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52.冒険譚「虎とはぐれ魔導師」

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 屋根裏から持ち出した書籍を片手に、葉月は眉間に深い皺を寄せていた。一階のいつものソファーに腰掛けて、すぐ手の届くところには薬草茶の入ったカップを置き、膝には白黒のモフモフを乗せている。一見すると、午後の優雅なひと時と言った風だったが、その表情は優雅とは縁遠かった。

「これは何て読むんですか?」
「これは、王城。ここまでの綴りで、王。こっちが城ね」

 隣に座ってのんびりとお茶を飲んでいるベルに分からない文字の読み方を確認しつつなので、なかなかページが進まない。

「はぁ……子供向けの本なんですよね、これ」

 屋根裏部屋で見つけたのは、ベルの父が主人公として書かれた冒険譚。「虎とはぐれ魔導師」という題名だけは自力で読めたものの、本文を読み始めると知らない単語がたくさん出て来てかなり苦戦していた。

 要約すると、冒険者だったベルの父が契約獣の虎と共に古代竜を討伐するという単純明快な物語。子供でも読めるようにと初歩的な単語で綴られてはいたが、それでも文字を学び始めたばかりの葉月には難しい。

「マーサはお父様の虎、見たことはあった?」

 ベルの生まれる前から領主家に仕えている世話係なら、もしかしたらと聞いてみる。尊敬する父が一緒に旅していたという契約獣にはとても興味があった。

「残念ながら、私がこちらで勤めさせていただくより前のことだそうで……」

 冒険譚にはその後のことまでは書かれていないが、父が冒険者を辞めて戻って来た時にはその虎は居なくなっていたらしい。そしてその後、今現在も父は他の獣との契約は結ばずにいた。「あの子の代わりなんて要らないから」と。

「あ、クロードなら、見たことがあるかもしれませんね」

 思いついたと手を叩くと、マーサは外で作業しているベテラン庭師を呼びに向かった。ベルの祖父時代から出入りしている彼なら、虎の姿を見たことがあるかもしれない。

「虎の名前の綴りはこれ?」
「そうそう。ティグ、ね」

 葉月が文章の一か所を指でなぞりながら確認する。主人公がジークで、虎がティグ。暗記するように声に出して繰り返してみる。

「みゃーん」

 膝の上で丸くなっていた猫が、首を上げて一鳴きした。頭を撫でてやると、ゴロゴロと喉を鳴らして喜んでいた。屋根裏の探検のおかげで、猫毛が少し埃っぽい気がする。

「ふふふ。なんだか、くーちゃんは知ってるみたいね、ティグのこと」
「みゃーん」

 葉月の膝からは降りる気はないようだったが、目を細めてベルの方へと首を伸ばした。こちらを向いた小さな丸い頭をベルは優しくなでてやった。

「ジーク坊ちゃんの虎なら、一度だけ見たことあるぞ」

 マーサに連れられてホールへ顔を出した老人は、促されるままに彼女らの向かいへと深く腰掛けた。庭木の剪定中だったのだろうか、持っていた剪定バサミは足元に置く。

「虎って言っても、子供だったけどな」
「子供?」

 世話係へクロードの分のお茶を用意するように指示しながら、ベルは驚いたように聞き返した。父は虎の子供と一緒に旅していた? 猛獣である虎なら子供でも戦力になるんだろうか?

「うん。虎にしては、かなり小さかったな」

 昔を思い出しながら、マーサに淹れてもらったお茶を美味しそうに口にした。今日の休憩時間はなかなか贅沢だと嬉しそうにしていた。

「いや待てよ……あれは虎じゃなかったんじゃないか?」

 ふと、思いついたように自問する。今なら自信を持って、違うと言える気がする。あの時は気にも留めなかったし、疑問にも思ってなかったけれど、と。

「虎じゃなかったの?」
「考えてみたら、あれは猫だったんじゃないかって思うんだよな」

 ジークは虎の子供だと言っていたし、実際に虎を見たことがある人間がほとんど居なかったから、皆が彼の言葉を信じていたけれど。

「猫が本当に居るなんて思ってなかったから、聞いたまま虎の子だと信じたけど、あれは違うんじゃないか?」
「お父様の契約獣は、猫だったって思うの?」

 腕を組んで目をつむって、改めてクロードは昔見た獣の姿を思い返した。冒険者として生活している時に一度だけ本邸へ帰って来たジークの傍らに、寄り添うようにいた獣の姿を。仕草を。鳴き声を。

「おう。にゃーんって鳴いてたわ、確かに」
「それは、猫ね」
「な、猫だろ?」

 驚いて目をぱちくりさせていた葉月は、膝の上でゴロゴロと喉を鳴らしている猫と、手に持つ冒険譚を交互に見た。ティグも、猫だった?!

「虎じゃなくて……トラ猫?」
「茶色の縞模様だったから、虎の子って言われたら、そうなのかと思っちまったんだよ、あの時は」

 虎も猫もどちらも見たことが無かったから、そうだと言われれば鵜呑みにしても仕方ない。でも今は猫は見慣れているから、ちゃんと分かる。

「お父様は、分かっておられたのかしら?」
「分かってただろうな。出来るだけ隠すようにしてたみたいだしな」

 大変だわ、とベルは慌てて作業部屋へと駆け込んだ。急いで王都にいる父へ手紙を書かないと。
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