8 / 38
第八話・訪問客2
しおりを挟む
夫の四十九日を終えてからの訪問客は、少しばかり賑やかだった。まるで新築祝いにでも駆け付けてきたかのように、自宅の内装を興味津々と眺めて、口々に勝手な感想を述べながら遠慮なく玄関の中へと入ってくる。
彼らが畏まった黒い装いでなければ、ただ遊びに来ただけと勘違いしてしまいそうになる。
お昼寝が終わる時間に合わせて来て貰ったおかげで、陽太は人見知りすることも無く、順に頭を撫でたり頬を突かれたりしてもご機嫌にしていた。
「この玄関ポーチが広めなところが大輝って感じだな。壁紙とかは塚田さんのセンスだろ?」
「うん、あいつじゃこんな上品なのは選ばないな。いつも変な幾何学模様のシャツとか着てたくらいだし。――あ、でも、そのソファーのサイズ感は大輝だな」
「いやー、しかし、子供は奥さん似で良かったよ。生まれた時にあいつが俺似だって言い張ってたから、マジで心配してたんだぞ」
「えー、でも耳の形とかは大輝だよね」
「男友達の耳の形なんて覚えてねーよ」
男性三人の後ろから家の中へ入ってきた女性客の姿に、優香は少しばかり胸がキュッと痛むのを感じた。でも、そのことには気付かないフリをしながら四人を和室に置いてある仏壇へと案内していく。
「……大輝」
それまで騒々しかった一同が、一斉に口を閉ざした。分かってはいたけれど、実際に目にしてしまうともう何も言えなくなる。学生時代からの友は仏壇に置かれた遺影の中で、相変わらずの笑顔を振り撒いているのだ。
茫然としたまま遺影を見つめる者。目に溜まった涙を堪えながら、膝をついて俯いてしまう者。優香が用意した座布団へと座ることもままならず、その場で立ち尽くしてしまった者もいる。唯一の女性客は、うっと小さな声を漏らした後、両手で顔を覆って身体を震わせていた。
「……マジかよ、信じたくなかったんだけどな。タチの悪い冗談だったら良かったのに」
「ああ」
残された遺族の負担を減らす為の家族葬は、それ以外の友人知人のお別れの時を後伸ばしにしてしまう。それは現実に起こった死に対する認識の機会を、必要以上に遠ざける。既に少しずつ少しずつ前へ進むことを考え始めている優香と違い、彼らはこれからそれを行わなければならないのだ。
「あいつ、俺ん時の二次会の幹事は任せろって言ってたのに……」
「斎藤先輩の結婚式の、ですか? ああ、そう言えばもうすぐでしたね」
「大輝の分の招待状を持って来たんだけど、供えさせてもらってもいいかな?」
「ありがとうございます。出席させていただくことは叶いませんが、彼も喜ぶと思います」
優香の許可を得ると、斎藤は鞄から出した白色の封筒を大輝の遺影の傍にそっと置く。黒色の仏壇に白い封筒は嫌味なほど違和感があり、逆にそれが悲しい。
夫の大学時代の友人達は、優香にとっては3学年上の先輩だ。三人とも同じミニバスのサークルで、紅一点の客――大滝若葉はそのマネージャー的な存在。そして、高校時代から大輝と付き合っていたという、元恋人でもある。
彼らと優香は在学期間が一年しか被らなかったけれど、夫の長い友人として度々会話に上ることがあった。特に招待状を仏壇に供えた斎藤は大輝と勤め先が同じ業種だったこともあって、定期的に飲みに行ったりと交友を続けていたように思う。
「大輝の席は、ちゃんと用意しとくからな……」
遺影に向かって声を掛け、ぐっと下唇を噛みしめている。その様子を見守っていた他の面子も、さらに嗚咽を漏らす。彼らもまた大輝と同じように斎藤の挙式に招待されているのだろう。一緒に参列することが叶わないのを悔しがっていた。
大輝とは高1から社会に出た後まで、十年近い時間を共にしていた若葉は、この中でも一番長く大輝のことを知っている。妻である優香よりも、ずっと長く同じ時を過ごし、彼の傍に居た。
大学生の時には優香自身も高校から付き合っていた彼氏がいたから、当時は二人のことは何も気にしたこともなかった。サークルの盛り上げ役だった大輝の隣で、若葉はいつもケラケラと笑っていて、とても自然体で付き合っている風に見えた。
その元カノが手で顔を覆ったまま、小さく呟いた。
