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最終話・黒の鬼姫2

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「人の世を脅かすことこそ、我らあやかしの使命。そんなことも分からんのか、能無し狐が」
「ここは現世だ、人の理に従え! 威張り腐りたいのなら、いつでも隠り世へ帰してやる」

 ぬらりひょんと鬼姫を前に、白井は九尾を膨らませた。ぬらりひょんだけなら何とかなるだろうが、黒鬼の姫は解かれたばかりとは思えないほどの妖気を纏っている。形勢は圧倒的に不利。互角ですらないだろう。だが、鬼に憑りつかれてしまった後輩を放っておく訳にはいかない。

「浅はかな考えしか持たぬ小物と、わらわを一緒にするな」

 千咲の姿を乗っ取った鬼姫は、ぬらりひょんと白井のやり取りを聞いていて、バカバカしいと鼻で笑い飛ばした。

「いいえ、鬼姫様のお力をもってすれば、この世など何とでも」
「この世を支配することで、何を得るというのじゃ?」
「あなた様がお望みならば、我々を恐れる者からは何でも奪い取れましょう」

 老爺の言葉を、鬼姫はふんっと鼻で笑い飛ばす。総大将と持ち上げられている割に、大したことはない。浅い考えは身を亡ぼす。こやつの勢力はすぐに沈むであろう。
 ぬらりひょんの言葉に乗せられ、また稲荷神の逆鱗に触れて再び封印されでもしたら堪らない。千年振りにようやく開放されたのだ、同じ過ちを繰り返すほど、愚かではない。

「今あやかしが騒いだところで、誰が怯えるというのじゃ。あやかしなんぞ、すでに忘れ去られた存在でしかないではないか。それより見よ、あの頃と違って面白い世の中じゃ。夜も煌々と明るく、人影が無くなることはない」

 社祠の下から見える狭い景色だけでも随分と変わっている。その変貌の速度には目を見張るものがある。この千年、人の世の流れは全く見飽きることがなかった。
 千咲の姿をした鬼姫は国道を走り行く自動車を眺め見て、感心するように言葉を続ける。

「そもそも、お前らに何ができる? 妖術のみであの鉄の塊を操れるのか? きっと、できまい。人の世はあれを容易く操れる者が五万とおるのだ、恐ろしい事よのぉ」

 個々人には力こそ無いけれど、背の高い建物を建て、鉄の塊を操縦して走るより早く移動する。人が無力だと侮っている場合ではない。隠り世にないものだらけのこの世を、折角ならもっと近くで眺めていたい。

「わらわはこの娘の目で、この世を見ていたいのじゃ。別に何もせぬ、目だけを貸せばいい」

 千咲の口を借りて、千咲自身に話しかける。霊魂となった身がこの世に留まっておくには依り代が必要だ。けれど、身体ごと乗っ取って操りたい訳ではない。ただ、千咲の目を通してこの世を傍観していたいのだと。

「そうじゃ、器とする代わりに守ってやる。わらわがおれば、他の悪しきモノが寄ってこなくなるじゃろ」

 護符ですら効力を無くすほどの鬼の力。人外に憑かれやすい彼女にとって、それほど悪い話ではないはずだ。
 ただ、最強の魔除けではあるが、強すぎるがゆえに安請け合いもできない。

「鬼の力に鮎川の身体が耐えられなくなった時はどうする?!」
「そういう時の為に、狐が傍におるんじゃろうが?」

 何を言っているのかと、白井の顔を訝し気に見てくる。見慣れているはずの顔なのに、表情がまるで違う。力に満ちた目は全くの別人だ。

「この娘のことが守りたいから、傍で働かせておるんじゃろうが」

 鬼姫は千咲の姿のまま、なんでもお見通しじゃと揶揄うように薄く笑う。千咲を夜勤にするよう中森に進言したのは紛れもなく、白井だった。それはいつ会っても人外に憑かれかけている千咲のことを見ていられなかったからで……。

「過保護なものよのぉ」

 封印されていたとはいえ、腐っても鬼の頂点。『INARI』の敷地内の様子くらい覗き見るのは容易い。この場の人間模様は格別に面白く、見応えがあったと満足げに微笑んでいる。
 いつの間にか、ぬらりひょんの姿はエントランスから消えていた。思惑は失敗と速断したのだろう、周辺にあった他のあやかしの気配も減っている。

「そうだったんですか?」

 突如、鬼姫ではなく千咲の言葉で問いかけられて、白井は九尾の尻尾をぶわっと膨れ上がらせた。
 先ほどまで溢れ出ていた鬼の妖気はすっかり静まっている。少し自信なさげな、いつも通りの見慣れた眼で、白井の顔を覗き込んでくるのは紛れもなく元の千咲だ。

「鬼を、受け入れたのか?」
「はい。まあ、何とかなるかなぁって」

 これまでも知らない内に憑かれかけていたことを考えれば、今更どうという気もしないでもない。万が一、何かがあったとしても、いつも通りに白井が何とかしてくれると信じている。
 否、それよりも、夜勤への移動に白井が絡んでいたことは、今さっき初めて聞いたのだ。千咲的にはこちらの方が重大事項といってもいい。

「私が夜勤に移動になったのって、白井さんの判断だったんですか?」
「……まぁな」
「はぁ、良かったぁ」

 両手で胸を押さえて、安心した表情を見せた千咲に、白井の方が動揺する。勝手に移動させるなと文句を言われるかと思っていたから、この反応は予想外だ。

「玉川さんが、白井さんは夜勤に女の子が入るの嫌がってたって聞いたから、ずっと気になってて」
「そりゃまあ、防犯上は……」
「だから女はダメだって言われるんじゃないかって、結構無理してたんですけど、次からは怖そうなお客様が来られたら、遠慮なく丸投げさせてもらいますね! 私を夜勤にしたのは白井さんなんですから、これからも守って下さい」

 あー安心安心と呟きながら、千咲は鳴り始めた内線を取りにカウンターの中へと入っていく。

「はい、フロントでございます」

 あまりに普段と変わらぬ様子に拍子抜けしていると、受話器を置いて振り返った千咲が笑いを堪えながら告げてくる。

「白井さん、耳と尻尾が出たままですよ?」


――完――
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