爵家の貴族令嬢と婚約破棄を続け、多くの女性を傷だらけにしてきた。

 王族の血を引く者がガイラー王子しかいないため、彼は我が儘し放題のクソ王子になっている。どれほどクソかといえば、このようなことを十五年以上も繰り返しているくらいにはクソだ。

 アラサーになっても非常識で、十六歳のピチピチな私との婚約を破棄しようとするなんて、いったい何を考えているのだろうか。

 しかも、甘やかし続けてきた現国王様がようやく事態を重く受け止め「次が最後だ」と、口を酸っぱくして説教したと聞く。

 最後のチャンスと言われ、婚約していないすべての貴族女性が集められたパーティーで、彼は――、

「田舎娘にしては顔がいい。こいつで我慢しよう」

 などと言い、辺境伯の私を婚約者にすると、自分で決めたのだ。

 会場中の女性が安堵のため息を漏らすと共に、哀れみの視線を送ってきたことを私は忘れない。

 なぜなら、最後で最大の犠牲者に選ばれたのだから。

 今後、生涯かけて王子の我が儘を聞き続け、数年かけて行う妃教育を短期間で習得しなければならない。ましてや、地位の高い貴族女性たちと婚約破棄し続けたことで、関係は最悪。いつどこで反乱が起こっても文句は言えない状況だ。

 沈みかかった船に乗るような気持ちだった。

 しかし、私は受け入れた。王族に逆らってはならないとか、貴族なら政略結婚を受けるべきだとか、そんな立派な理由ではない。

 毎日おいしいものが食べられるなら、クソ王子なんてどうでもいい、そう思ったからである。そして、現国王様も宰相様と相談して約束してくれた。

 バカ息子と共に国を支えていってくれるのであれば、毎日ケーキを出そう、と。
 バカ息子の言動や我が儘に目をつぶってくれるのなら、いつでも出来立ての食事を用意しよう、と。
 バカ息子が迷惑をかけたら、他国のグルメも取り寄せよう、と。

 渡りに船とは、まさにこのことだろう。

 よって、いま婚約破棄を言い渡された私に迷惑がかかったので、他国のグルメの取り寄せが決まったところだ。ガイラー王子が暴走すればするほど、私は幸せになれる。

 現国王様が『なんとか我慢してくれ』と悲痛な表情を浮かべているため、交渉の余地がありそうだ。

 何といっても、この場所は婚約パーティーであり、友好国の王太子様もご出席されている。今まで内輪だけで揉めていた婚約破棄とは、次元が違っていた。

「ガイラー王子、どうされました? また面白い冗談を考えられましたね。婚約パーティーで婚約破棄を言い渡すなど、とてもユニークですわ」

 うふふふ、と笑って誤魔化す私の元に、執事が焼き立てのステーキを届けてくれる。いつでも出来立ての食事を用意する、それがこの国との約束なのだから。

 こんな時にまで悪いわね、セバスチャン。まだ十六歳と若いのに、本当に気が利く子だわ。

「冗談などではない! おい、大事な話をしているときに肉を食うな! そこの執事も持ってくるな!」

 本来であれば、パーティーの最中に食事をしてはならない、というルールを妃教育で教えられた。しかし、一通り挨拶をした後であれば食事をしても良い、という形に今年度より変更されている。

 理由は簡単。パーティーで食事ができないなど、私が婚約を承諾した意味がなくなるため、断固として拒否した。実家に帰らせていただこうとしたところ、アッサリと変更されたのだ。

 よって、将来の妃として、私は何も問題行動を起こしていない。

 怒鳴り散らすガイラー王子の方を向きながら、焼き立てのステーキをパクリッといただく。

 噛むたびに溢れる肉汁はとてもジューシーで、口一杯に広がるほど溢れ、甘い。赤身の多いヒレ肉は、肉の旨味が凝縮されているだけでなく、脂身が少なくてサッパリしている。パラパラと振りかけられた岩塩が身も味も引き締め、上品な味わいだった。

 あぁ~……さすがシャトーブリアンね。こんなにも柔らかい赤身なんて、罪なお味。

 でも、この肉質の良さは普通ではないわ。まさか……。

「何だあいつは! あのような者が俺の妃になるとは、我慢ならん! そうだな、顔だけは良い公爵家のリリアーナとの婚約をもう一度結び――」

 ガイラー王子の戯言を無視しているのだが、偶然にも、私は公爵家のリリアーナ様の元へと駆け出していた。

 だって、公爵家の領地で放牧して育成した淡黄牛たんおうぎゅうという品種であり、幻の肉と呼ばれるシャトーブリアンだったんだもの!