「私、そのうち大輝に謝るつもりでいたのに……仕事でイライラしてて、八つ当たりした勢いで別れ話を持ち出して。ちゃんとお互いに話し合ったら良かったのにねって……」
優香の胸が、再びキュッと痛む。陽太を抱っこする腕に、力が無意識に入っていた。
「若葉、それは今言うことじゃないだろ。奥さんの前だぞ」
「ごめんなさい……でも、私」
顔を覆い続ける若葉の左手にはシルバーの結婚指輪が嵌っているのが見えた。彼女としては大輝に対して未練がある訳でもなく、ただ過去の行いを悔やんでいるだけなのだろう。
でも、この人は自分よりも長く夫の傍にいたのかと思うと、優香の心は落ち着かなかった。自分は夫と同じ姓を名乗り、妻として大輝の隣に居ることができる正式な立場だ。本来なら過去の恋人の存在なんて、そこまで気にならなかっただろう。だってそれは、これからの未来も夫の隣に居られるという確証があるから。夫婦として共に過ごすしている内に、過去の人とは比べ物にならないくらいの長い時を一緒に居られるはずだったから。
――若葉先輩は、私よりもずっと長く大輝と一緒に居たんだよね……。
彼女との時間を上回ることは、優香には絶対に叶わない。それが心の底から悔しいと思ってしまった。
「2年の時の新歓コンパで大輝が酔い潰れて寝ちゃった時とか大変だったよなぁ。あの巨体を3人がかりで引き摺って」
「そうそう、若葉のマンションが近かったから、みんなで運んだんだよな」
落ち着いてくると客達が揃って思い出話を始める。
「次の日は二日酔いで大変だったんだよ。朝一でドラッグストアに薬買いに走ったんだから、私」
「あいつが酔っ払ってるとこ見たのは、あれきりだ。よっぽど堪えたんだろうな、以降はきっちり自制するようになったし」
「あー、あの時みんなに迷惑かけたのをメチャクチャ気にしてたからね」
優香が知っている大輝は無茶なお酒の飲み方はしない。筋トレ命で身体は大きいがアルコールはそこまで強くなかったから、酒量はかなり制限していた。彼らが話しているのはまだ優香と出会う前の夫のことだ。
「そういや、若葉にもこっぴどく怒られたって言ってたなー」
懐かしいげに笑う先輩達の会話を、優香は静かに微笑みながら聞いていた。自分が知らない夫の思い出話。本来ならもっと楽しく聞いていられたはずなのに、今日は胸がきゅっと痛むなぜだろう。陽太を抱っこする手が知らずに少し強くなる。
彼らが畏まった黒い装いでなければ、ただ遊びに来ただけと勘違いしてしまいそうになる。
お昼寝が終わる時間に合わせて来て貰ったおかげで、陽太は人見知りすることも無く、順に頭を撫でたり頬を突かれたりしてもご機嫌にしていた。
「この玄関ポーチが広めなところが大輝って感じだな。壁紙とかは塚田さんのセンスだろ?」
「うん、あいつじゃこんな上品なのは選ばないな。いつも変な幾何学模様のシャツとか着てたくらいだし。――あ、でも、そのソファーのサイズ感は大輝だな」
「いやー、しかし、子供は奥さん似で良かったよ。生まれた時にあいつが俺似だって言い張ってたから、マジで心配してたんだぞ」
「えー、でも耳の形とかは大輝だよね」
「男友達の耳の形なんて覚えてねーよ」
男性三人の後ろから家の中へ入ってきた女性客の姿に、優香は少しばかり胸がキュッと痛むのを感じた。でも、そのことには気付かないフリをしながら四人を和室に置いてある仏壇へと案内していく。
「……大輝」
それまで騒々しかった一同が、一斉に口を閉ざした。分かってはいたけれど、実際に目にしてしまうともう何も言えなくなる。学生時代からの友は仏壇に置かれた遺影の中で、相変わらずの笑顔を振り撒いているのだ。
茫然としたまま遺影を見つめる者。目に溜まった涙を堪えながら、膝をついて俯いてしまう者。優香が用意した座布団へと座ることもままならず、その場で立ち尽くしてしまった者もいる。唯一の女性客は、うっと小さな声を漏らした後、両手で顔を覆って身体を震わせていた。
「……マジかよ、信じたくなかったんだけどな。タチの悪い冗談だったら良かったのに」
「ああ」
残された遺族の負担を減らす為の家族葬は、それ以外の友人知人のお別れの時を後伸ばしにしてしまう。それは現実に起こった死に対する認識の機会を、必要以上に遠ざける。既に少しずつ少しずつ前へ進むことを考え始めている優香と違い、彼らはこれからそれを行わなければならないのだ。
