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湖のほとりで
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この水の下に村が?
私は驚いて湖の様子に目を凝らした。
昨夜、台風が通り過ぎたばかりの水は濁って茶色い。
それでも緑の豊かな山肌の木々すら呑み込むほどの水量をたたえた湖は、違和感なくそこに在る。
ずっと昔から存在していたみたいに。
「行こう。ここを向こう岸までまわると、祠がある」
汐に言われて、私は歩き出した。
道は崖のような急峻な斜面を水面までのぞかせ、ぐるりと湖を迂回してつづいている。
しばらく行くと斜面は緩やかになっていき、水際まで下りられそうになった。
道を外れておりていくと、枯れ枝が水面にいくつも突き出ているような景色が続く。
水の下に、かつて村があったのだと私にも見て取れた。
そして穏やかな岸のような場所に、ぽかりと小さな祠が半分ほど水につかっている場所に出た。
台風で水かさが増したのだろうか。
半分水没した小さな祠は、打ち捨てられているような荒廃の色が濃い。
近づくと、祠の上に腰を下ろして足元の水面を見つめている氏康さんがいた。
私たちに気づいて顔を上げ、少し驚いたような顔をする。
ひょいと身軽に祠の屋根から飛び降りると、こちらに駆け寄ってきた。
今日は人の姿だ。
「……どうした!三重子になにか……」
一番にそれが頭に浮かんだのだろう、そう訊ねられて私は首を振る。
「検査のために入院しますけど、大丈夫。昨夜の診察の後は点滴受けて眠ってました。今年の夏は暑かったから、疲れがたまっていたんじゃないかって話です」
私が言うと、氏康さんはそうか、と頷いて落ち着いたようだった。
私はそれへ笑いかけて、持ってきたリュックを示す。
「おなか空いてないですか。お弁当つくってきました。といっても、おむすびだけですけど」
お弁当、という言葉に汐が神主姿に変わるのがおかしい。
食べる気が満々なんだね。
氏康さんは、少し考えてからいただく、と答えた。
私たちは適当な場所を探して、並んで座った。
御茶とおむすびの、質素なお弁当だけど神様たちは黙って食べてくれる。
梅干しもお漬物も、美味しいもんね。
「あの祠って……前に言ってた三重子さんがよくお参りに来ていたっていう祠ですか?」
食べ終えて、それぞれにポットに入れてきた熱い御茶を配りながら訊く。
氏康さんは頷いて、そちらを見遣った。
「汐の神社にくらべれば、雲泥の差だろう。村も大方が沈んで住む人間もほとんどいなくなったからな」
「……人の都合で、こんな風になっちゃってごめんなさい」
思わず謝ると、氏康さんは少し笑った。
「土地神は、人とこそ繋がっている。ならば、これもまた運命だ」
「……」
さばさばと言われてしまったけれど、人間である私にしてみれば申し訳ないって思いがどうしても強い。
汐がお茶をすすりながら、遠い目をして言う。
「人の信仰によって土地神はそこの土地に紐づけられる……。信仰が消えれば、自由になって元の姿に戻るだけなのだから、気に病むことはない」
「……信仰?」
私が訊き返すと、氏康さんが同意を示して頷いた。
「ダムの水没を免れた家は、もうほとんど残っていない。それがなくとも過疎は、村から人の姿を無くしていっただろう。住民も高齢だし……あと数年もしないうちに、この土地から信仰は消える」
「……」
信仰が消えると、土地神様たちはいなくなってしまう。
それってどうなるということなんだろう。
ひどく胸騒ぎがして、私は神様たちを見た。
彼らは飄々として、そこに居る。
「……元の姿に戻るって、どういうことなんですか……?」
おそるおそる訊く。
汐が、御茶のおかわりをしながら淡々と言った。
「もとの、ただの妖怪に戻る。土地のしがらみから解放されて。……別に消えてなくなってしまったりはしない」
付け足された言葉は、私を宥めるみたいだった。
だって、氏康さんが私を見て目を丸くしたから。
わかってしまった、自分が今どんな顔をしているのか。
