上 下
30 / 87

30.一方的な想い

しおりを挟む
 自室兼執務室の机に向かいながら、ジョセフは頭を抱えていた。
 目の前にあるのは、来期の領地運営の予算改正案の書類。数字に強い彼にとってそれを作成するのは容易いことで、すでに立案は終えて、あとはグラン領主である父に承認を貰うだけだった。

 今、彼を悩ませているのは予算案でもなければ、領民からの嘆願書でもなかった。

「……どうしてなんだ」

 思わず声を出すと、部屋の片隅に控えて書類に目を通していた秘書兼護衛のアロンが怪訝そうに顔を上げた。が、またかと小さく呟くと、まるで何も聞こえなかったかのように書類に視線を戻していた。

 ベルから返事が来ない。あれほど情熱的な手紙を書いて送ったのに、何の反応も返って来ない。彼女の心の氷を溶かそうと、自分の想いの丈をこれでもかと文に乗せたのに。
 ずっと閉ざされていた森の道が開通して、ようやく自由に連絡を取り合えるようになったのに……。

 これまで契約獣を介して森の館とやり取りしていた仲介人は、彼がいくら頼んでも手紙一通すら預かってはくれなかった。アナベル様よりお断りするよう申し遣っているとの一点張りで。

 道が出来て行き来がし易くなった今は、別邸へ毎日のように通っている庭師に託すこともできるし、何なら自分で馬を走らせることもできるようになった。とは言っても実際のところはジョセフが一人でふらりと訪れるのは難しく、護衛の手配等が必要になってしまうので、安易には顔を見に行けず悔しい。

 どうして彼女はあんな魔獣だらけの森の中に籠ってしまうのだろうか。どうして彼女は婚約破棄などと寂しいことを口にするのだろうか。

 幼い頃から慕い続けてきた従姉妹との距離が悩ましい。

 幼い頃のこと、危険だと大人達から言い聞かされていた森の中に一人でこっそりと入って行くベルの姿を見つけ、心配で黙って後ろから付いて行ったことがあった。
 ベルは森の入口に近いところへ薬草を探しに来たようだった。しばらく採取していると、木々の奥からガサゴソと物音が聞こえ、体長一メートルほどの中型の魔獣が現れた。
 それまでは討伐されて死んでいる物か、書物くらいでしかまともに魔獣を見たことがなかったジョセフは慌てた。必死で逃げようと来た道を戻ろうとしたが、慣れない森の中で上手く走ることができず、すぐに足がもつれてコケてしまった。
 もうダメだと思ったその時、恐怖で怯える彼の前に同じ歳の少女が庇うように立ち、風の魔法を発動させて一瞬で魔獣を撃退してくれたのだった。

 従姉妹が強い魔力持ちだということは知っていたが、彼女が攻撃系の魔法を使うところは初めて見た。魔法を発動させている時のベルは栗色の緩やかな癖の入った髪をたなびかせて、とても美しかった。

 その後、膝に出来た擦り傷の痛みに泣く彼の為に、少女はいつも持ち歩いていた傷薬を惜しみなく塗って手当をしてくれた。彼女がその薬をとても大事にしていたことをジョゼフは知っていた。いつもポケットに入れていたのだから、何か特別な思い入れのある物なのだろうと思っていた。
 それを彼女は躊躇うことなくジョセフの為に使ってくれたのだ。

 あの時に察したのだ、彼女も自分のことを大事に想ってくれているのだと。

 なのに何故、ベルは一緒に暮らしていた本邸を出て、森の館に住んでいるのだろうか。彼には全く理解できなかった。ここに居て、そのままこの館の女主人となる未来を望まないというのだろうか。

「……っ?!」

 ふと、机上に一枚のメモを見つけて、怒りに震える。父の筆跡のそれに彼は我を忘れたかのように執務室を飛び出した。開けっ放しにされた扉をアロンは呆れ顔をしながら静かに閉じた。

「ち、父上っ!」
「ん、何だ? 騒々しいな」

 館の奥まったところに位置する領主用執務室で山積みの書類に囲まれていた現グラン領主は、ノックもせずに飛び込んできた長男に眉をひそめた。

「ど、どういうことでしょうか、これは?!」
「ん? あー、それか」

 握りしめて皺くちゃになったメモ用紙を父の目の前に突き出すと、別に驚くこともないだろうと流される。メモに記されていたのは、隣領主の娘とのお見合いの日取りだった。

「お前もそろそろ身を固めても良い頃合いだろう」
「私にはアナベルがおりますので、見合いなど必要ありませんっ」
「ん? ベルとの婚約は解消したはずだが?」

 はて? と領主はわざととぼけてみせる。この思い込みの激しい息子が従姉妹との婚約解消を認めていないのは知っていた。しかし己の立場を考えて、その内に諦めるだろうと放置していたのだが……。