「リリアーナ様。昨年は土砂崩れの影響で家畜に甚大な被害が出たと聞きます。まだ他国への輸出を優先するべきであり、いくらお祝いの場所だとしても、限度と言うものが……」

 一国の王子の婚約パーティーとはいえ、手土産が豪華すぎる。まずは公爵家の利益を優先して、領民の支援に回すべきだろう。

「何をおっしゃるのですか。メイラーゼ辺境伯が支援して下さらなければ、今頃は領民の多くが他国へ流れていたでしょう。屈強な騎士たちを派遣してくださり、とても感謝しておりますの」

「とんでもございません。うちの私兵騎士も心を痛めた事件でした。もっとお力になれればよかったのですが」

「お世辞を抜きにして、十分に貢献してくださっておりますわ。それに……、国は何もして下さらなかったのですから」

 ピリピリした雰囲気に会場が包まれるのは、彼女が色々な意味で被害者だからである。理由は、察してほしい。

「アメリア様、何か問題がございましたら、いつでもご相談くださいね。幸いなことに、私は騎士団長様との婚約が進んでおり、今はとても幸せですので」

「まあ! それは素敵ですね! おめでとうございます!」

「ありがとうございます。婚約破棄された傷物の私を拾ってくださるなんて、優しい方ですわ」

 とても黒い笑みを浮かべる彼女とは、不思議と親しくなれる気がした。このトマトがおいしいですのよ、などと、私にオススメ食材を提供してくれるほど、好意的に接してくれている。

 そのトマトに見覚えがあったため、何気なく口に入れてみると、噛んだ瞬間に甘みがほとばしった。

 酸っぱいという感情はなく、ただひたすらに甘い。これは栽培が難しいと言われるスイートトマトで間違いない。

 スイートトマトで作られた百パーセントのトマトジュースは、どの果物で作ったジュースよりも甘く、飲み心地がいい。サラダのドレッシング代わりにかけてもおいしく、子供でも食べたくなるトマトで有名だ。

 そして、私がお姉様と敬愛するメーアベル様の地で開発されたトマトになる。

「ゴホンッ。やはり俺の妃には慎ましさが必要だ。公爵家のメーアベルとの婚約を再び――」

 偶然にも、またガイラー王子の戯言と被ってしまったが、そんなことはどうでもいい。

「メーアベルお姉様! 今年は雨が多くて、領内でスイートトマトがうまく実らないとおっしゃっていたではありませんか」

「嘘ではないわ。領内では、実らなかったのよ。でも、今はメイラーゼ辺境伯様の土地を借りて、共同栽培しているの。アメリアのお父様が打診してくれて、本当に助かったわ」

 領民に迷惑がかかるからダメだと言っていたのに、色々と考えてくださったのですね、お父様。頭でっかちのお父様にしては、随分と珍しい……おや?

「メーアベルお姉様。その薬指についているものは……」

「つい最近のことなのだけれど、アメリアの弟にいただいたのよ」

 ええーっ! あの子、草食系男子だったのに! いったいどうやって!?