「……なぜ、泣く」
そういって、神様たちは穏やかに笑ってくれた。
私は驚いて湖の様子に目を凝らした。
昨夜、台風が通り過ぎたばかりの水は濁って茶色い。
それでも緑の豊かな山肌の木々すら呑み込むほどの水量をたたえた湖は、違和感なくそこに在る。
ずっと昔から存在していたみたいに。
「行こう。ここを向こう岸までまわると、祠がある」
汐に言われて、私は歩き出した。
道は崖のような急峻な斜面を水面までのぞかせ、ぐるりと湖を迂回してつづいている。
しばらく行くと斜面は緩やかになっていき、水際まで下りられそうになった。
道を外れておりていくと、枯れ枝が水面にいくつも突き出ているような景色が続く。
水の下に、かつて村があったのだと私にも見て取れた。
そして穏やかな岸のような場所に、ぽかりと小さな祠が半分ほど水につかっている場所に出た。
台風で水かさが増したのだろうか。
半分水没した小さな祠は、打ち捨てられているような荒廃の色が濃い。
近づくと、祠の上に腰を下ろして足元の水面を見つめている氏康さんがいた。
私たちに気づいて顔を上げ、少し驚いたような顔をする。
ひょいと身軽に祠の屋根から飛び降りると、こちらに駆け寄ってきた。
今日は人の姿だ。
「……どうした!三重子になにか……」
一番にそれが頭に浮かんだのだろう、そう訊ねられて私は首を振る。
「検査のために入院しますけど、大丈夫。昨夜の診察の後は点滴受けて眠ってました。今年の夏は暑かったから、疲れがたまっていたんじゃないかって話です」
私が言うと、氏康さんはそうか、と頷いて落ち着いたようだった。
私はそれへ笑いかけて、持ってきたリュックを示す。
「おなか空いてないですか。お弁当つくってきました。といっても、おむすびだけですけど」
お弁当、という言葉に汐が神主姿に変わるのがおかしい。
食べる気が満々なんだね。
氏康さんは、少し考えてからいただく、と答えた。
私たちは適当な場所を探して、並んで座った。
御茶とおむすびの、質素なお弁当だけど神様たちは黙って食べてくれる。
梅干しもお漬物も、美味しいもんね。
「あの祠って……前に言ってた三重子さんがよくお参りに来ていたっていう祠ですか?」
食べ終えて、それぞれにポットに入れてきた熱い御茶を配りながら訊く。
氏康さんは頷いて、そちらを見遣った。
「汐の神社にくらべれば、雲泥の差だろう。村も大方が沈んで住む人間もほとんどいなくなったからな」
「……人の都合で、こんな風になっちゃってごめんなさい」
思わず謝ると、氏康さんは少し笑った。
「土地神は、人とこそ繋がっている。ならば、これもまた運命だ」
「……」
さばさばと言われてしまったけれど、人間である私にしてみれば申し訳ないって思いがどうしても強い。
汐がお茶をすすりながら、遠い目をして言う。
「人の信仰によって土地神はそこの土地に紐づけられる……。信仰が消えれば、自由になって元の姿に戻るだけなのだから、気に病むことはない」
「……信仰?」
私が訊き返すと、氏康さんが同意を示して頷いた。
「ダムの水没を免れた家は、もうほとんど残っていない。それがなくとも過疎は、村から人の姿を無くしていっただろう。住民も高齢だし……あと数年もしないうちに、この土地から信仰は消える」
「……」
信仰が消えると、土地神様たちはいなくなってしまう。
それってどうなるということなんだろう。
ひどく胸騒ぎがして、私は神様たちを見た。
彼らは飄々として、そこに居る。
「……元の姿に戻るって、どういうことなんですか……?」
おそるおそる訊く。
汐が、御茶のおかわりをしながら淡々と言った。
「もとの、ただの妖怪に戻る。土地のしがらみから解放されて。……別に消えてなくなってしまったりはしない」
付け足された言葉は、私を宥めるみたいだった。
だって、氏康さんが私を見て目を丸くしたから。
わかってしまった、自分が今どんな顔をしているのか。
「……なぜ、泣く」
そういって、神様たちは穏やかに笑ってくれた。
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