「ベル側から解消を望まれれば、お前には拒否権が無いのは分かっているだろう?」
「し、しかしっ! それが彼女の本意とは限りません」

 その自信はどこから来るんだと我が息子ながらに呆れ返る。ベルからは再三に渡って、ジョセフをちゃんと説得するようにと言われていた。

「宮廷魔導師の素質がある娘を、一介の領主の妻にしておくのか?」
「ぐっ……べ、ベルは伯父上の後を継ぐ気はないと言っていましたが……」
「それは今は兄上が健在だからだろう。いずれは宮廷側からも打診される可能性はある」

 ベル同様に強い魔力持ちである兄は領を出て王都で宮廷魔導師として従事している。長兄が宮廷に仕えることになったおかげで、次男である彼が領主職を継ぐことになって今に至っていた。
 豊かな領地であるグラン領の領主職を辞退するほどの価値が宮廷魔導師にはあり、王都での身分と生活の保障は当然のこと、魔導師を輩出した領地へもたらされる恩恵も大きい。

 なので、もしベルが宮廷から呼ばれるようなことがあった時、叔父である彼にも止める権限は無い。尊重されるのは、ベル本人の意思のみである。しかし、決して強要されるということがないのは、国家の歴史の中で魔導師の反乱ほど深刻な史実はなかったからだ。

「し、しかし、ベルが薬作りを止めてしまったら、領内の薬の価格が高騰してしまいます」

 宮廷に従事できる魔導師は当然のごとく希少だが、ベルのように調薬ができる魔法使いもそれほど多くはない。彼女の作る薬が無くなれば、それはそれで相場が大きく変わってしまう可能性もあった。

「別邸の客人とは会わなかったのか?」
「直接は会いませんでしたが、迷い人がいるとか」
「そうだ。その少女に薬作りを教えていると聞いたぞ」

 庭師のクロードからも話を聞いていたので、葉月がベルの調薬の手伝いをしていることは領主も知っていた。それが後継者の育成の為かどうかまでは分からないが、この思い込みの激しい息子にベルを諦めさせるネタになるかもと付け加えた。

「おそらく宮廷へ行く準備をしているのかもしれんなぁ」
「そ、そうでしょうか……」

 それ以上は何も言わず、ジョセフは肩を落として父の執務室を出て行った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

〈とりあえずまた〆〉婚約破棄? ちょうどいいですわ、断罪の場には。

江戸川ばた散歩
ファンタジー
辺境伯令嬢バルバラ・ザクセットは、第一王子セインの誕生パーティの場で婚約破棄を言い渡された。 だがその途端周囲がざわめき、空気が変わる。 父王も王妃も絶望にへたりこみ、セインの母第三側妃は彼の頬を打ち叱責した後、毒をもって自害する。 そしてバルバラは皇帝の代理人として、パーティ自体をチェイルト王家自体に対する裁判の場に変えるのだった。 番外編1……裁判となった事件の裏側を、その首謀者三人のうちの一人カイシャル・セルーメ視点であちこち移動しながら30年くらいのスパンで描いています。シリアス。 番外編2……マリウラ視点のその後。もう絶対に関わりにならないと思っていたはずの人々が何故か自分のところに相談しにやってくるという。お気楽話。 番外編3……辺境伯令嬢バルバラの動きを、彼女の本当の婚約者で護衛騎士のシェイデンの視点から見た話。番外1の少し後の部分も入ってます。 *カテゴリが恋愛にしてありますが本編においては恋愛要素は薄いです。 *むしろ恋愛は番外編の方に集中しました。 3/31 番外の番外「円盤太陽杯優勝者の供述」短期連載です。 恋愛大賞にひっかからなかったこともあり、カテゴリを変更しました。

ダンジョンで有名モデルを助けたら公式配信に映っていたようでバズってしまいました。

夜兎ましろ
ファンタジー
 高校を卒業したばかりの少年――夜見ユウは今まで鍛えてきた自分がダンジョンでも通用するのかを知るために、はじめてのダンジョンへと向かう。もし、上手くいけば冒険者にもなれるかもしれないと考えたからだ。  ダンジョンに足を踏み入れたユウはとある女性が魔物に襲われそうになっているところに遭遇し、魔法などを使って女性を助けたのだが、偶然にもその瞬間がダンジョンの公式配信に映ってしまっており、ユウはバズってしまうことになる。  バズってしまったならしょうがないと思い、ユウは配信活動をはじめることにするのだが、何故か助けた女性と共に配信を始めることになるのだった。

