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第四十話・百鬼夜行

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 夕方まで降っていた雨が止み、湿気を含んだ風が自動ドアが開く度に入り込んでくる。国道を走る自動車が、道路脇に溜まった雨水を跳ね上げている音も聞こえる。

 自動ドア横に設置された自動販売機の前、劣化したアスファルトが陥没した箇所には大きな水溜まりも出来ていた。この店は建物も駐車場も、以前にあった電気量販店の時のままで、どちらもかなりの年季が入っている。内装だけはお洒落なカフェ風の店舗に仕上げているが、外から見れば間違いなく昭和の建築物でしかない。

「休憩、終わりました。あざっす」
「了解です。レポートは間に合いそうですか?」
「あー……もうちょっとってとこで時間無くなったんで、続きは帰ってから家でやるんで大丈夫っす」

 教科書や資料がぎっしり入っている重いリュックも、井口が持つと軽そうに見えるのが不思議だ。店に来て早々「先に休憩取らせて貰っていいっすか? 明日の朝一までに提出しなきゃならないレポートがあるんで」とブースに駆け込んでいった。単位がかかった大事なレポートらしく、かなりヤバイっすと本気で焦っているようだった。

「別に今は忙しくないし、最後まで終わらせてきていいですよ。もしバタバタし始めたら、遠慮なく呼び付けるから」
「え、いや、それは悪いっすよ……」
「平気平気。徹夜明けで続きをやるより、今やった方が早く終わるでしょ?」

 休憩時間を延長した分は残業で補填してくれたらいいからという千咲の提案に、それならとすぐに納得したらしく、井口は「あざっす!」と笑顔で頭を下げた。調子が乗って来たところでレポート作成を中断してしまったのだと、嬉々としてブースへと戻っていった。

 今回の井口のレポートはオンラインでの提出らしいが、そうでない場合だって店には各パソコンと連動した複合機も設置されているし、提出物を抱えている時にはとても便利だ。去年の今頃は千咲自身も休憩時間にはブースのパソコンのお世話になりっぱなしだった。これこそがこの店のスタッフである一番の特権だ。決して、油揚げの倍乗せだけなんかじゃない。

 エントランスの自動ドアの上には相変わらず女郎蜘蛛が陣取っているが、人外が視えない井口と一緒のシフトだから、今日は河童達の姿は見ていない。キジムナーもガジュマルの木の中に引っ込んでしまっている。これが本来の状態だったはずだが、今となってはなんだか少し寂しい。あやかしが傍にいる光景にすっかり慣れてしまったみたいだ。

 朝から夕方までずっと雨が続いていたからだろうか、ブースを利用している客もまばらで、いつもの宿泊客がほとんどだ。ネカフェ難民疑惑の客も、何だかんだと少しずつ顔触れは変わっていて、夜勤が始まった頃とは半数が違う面子になっている。

 来店が無くなった客のどれくらいが無事に定住先を見つけたのか、それとも単に別の店に鞍替えしただけなのか、或いは警察のお世話になってしまったのか……。こんなに毎日のように顔を合わせていても、客個人の事情はさっぱり分からない。つくづく、ネットカフェとは奇妙な業種だと思う。

 料理の注文もなく、手持ち無沙汰にカウンター周りをアルコールで拭き上げていると、自動ドアがすーっと開いた。同時に「いらっしゃいませ」というセンサーが発する機械音も響き、千咲も客を出迎えるつもりで入り口の方を見やった。

 が、特に誰かが入ってくるということもなく、しばらくするとドアは自動で閉じてしまう。古い設備のことだ、虫か何かに反応でもしたのだろうか。けれど、センサーまで一緒に鳴るのは珍しい。

 それとも、入りかけて途中で引き返した人でもいたのだろうかと、千咲は首を伸ばして外を覗いてみる。外からは店内の様子がほとんど見えない分、慣れてないと入り辛く感じる人も多い。女性客の場合は特にそうだろう。かく言う千咲だって、ここでバイトを始める前はネットカフェなんて入ったことも無かった。一言さんには敷居が高く感じてしまう気持ちもすごくよく分かる。

 もし入店を躊躇っている人がいれば声を掛けてみるつもりで、自動ドアをくぐり抜け出た後、千咲はその場で立ちすくんだ。

 雨上がりの濡れたアスファルト。一部はまだ水溜まりが引いていなくて、店の看板のスポットライトが水面に反射している。その駐車場内に列をなして移動していくもの達に、声にならない声が出そうになり、咄嗟に両手で口を抑えた。

 ぼんやりとした火の玉が無数に飛び交い、着物の長い裾を引き摺りながら歩く老婆に、毛むくじゃらで猿の顔に虎の肢体の異形、子供の背丈ほどもある大きな顔が首から上だけで跳ねている。四つ足で人とも動物とも区別がつかないものもいれば、朧気に揺れる亡霊の姿も。蛇の身体を持つ女は身体をくねらせ、長い舌をチラつかせながら進んでいる。
 とにかく沢山の人外が、店の駐車場を奥へ奥へと歩いていた。中には耳を塞ぎたくなるような唸り声や、金切り声を上げるものも。

 目の当たりにした光景があまりにも恐ろしく、千咲はもつれそうになる足を必死で動かして店の中へと逃げ込んだ。今見た物に比べたら、蜘蛛女なんて大きな虫程度にしか思えない、可愛いものだ。否、それは言い過ぎか……。

 白井不在の夜勤で、あのおどろおどろしいモノを大量に目撃してしまったが、どうすることもできない。護符で守られた店の中にいる方がマシに違いない。そう思っていたが、天井を走り回るような奇怪な音が建物内にも何かがいることを知らしめる。

 ――し、白井さんっ……。

 心の中で、今日は居ない先輩社員の名を呼ぶ。
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