 もっと早く言ってくだされば、二人の愛のキューピッドくらいはやったのだけれど……うまくいったのならそれでいいわ。

「じゃあ、本当に私たちは家族になるのですね!」

「そうね。もし何かあれば、遠慮なく言ってちょうだい。腐ったトマトのように握りつぶして差しあげるわ」

 呼吸がしにくくなるほどの緊張感が会場を埋め尽くすけれど、私には何も関係ない。呑気にメーアベルお姉様と食事を楽しむ余裕がある。

 チラッと確認してみると、さすがの我が儘し放題のクソ王子も元気がなくなっているが、自業自得。

 元気のない彼を見ながら食べる茶そばは、鼻に抜ける香りが一段と良く……。

「やはり妃にふさわしいのは、伯爵家のエマが――」

 わざとなのかと思うほど、これまた偶然にも、私はエマの方へと走り出していた。

 私より一つ年下であり、小さい頃から可愛がっている妹みたいな存在である。

「エマッ! 茶そばに使われている香りのいい茶葉は、エマの領地で採れたものでしょう? そこに風味豊かなヘーゲル家の蕎麦粉が合わさっているのは、もしかして……」

「実は、色々な意味でいいお話を頂いちゃいました。幸せの味、しちゃいましたか?」

 ちょこんっと舌を出すエマは、幸せオーラが全開だった。照れ臭そうにしているから、まだ最近の話なのだろう。

「共同開発は中止と聞いて、心配していたのよ。よかったわね、が待っていてくれて」

「アメリア様のおかげです~。手紙で説得してくれたと聞いていますよ。一方的に引き裂いただけの国とは違いますね」

 元々ヘーゲル家の長男と婚約していたエマを、国が強引に婚約解消させた経緯がある。

 ガイラー王子の我が儘で実行された挙句、たったの二週間で婚約破棄されたのだ。愛し合う二人を引き裂き、両家に亀裂を入れるという最低の王族だと思う。

 だから、私もそんなクソ王族の一員になるのなら、せめて二人の仲は戻してあげたいと思い、居ても立っても居られなくて手紙を書いたのだ。

「私の手紙なんて、ただのきっかけよ。ヘーゲル家の心が広かっただけなんだからね」

 うふふふ、と上品に笑って話していると、次々に他の貴族女性たちが私に寄ってくる。

 すべての人に一度挨拶したにもかかわらず、何やら心の中に抑え込んでいたものが湧き上がってきてしまったみたいで……。

「アメリア様。うちの弟がずっと思いを寄せているのですが、お考えいただけませんか? 婚約破棄の後に」

「我が領地も辺境伯様の影響を大きく受けておりますの。婚約破棄の後でよろしければ、兄上をご紹介しますわ」

「いつも取引をさせていただいてますし、わたくしの知り合いにも声をかけてよろしくて? 無事に婚約破棄が済んだ後にでも」

 とても神妙な面持ちで声をかけてくれるのは、その多くが婚約破棄の被害者であり、自分事のように考えてしまうからである。

 婚約パーティーで婚約破棄をされるというのは、それはもう、貴族令嬢にとって致命的な傷でしかないのだ。

 でも、何やら気が早くて困ってしまうわ。まだ婚約破棄を受け入れたわけではないというのに。

「お、お前ら! 何を言っているんだ! 次期国王の俺が……ぶほおえ!」

 顔面蒼白した現国王様が猛ダッシュしたと思ったら、ガイラー王子を殴り飛ばした。あの甘やかし続けた国王様のグーパンチがさく裂したのは、これが初めてのことだろう。

 それもそのはず。異常なまでの嫌われぶりは想定の範囲内だとは思うが、国家の危機に瀕しているとは考えてもいなかったのだ。

 まさか辺境伯のグルメ令嬢に国を乗っ取られようとしているなんて、普通は考えないのだから。

 王族ともあろう方たちが、辺境伯を田舎の貧乏貴族と勘違いしていたのかしら。大きな軍事力を持ち、隣国やあらゆる部族と手を取り合い、もしもの事態に備え続ける聡い貴族であるというのに。

 だから私は、数年かかる妃教育を一年で習得したし、婚約破棄された貴族女性たちにできる限り手を差し伸べている。激しい内乱が予想されたため、信頼を勝ち取り、それを未然に防いでいたのだ。