冒険がしたい創造スキル持ちの転生者

Gai
ファンタジー
死因がわからないまま神様に異世界に転生させられた久我蒼谷。 転生した世界はファンタジー好きの者なら心が躍る剣や魔法、冒険者ギルドにドラゴンが存在する世界。 そんな世界を転生した主人公が存分に楽しんでいく物語です。 祝書籍化!! 今月の下旬にアルファポリス文庫さんから冒険がしたい創造スキル持ちの転生者が単行本になって発売されました! 本日家に実物が届きましたが・・・本当に嬉しくて涙が出そうになりました。 ゼルートやゲイル達をみことあけみ様が書いてくれました!! 是非彼らの活躍を読んで頂けると幸いです。

辺境の最強魔導師   ~魔術大学を13歳で首席卒業した私が辺境に6年引きこもっていたら最強になってた~

日の丸
ファンタジー
ウィーラ大陸にある大国アクセリア帝国は大陸の約4割の国土を持つ大国である。 アクセリア帝国の帝都アクセリアにある魔術大学セルストーレ・・・・そこは魔術師を目指す誰もが憧れそして目指す大学・・・・その大学に13歳で首席をとるほどの天才がいた。 その天才がセレストーレを卒業する時から物語が始まる。

わがまま姉のせいで8歳で大聖女になってしまいました

ぺきぺき
ファンタジー
ルロワ公爵家の三女として生まれたクリスローズは聖女の素質を持ち、6歳で教会で聖女の修行を始めた。幼いながらも修行に励み、周りに応援されながら頑張っていたある日突然、大聖女をしていた10歳上の姉が『妊娠したから大聖女をやめて結婚するわ』と宣言した。 大聖女資格があったのは、その時まだ8歳だったクリスローズだけで…。 ー--- 全5章、最終話まで執筆済み。 第1章 6歳の聖女 第2章 8歳の大聖女 第3章 12歳の公爵令嬢 第4章 15歳の辺境聖女 第5章 17歳の愛し子 権力のあるわがまま女に振り回されながらも健気にがんばる女の子の話を書いた…はず。 おまけの後日談投稿します(6/26)。 番外編投稿します(12/30-1/1)。 作者の別作品『人たらしヒロインは無自覚で魔法学園を改革しています』の隣の国の昔のお話です。

【完結】彼女以外、みんな思い出す。

❄️冬は つとめて
ファンタジー
R15をつける事にしました。 幼い頃からの婚約者、この国の第二王子に婚約破棄を告げられ。あらぬ冤罪を突きつけられたリフィル。この場所に誰も助けてくれるものはいない。

「宮廷魔術師の娘の癖に無能すぎる」と婚約破棄され親には出来損ないと言われたが、厄介払いと嫁に出された家はいいところだった

今川幸乃
ファンタジー
魔術の名門オールストン公爵家に生まれたレイラは、武門の名門と呼ばれたオーガスト公爵家の跡取りブランドと婚約させられた。 しかしレイラは魔法をうまく使うことも出来ず、ブランドに一方的に婚約破棄されてしまう。 それを聞いた宮廷魔術師の父はブランドではなくレイラに「出来損ないめ」と激怒し、まるで厄介払いのようにレイノルズ侯爵家という微妙な家に嫁に出されてしまう。夫のロルスは魔術には何の興味もなく、最初は仲も微妙だった。 一方ブランドはベラという魔法がうまい令嬢と婚約し、やはり婚約破棄して良かったと思うのだった。 しかしレイラが魔法を全然使えないのはオールストン家で毎日飲まされていた魔力増加薬が体質に合わず、魔力が暴走してしまうせいだった。 加えて毎日毎晩ずっと勉強や訓練をさせられて常に体調が悪かったことも原因だった。 レイノルズ家でのんびり過ごしていたレイラはやがて自分の真の力に気づいていく。

ダンデリオンの花

木風 麦
ファンタジー
成り上がりを目論む平民出身の騎士、ラヴィールはワケあり令嬢の専属騎士に任命される。しかしその日の夜、妙な夢を見る。 だがその令嬢は凄惨な人生を歩むことになる夢だった。王子に見初められ嫁いだ矢先、市民の貴族制度反対運動に巻き込まれ……その後令嬢は財を使い果たした悪魔の貴族、魔女などと揶揄されてしまう。 結局市民に捕らえられ、斬首刑が決まってしまう。そしてその専属騎士であったラヴィールと専属メイドも刑を受け──そんな予知夢を見た。 令嬢、そして自分たちの死を回避するために奔走する日々が始まろうとしていた。

処理中です...