「あいつ、俺ん時の二次会の幹事は任せろって言ってたのに……」
「斎藤先輩の結婚式の、ですか? ああ、そう言えばもうすぐでしたね」
「大輝の分の招待状を持って来たんだけど、供えさせてもらってもいいかな?」
「ありがとうございます。出席させていただくことは叶いませんが、彼も喜ぶと思います」
優香の許可を得ると、斎藤は鞄から出した白色の封筒を大輝の遺影の傍にそっと置く。黒色の仏壇に白い封筒は嫌味なほど違和感があり、逆にそれが悲しい。
夫の大学時代の友人達は、優香にとっては3学年上の先輩だ。三人とも同じミニバスのサークルで、紅一点の客――大滝若葉はそのマネージャー的な存在。そして、高校時代から大輝と付き合っていたという、元恋人でもある。
彼らと優香は在学期間が一年しか被らなかったけれど、夫の長い友人として度々会話に上ることがあった。特に招待状を仏壇に供えた斎藤は大輝と勤め先が同じ業種だったこともあって、定期的に飲みに行ったりと交友を続けていたように思う。
「大輝の席は、ちゃんと用意しとくからな……」
遺影に向かって声を掛け、ぐっと下唇を噛みしめている。その様子を見守っていた他の面子も、さらに嗚咽を漏らす。彼らもまた大輝と同じように斎藤の挙式に招待されているのだろう。一緒に参列することが叶わないのを悔しがっていた。
大輝とは高1から社会に出た後まで、十年近い時間を共にしていた若葉は、この中でも一番長く大輝のことを知っている。妻である優香よりも、ずっと長く同じ時を過ごし、彼の傍に居た。
大学生の時には優香自身も高校から付き合っていた彼氏がいたから、当時は二人のことは何も気にしたこともなかった。サークルの盛り上げ役だった大輝の隣で、若葉はいつもケラケラと笑っていて、とても自然体で付き合っている風に見えた。
その元カノが手で顔を覆ったまま、小さく呟いた。
「私、そのうち大輝に謝るつもりでいたのに……仕事でイライラしてて、八つ当たりした勢いで別れ話を持ち出して。ちゃんとお互いに話し合ったら良かったのにねって……」
優香の胸が、再びキュッと痛む。陽太を抱っこする腕に、力が無意識に入っていた。
「若葉、それは今言うことじゃないだろ。奥さんの前だぞ」
「ごめんなさい……でも、私」
顔を覆い続ける若葉の左手にはシルバーの結婚指輪が嵌っているのが見えた。彼女としては大輝に対して未練がある訳でもなく、ただ過去の行いを悔やんでいるだけなのだろう。
でも、この人は自分よりも長く夫の傍にいたのかと思うと、優香の心は落ち着かなかった。自分は夫と同じ姓を名乗り、妻として大輝の隣に居ることができる正式な立場だ。本来なら過去の恋人の存在なんて、そこまで気にならなかっただろう。だってそれは、これからの未来も夫の隣に居られるという確証があるから。夫婦として共に過ごすしている内に、過去の人とは比べ物にならないくらいの長い時を一緒に居られるはずだったから。
――若葉先輩は、私よりもずっと長く大輝と一緒に居たんだよね……。
彼女との時間を上回ることは、優香には絶対に叶わない。それが心の底から悔しいと思ってしまった。
「2年の時の新歓コンパで大輝が酔い潰れて寝ちゃった時とか大変だったよなぁ。あの巨体を3人がかりで引き摺って」
「そうそう、若葉のマンションが近かったから、みんなで運んだんだよな」
落ち着いてくると客達が揃って思い出話を始める。
「次の日は二日酔いで大変だったんだよ。朝一でドラッグストアに薬買いに走ったんだから、私」
「あいつが酔っ払ってるとこ見たのは、あれきりだ。よっぽど堪えたんだろうな、以降はきっちり自制するようになったし」
「あー、あの時みんなに迷惑かけたのをメチャクチャ気にしてたからね」
優香が知っている大輝は無茶なお酒の飲み方はしない。筋トレ命で身体は大きいがアルコールはそこまで強くなかったから、酒量はかなり制限していた。彼らが話しているのはまだ優香と出会う前の夫のことだ。
「そういや、若葉にもこっぴどく怒られたって言ってたなー」