 そんな私を裏切ろうと婚約破棄を言い放てば、どうなるかは簡単に予想できるだろう。

 今やこの国の貴族たちから一番の信頼を得て、隣国との信頼関係を築き上げる我が家に婚約破棄を突き付けるなど、戦争の引き金を引くのと同じ行為にしかならない。

 ガイラー王子はもちろん、国王様が息子を甘やかした罪は重く、グーパンチでは済まされないのだ。

 でも、私はおいしいものが食べられればそれでいいの。国王様、国の危機を救っているのですから、取り寄せグルメは奮発してもいいですよね。

 隣国の高級メロンをたっぷりと使った、糖度の高いシャーベットで手を打ちましょうか。

「嫌だわ、皆様。本当に婚約パーティーで婚約破棄などするはずがありませんわ。ユニークな冗談ですのよ、おほほほ」

 しかし、私のフォローが間に合わない状況まで来ているんだろう。寛大な心を持っていると誤解されたみたいで、婚約破棄された経験を持つ貴族令嬢たちが涙を浮かべていた。

「おツラくありませんの?」
「私たちはいつでも味方になりますわ」
「聖女とは、アメリア様みたいな方を表しますのね」

 そ、そんな皆さん。私が聖女だなんて。よく見てください、ただの食に溺れた女ですよ。

「父上、いったい何が悪いんだ! あの女を粛清して……ぼほっ」

「馬鹿者ー! あれほど最後のチャンスだと言っておいただろう!!」

 まあ! 一番粛清されそうな人間が物騒なことを言いますわね。しっかり国王様が教育してくれているみたいですから、きっと大丈夫でしょう。

 さあ、皆さんでおいしい食事をいただきましょうか。

 あら、皆さん? どうされましたの? そんなクソ王子の元に近寄っては、クソがうつりますよ?

「もう我慢がなりません。このクソ王子は幽閉にしましょう! あと、一発殴りたい」
「国王様も責任を取っていただく必要がございますね。あと、二発殴るわ」
「王族の血、もういらないんじゃないかな。あと、三発殴るね」

 皆さん、お待ちになって。あ~、そんなにも婚約者の顔に物理的な傷を入れられては困ります。表に出られない顔の王子なんて、価値がありませんもの。

 何に影響が出るかといえば、私のグルメライフに支障をきたしてしまうわ。どうしようもないクソ王子を操り、陰ながら国を支配して、平和に暮らそうとしていただけですのに。

 でも、私の立場が悪くなることはなさそうですし、やっぱり食事にしましょうか。まだ食べ始めたばかりで、お腹が空いていますの。

 せっかく持ってきてくれた焼き立てのステーキが、少し冷めてしまったことが残念だけれど。

「こちらのご飯はいかがでしょうか」

 おっと、セバスチャン? ここで炊き立ての白米はずるいわ。ステーキをオンザライスして温めてほしいだなんて。

 ステーキの相方といえば、やっぱり白米に限るわね。予めを潜入させておいて、本当によかったわ。

 詳しい情報が流れてくるし、食事の時間は快適になるんだもの。

 とはいえ、どのレベルの白米を持ってきたかで、私は機嫌が変わる。辺境伯の人間は米にうるさいのだ。

 初めからステーキをご飯に載せるなんてマネはせず、まずは艶のある白米だけを口に放り込む。

 ふっくらとした米一粒一粒に食感があり、程よい歯応えから独特の粘りが生み出される。滲み出る米の甘みがまろやかなので、一級品の白米だと判断する。

 正確にいえば、隣国のごく一部の地域にのみでしか栽培できない高級米、カタスカシ。ステーキとの相性は抜群で、この手はもう止められそうにない。

 ご飯、ステーキ、ご飯、ステーキ、という無限ループが成立してしまう。

 ちょっとステーキの上にゴマをかけようものなら、セバスチャンがすぐに出汁を持ってきてくれる。婚約パーティーでお茶漬けというのは、ちょっぴり謎の背徳感があって、とてもおいしい。

 ワサビまで用意してくれるなんて、本当にセバスチャンは私の好みを熟知してくれているわ。やっぱり持つべきものは幼馴染ね。

 こうして、私の食事が終わる頃にはすべてが終わっていて、王子の姿を見ることはなかった。

 気遣い上手のセバスチャンのせいで、婚約者に会えなくなってしまったわ。だから、この寂しさを埋めてもらうために、今まで以上に私の傍で世話をしてもらうつもりよ。

 たくさんのお姉様たちが味方についてくれたことだし、覚悟しておいてね、セバスチャン。
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