史織物語

夢のもつれ

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1.引っ越しは好きじゃない

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 引越しは何度やっても好きになれない。部屋の片付けや模様替えは嫌いじゃないのにどうしてなんだろうと史織は思う。

 子どもの頃、両親が念願のマイホームを買うために、あちこちの一戸建てやマンションの分譲物件を見るのに一緒に連れて行かれた。

 ニコニコ顔で応対する住宅販売会社の社員の話はどれもよく似ていた。父も母もそれに飽きることもなくしきりにうなずき、いつも同じような笑顔を向けて自分たちの夢を語っていた。

 繰り返された会話が少しずつずれているのを小学四年生の史織は感じていたけれど、明るい目をした大人たちは何も気にしていないみたいだった。

「かわいいお嬢さんですね」

「家で本を読んでいる方がいいって言うんですよ。自分の部屋がほしくないんでしょうか」

「このプランならお嬢ちゃんの部屋はここかな?」

 自分に話を振らないでほしいと思った。退屈そうにしているからだろうか、ただ単にお愛想を言うのが物を売る側に身についた習性だからだろうか、自分でも大人びた考え方だと意識しながらそう思った。

 内向的という言葉を早くも覚えて、そんな自分にはこういう場はそぐわないのだと理解していた。……

 親たちは十五件以上の物件を見て回り、たくさん見すぎてどこがいいのかわからなくなったのか、議論と言うか、散々言い争いをしたあげくようやく決めた、分譲住宅に二十年経った今も住んでいる。探し回った甲斐があったのだろう。

 自分は引っ越しが好きじゃないし、東京に住みたいわけでもなかったのに、大学に入学して以来、もう三回も引越しをしている。

 進路指導で東京の大学を勧められたのを断るような積極的な志望があるわけでもなく、同級生も何人か受けるので受験してみたら自分だけが合格した。

 地元の大学も受かったので友人たちに訊いてみたら、ほとんどが偏差値が上の都内の大学を勧めた。親は「おまえの学費と家賃くらいは何とかする」と史織が上京したがっているものだと先決めしたように言った。

 考えがしっかりしていると子どもの頃からよく言われる。

 日常のささいなことはそうなんだろうと思う。でも、進学とか就職とかの「人生の岐路」みたいなことになると自分で考えるなんて到底できない。

 大学は三つ合格しました。就職の内定は四つ取れました。だけど、どれにしたらいいか全然わかんないんです。誰か決めてくれませんか?

 そんなことを言ったら大変だ。贅沢を言ってるか、下手をすれば自慢しているように思われてしまう。でも、結局その時々の友人たちに訊いて、それで決めてきた。まるで人気投票のように。

 今では年賀状のやり取りくらいしか付き合いのない友人たちに頼って自分の岐路を決めてきたんだと思う。……彼氏のこともそうだった。

 ピーピーとトラックがバックする音が聞こえる。運送屋さんが来たのだろう。ドアを開け放っておく。

 これまでの引越しでは友人やその時に付き合っていた彼氏に手伝ってもらった。今度は誰にも声を掛けなかった。

 本や服や食器を段ボール箱に詰めたり、電気製品のコードをまとめたりといった作業を三日くらい前から一人でやってきた。家具や冷蔵庫のような重くて大きいものは運送屋さんが運んでくれる。

 ほこりで荒れたようになっている手を見つめる。

 これも引越しが嫌いな理由の一つだ。手を洗いたいけれど、ハンドソープも梱包してしまった。

 段ボールの山を目を細めて眺めながら、手のひらをジーンズの横で擦る。

「こんちは。……えっと、荷物はこれだけですか?」

「あ、はい。……あ、こんにちは。よろしくお願いします」

 日焼けしているけれど、白髪が多く皺も深い小柄なおじさんで、父親と同じかひょっとするとそれ以上かもしれない。小さな運送屋さんに頼んだから、一人なんだろうか。

 おじさんは段ボール箱をいくつも重ねて運び出す。自分も手伝わなくてはと思うが、本が入ったものだと一つ持つのもやっとだ。

 狭い階段ですれ違うとかえって邪魔をしているだけのような気がして来る。肩や胸の筋肉は彼氏とは比べものにならない。

 小型の冷蔵庫やそれなりの大きさのあるタンスや食器棚も一人でどんどん運んでいくのにはちょっと驚いた。通販で買ったような安い家具なのに角にきちんとクッションを当てる。

 テキパキとした仕事に感心しているうちに、今までの引越しよりよほど早く、部屋はがらんとしてしまった。

「あ、このソファはいいんです」

 背中のところに貼った粗大ゴミのシールが見えなかったのだろう。トラックに積まれていた。

「おっと、そうだった」

 おじさんはまだ使えるのにという目の色をしていたような気がするが、視線を避ける。三年間でくたびれて薄汚れたベージュのソファの端を持って、一緒に電柱の横に運ぶ。

「さて、これで終わりだ。よかったら乗っていくかい?」

 助手席を顎で示す。

「あ、はい。……そうさせてください。でも、十分だけ待ってていただけますか?」

 部屋に戻って床を拭く。朝のうちにだいたいは掃除してあったからもういいのかもしれないけれど、区切りをつけたくて、使っていたタオルを雑巾に下ろしたのだった。

 鍵を閉め、合鍵と一緒にして階下の大家のドアの新聞受けに入れる。今日は外出していて、昨日のうちに挨拶は済ませてあった。

 助手席に乗り込むとおじさんはすぐにエンジンを掛ける。もう一度毎日いろんな想いで見上げた窓に目をやり、何か言葉にしようと口を開きかけたけれど、それは見つからなかった。

 
    引越し

  ほこりで荒れた指で
  ティカップを一つずつくるんでいく
  何も考えずに
  そう言いきかせながら

  道端に引きずり出されたソファに
  陽が当たって古ぼけて見える
  あのしみはわがままなあたし
  このほつれはそそっかしいあなた
  剥き出しになって目を背ける

  夜明けの青さを教えたカーテンがないと
  部屋は裸になったみたい
  あたたかく包んでくれたあなた
  恥じらっていたあたし
  よそよそしい顔に変わってしまった

  ダンスが踊れそうだね
  がらんとしたこの部屋で
  隅にまだうずくまっている
  想い出につまずかなければ

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