スクリャービンの色

夢のもつれ

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夢をひっくり返す器械

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 月曜日くらいには帰ろうかなと思っていたが、切れかけた食材もあるので次の日、またスーパーマーケットに行った。

 日曜日の午前中なのにこのあいだよりさらに空いている。別荘に残していってもいいような冷凍食品やレトルト食品などを見ながら、最近はこんなものもあるのかとおもしろがってカートに放り込んでいたら、あの老夫婦にまた会ってしまった。

「やあやあ。またお会いしましたね。縁がありますな。この後もずっと会いそうだ」

 冗談じゃないと思ったが、ふと思いついて妻に会ったことがないか訊いてみた。

「いや。残念ながらないようですな。奥さんに会っていればもっと念入りに掃除しておいたんですがね。……ああ、また奥さんのことを考えていたんですな。そうですかそれなら戻ってみたらどうですか、昔に遡ってみたら」

「それはどういうことです? このあいだは忘れろとおっしゃってたようですが」

「あはは。一本取られましたな。いやお見受けしたところあんたは天邪鬼のようだから、裏返して言ったんですよ」

「じゃあ、今度は未来にでも行けばいいってことなんですか?」

 人をからかうのも大概にしてほしいと侮蔑の念を込めて言ったのだが、相手は動じるふうもない。

「そうかもしれませんな。後か先か、過去か未来か。時間ってのも天邪鬼ですな。ないと思えばある。あると思えばない。あたしらみたいな老人にはたくさんある。あはは。……あんたは窓ガラスの印しを剥がしてしまったようだが、それじゃあ目に見えないものはないことになっちまう。時間も心もね。そういう天邪鬼の額には印しを貼りつければいいのに」

 相変わらず意味のわからないことを言っていたが、急に鼻をひくひくさせて、

「雪が降りそうですよ。それもどっさりと。そんな匂いがする」と言いながら、立ち去って行った。ばあさんが黙礼する姿が目に残った。

 確かに昼の間、どんよりした曇り空が、夕方近くからちらちらと、やがて激しく雪が降り始めた。デッキのすぐ向こうの木もその左手の車もほとんど見えず、みるみる積もっていく。

 車は大丈夫だろうか、東京にずっといるとこういう時に何をしたらいいかわからない。ワイパーを立てておくらしいと気づいて外に出たが、いきなり雪が顔に吹きつけてくる。風がほとんどなくても、しゃあっと雪が音を立てて降ることがあると生まれて始めて知った。

 長靴なんかない。息を止めるようにして、膝近くまで雪に埋もれながら車まで気をつけて行って、あわてて戻って来たが、それだけでも頭にも睫毛にも雪が積もった。

 この様子ではコンサートなんか行けそうもない。

 どんどん暗くなって、窓の外を見上げると黒い空から無数の雪が目に向かって、広がりながら落ちてくる。音が雪に吸い込まれて重い湿った沈黙に家が包まれていく。この色彩のない世界で、あの洋館だけは白と黒の鍵盤から色々な光の音が生まれているのだろうか。まるで白黒映画にそこだけ着色したように。

 あの二つの水道栓の上にも雪が次々と降り積もっているはずだけれど、凍結したりしないだろうか。とても見に行くことはできないが、気になって洗面所の蛇口を少しだけ開けて水を出しておくことにした。こんな夜はさっさと寝てしまおうと思って、レトルトカレーを食べて、寒い風呂に手早く入ってベッドにもぐり込んだ。

 この家の何かがそうさせるのか、また変な夢を見た。夢が裏返る夢だった。……田んぼの畦道であの老夫婦がにやにや笑いながらこちらを見ている。真上からの夕暮れのような光を浴びて、ディズニーのアニメのような歪んだ笑いを浮かべている。いつもは何もしゃべらず、無表情なばあさんがパクパク口を開けて笑うのが邪悪な感じだ。

 機織り機をもっと簡単にしたような木製の器械がひび割れた田んぼに置いてあって、それで夢をひっくり返すらしい。じいさんがわたしから引きずり出した夢を両手で抱えてその器械に掛けようとしている。

「それ! 薄情者の夢はおーもいぞ! おーもいぞ」と労作歌のような節をつけて、ばあさんを叱咤激励しながら唄っている。ばあさんがそのやわらかいむにょむにょした夢に手を添えて、じいさんを手伝っている。

 じいさんが横のハンドルを回し始めると、夢は昔の洗濯機に付いていた絞り器にかけた洗濯物のようになって出てくる。器械の金具に引っかかって小さなおちょぼ口が開いて、ゆっくり裏返っていくという仕掛けらしい。なるほどと感心して見ているうちに夢はすっかり裏返って、しゅうしゅう音を立てている。その音がああ、水の音だと気づいたときには、目が覚めかけていた。
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