懐かしいげに笑う先輩達の会話を、優香は静かに微笑みながら聞いていた。自分が知らない夫の思い出話。本来ならもっと楽しく聞いていられたはずなのに、今日は胸がきゅっと痛むなぜだろう。陽太を抱っこする手が知らずに少し強くなる。
11
お気に入りに追加
232
あなたにおすすめの小説
ずぶ濡れで帰ったら彼氏が浮気してました
宵闇 月
恋愛
突然の雨にずぶ濡れになって帰ったら彼氏が知らない女の子とお風呂に入ってました。
ーーそれではお幸せに。
以前書いていたお話です。
投稿するか悩んでそのままにしていたお話ですが、折角書いたのでやはり投稿しようかと…
十話完結で既に書き終えてます。
夫の幼馴染が毎晩のように遊びにくる
ヘロディア
恋愛
数年前、主人公は結婚した。夫とは大学時代から知り合いで、五年ほど付き合った後に結婚を決めた。
正直結構ラブラブな方だと思っている。喧嘩の一つや二つはあるけれど、仲直りも早いし、お互いの嫌なところも受け入れられるくらいには愛しているつもりだ。
そう、あの女が私の前に立ちはだかるまでは…
イケメンエリート軍団の籠の中
便葉
恋愛
国内有数の豪華複合オフィスビルの27階にある
IT関連会社“EARTHonCIRCLE”略して“EOC”
謎多き噂の飛び交う外資系一流企業
日本内外のイケメンエリートが
集まる男のみの会社
唯一の女子、受付兼秘書係が定年退職となり
女子社員募集要項がネットを賑わした
1名の採用に300人以上が殺到する
松村舞衣(24歳)
友達につき合って応募しただけなのに
何故かその超難関を突破する
凪さん、映司さん、謙人さん、
トオルさん、ジャスティン
イケメンでエリートで華麗なる超一流の人々
でも、なんか、なんだか、息苦しい~~
イケメンエリート軍団の鳥かごの中に
私、飼われてしまったみたい…
「俺がお前に極上の恋愛を教えてやる
他の奴とか? そんなの無視すればいいんだよ」
口は禍の元・・・後悔する王様は王妃様を口説く
ひとみん
恋愛
王命で王太子アルヴィンとの結婚が決まってしまった美しいフィオナ。
逃走すら許さない周囲の鉄壁の護りに諦めた彼女は、偶然王太子の会話を聞いてしまう。
「跡継ぎができれば離縁してもかまわないだろう」「互いの不貞でも理由にすればいい」
誰がこんな奴とやってけるかっ!と怒り炸裂のフィオナ。子供が出来たら即離婚を胸に王太子に言い放った。
「必要最低限の夫婦生活で済ませたいと思います」
だが一目見てフィオナに惚れてしまったアルヴィン。
妻が初恋で絶対に別れたくない夫と、こんなクズ夫とすぐに別れたい妻とのすれ違いラブストーリー。
ご都合主義満載です!
シングルマザーになったら執着されています。
金柑乃実
恋愛
佐山咲良はアメリカで勉強する日本人。
同じ大学で学ぶ2歳上の先輩、神川拓海に出会い、恋に落ちる。
初めての大好きな人に、芽生えた大切な命。
幸せに浸る彼女の元に現れたのは、神川拓海の母親だった。
彼女の言葉により、咲良は大好きな人のもとを去ることを決意する。
新たに出会う人々と愛娘に支えられ、彼女は成長していく。
しかし彼は、諦めてはいなかった。
完)嫁いだつもりでしたがメイドに間違われています
オリハルコン陸
恋愛
嫁いだはずなのに、格好のせいか本気でメイドと勘違いされた貧乏令嬢。そのままうっかりメイドとして馴染んで、その生活を楽しみ始めてしまいます。
◇◇◇◇◇◇◇
「オマケのようでオマケじゃない〜」では、本編の小話や後日談というかたちでまだ語られてない部分を補完しています。
14回恋愛大賞奨励賞受賞しました!
これも読んでくださったり投票してくださった皆様のおかげです。
ありがとうございました!
ざっくりと見直し終わりました。完璧じゃないけど、とりあえずこれで。
この後本格的に手直し予定。(多分時間がかかります)
妻のち愛人。
ひろか
恋愛
五つ下のエンリは、幼馴染から夫になった。
「ねーねー、ロナぁー」
甘えん坊なエンリは子供の頃から私の後をついてまわり、結婚してからも後をついてまわり、無いはずの尻尾をブンブン振るワンコのような夫。
そんな結婚生活が四ヶ月たった私の誕生日、目の前に突きつけられたのは離縁書だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる