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第二十八話・神隠し8

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「いやいやいや。当然、居てくれるんでしょ、白井君?」
「まさか。時間外労働させる気か?」
「いやいやいやいや……ほんと、勘弁してよぉ。無理だって、僕」

 出勤後の申し送りで「神隠しの犯人を閉じ込めてある」と聞かされ、中森は滴る冷や汗をハンカチで拭った。また今朝も客が行方不明になったという話から、「じゃあ僕は警察対応をしたらいいんだね」といつも通りの流れを想像していたら、どうも全く違った。「いやいやいやいや……」と首を横に振りまくって拒否し続けているが、白井からは聞き入れて貰えない。

 当の客達は重度の夢遊病とでも単純に解釈したらしく、とっくに退店している。警察沙汰にするには被害者不在で通報しようがない。否、そもそもあやかしが原因の事件に警察が来たところで何の解決にもならない。あやかしの起こした事件は人の手には負えないのだから。

 当然、その術を持つ白井が待機して、解決するつもりだとばかり思っていた。なのに勤務時間の終了を理由に、あっさりと丸投げしてこられた。就業時間が過ぎたとタイムカードを平然と押す白井の背中に、中森はすがりつくような情けない声で訴える。

「だって、相手は火炎系のあやかしなんだよね? 無理無理無理。僕なんて、リアルでかちかち山にされるのがオチでしょ」

 首をぶんぶんと横に振って、必死で拒絶する。変幻しか能の無い化け狸に何させようというのか。そもそも、その変幻の実力すら微妙なのに……。中森は丸い耳と尻尾を弱々しくしおらせた。

「別に、逃げないよう見張ってろって言ってるだけだ」

 これまで出入りしていた換気口を塞がれて、この建物のどこかに潜んでいるはずの犯人。再び外へ出るには、今は唯一の出口となっている自動ドアを通過する必要がある。
 建物内を探し回るより、相手が動き出すまでエントランスで待機している方がよっぽど効率がいい。

「鮎川、帰るぞ」
「は、はい……」

 本当にいいんですか? と不安げに何度も中森のことを振り返る千咲を、白井は顎で退勤を促す。サービス残業はお断りとばかりに、白井はスタスタと店外へと出ていってしまう。

 成り行きで白井と一緒に駅へ向かうことになった千咲は、背後から聞こえてくる中森の悲痛の叫び声が気にならないと言えば嘘になる。隣を歩く白井は普段と変わらず何を考えているか分からない飄々とした顔をしていた。綺麗に整った顔立ちは、時折り冷たく感じさせることがある。

「店長、大丈夫なんですか?」
「さあな。何とかするだろ」

 無責任な返答に、千咲はもう一度『INARI』の建物を振り返る。駐輪スペースで身を寄せ合って休んでいる三匹の狸達。モフモフが四匹集まったところで、どうにかなるとも思えないが、千咲にもどうしようもない。


 店の様子がどうしても気になった千咲は、普段より一本早い電車で職場へと向かった。本当はもっと早くに出たかったのだが、いろいろ考え過ぎたせいで寝付くのに時間がかかって、結局は大幅に寝過ごしてしまった。早く行ったところで何もできないのは分かっていたが、気になるものは気になるのだ。

 駅から足早に駆け込んだ『INARI』のエントランスで、千咲は我が目を疑う光景に出くわした。そこには自動ドアを背に、モップを片手に仁王立ちする中森の姿。勿論、丸い耳と太い尻尾は健在で、現代版の西遊記でもあれば確実にモブキャラとして登場しそうだ。目の周りに黒ずんで浮かび上がっている隈のせいで、今日は一層狸らしさが出ている。

「お、おはよう、ございます……」

 千咲の挨拶には辛うじて首を縦に動かして答えるが、中森の視線はどこか遠いところを見ている。何だか雰囲気が危うい。白井が帰ってからずっとそうしていたのだろうか、全身から疲弊感が漏れ出ていた。

「朝からずっとあそこに立ってるらしいですよ。意味わかんないんですけど」
「お客さんは全く気にせず出入りされてるんで、それはそれでウケるし」

 夕勤バイトにコケにされても、中森にモップを握る手を緩める気配はない。時折滴り落ちる額の汗をシャツの袖で拭うのが精一杯。なけなしの妖力を張り巡らせて、ここから先にはどんなあやかしも通さない気概だった。

 その中森の柄にもない気合いは、白井が出勤してくる姿にぷつりと途切れた。「やっと来たぁ」とヘナヘナと床に膝をついていた。彼にとって今日と言う一日は至極長かったのだろう。しばらくその場にへたり込んで動けないでいた。

 バイト達が帰っていくのを見送りながら、カウンター周辺の備品チェックをしていた千咲は、フロント裏で白井相手に愚痴る店長の声を聞いていた。

「もう、勘弁してよぉ……心配でトイレにもいけなかったんだから」

 一日中、立ちっぱなしだったと聞かされて、白井は鼻で笑い飛ばす。夜行性のあやかしが日中に動き出す可能性は低い。問題のあやかしの具体的な種族名を口にしなかった自分を確信犯だと言われても否定はしない。
 すでに緊張感の失せた狸腹を忌々しく一瞥する。

 時計の長針が真上を指したと同時にタイムカードを切ると、中森は逃げるように店を出ていく。これ以上ここに居れば、白井から無理に何かさせられるのは目に見えているし、化け狸の処世術の一つでもある野生の勘が早急な撤退を訴えているのだ。
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