21 / 87
21.使用人マーサ
しおりを挟む
「マ、マーサ?」
領主達の乗った馬車が街の方角へと走り去って行くのを、茫然と見送った後、最初に声を発したのはベルだった。
名前を呼ばれたマーサ本人は、ニコニコとご機嫌な表情で手際よく荷物を館の中へと運び入れている。
「え、どうして?」
「私はこちらでお仕えする身ですから、当然でございます」
そそくさと慣れた風に奥へと入って行き、以前使っていたことのある一階の使用人部屋の扉に手を掛けようとする。
「あっ、ま、待って!」
ベルが慌てた声で止めようとする。葉月も気付き、あれ? と首を傾げた。マーサが今入ろうとしている、その部屋は……。
「まっ、どういうことでしょうか、これは?!」
葉月曰く、この館のパンドラの箱。ベルが私室としている部屋だ。葉月のお掃除の手が一切入ったことのない、ゴミ屋敷状態を唯一まだ保ち続けている場所だ。
「アナベルお嬢様っ!! 何でしょうか、これは?! 汚いっ、いえ、まずそれより、どうしてお嬢様が使用人部屋をお使いになってるんですかっ?!」
目の前に露見された衝撃的な光景。マーサは顔を真っ赤にしながらベルへと詰め寄る。
久しぶりに戻って来られた館が以前とはそれほど変わらない様子に安心しつつ、お嬢様もちゃんと生活できるんだなと感心していたところだったのに……。
「ほ、ほら、ここが一番使い勝手が良かったから……」
「違いますでしょ。ただ単に、二階へ上がるのが面倒だったからでしょうに!」
完全に、見抜かれている。
「ハァ、分かりました。館のことは、葉月様がやってくださったのですね……」
「ええ……そうね」
「まあ、なんてこと!」
お客様に何をしていただいてるんですか! 声高にまくし立てつつも、その手は常に忙しなく動いている。怒りながらでも片付ける手際とスピードはまさにプロ。小言を続けながらも、ベルの私物を二階の一番奥の部屋へと移動させていく。
マーサ曰く、館の主は入口から一番遠い部屋を私室とするべきということだ。つまり、ベルが一番面倒だと感じて遠ざかっていた部屋だ。
マーサがバタバタと二階を行き来し始めたので、葉月は自室として使っている部屋をそっと確認する。壁際に設置されたベッドの上には、一匹で丸まって眠る愛猫の姿があった。
――やっぱり隠れてたか、くーちゃん……。
人見知り全開の猫は、今も眠っているようには見える。が、耳だけはピンと張って周囲の音を警戒していた。
――お腹が空いたら、降りてくるかな?
猫が出入り出来る程度の隙間を開けたまま、静かに一階へと戻る。階下ではげんなり顔のベルが、溜め息をつきながら薬草茶を飲んでいた。
「くーちゃんは、どうしてるの?」
「人見知りして、閉じ籠ってますね」
「あら。大変だわ」
微かに聞こえる二階の物音に、二人は顔を見合わせて苦笑する。
「館のことはマーサに任せて、これからはのんびりするといいわ。あれでも有能な世話係なのよ」
かなり口煩いけどね、と付け足して、ふふふと微笑んでみせる。
手早くベルの私室を整えて降りて来たマーサは、馬車で運んで来た荷物の一部を抱えて調理場へと向かう。夕食の支度に取り掛かるつもりのようだ。住み込みの準備は万全で、抜かりは無い。
「あ、くーちゃんのご飯……マーサさんには、何て説明したら?」
「そうねぇ……」
人差し指を顎に当てて、ベルが考える素振りを見せる。
また住み込みで働くというのなら、伝えない訳にはいかない。聖獣という存在のことを、はたしてマーサは知っているのだろうか。この世界でも知識として聞いたことがある者は少なくないはずだが、実際に見たことがある人はおそらく森の魔女だけ。
「みゃーん」
隙を見て静かに降りて来た猫が、ご飯という単語に反応してか、甘えるように葉月の脚へ擦り寄ってくる。マーサはまだ調理場で支度中だ。
「起きてきたの? お腹空いた?」
「みゃーん」
八割れ猫を抱き上げて膝へ乗せ、その毛並みに沿って撫でてあげると、ゴロゴロと喉を鳴らして葉月の顔に擦り寄ってくる。それでも耳はピンと張ったままなので、調理場にいる使用人の存在が随分と気になるようだった。
「降りて来れたなら、くーの方は大丈夫そうですね」
「それなら良かったわ。あとはマーサ次第ね。驚いて騒がないといいんだけど……」
「そう言えば、アナベルを略してベルなんですね」
「略さずに呼ぶのなんてマーサくらいよ」
猫を囲みながら他愛ない会話をしていると、調理場の扉が開く気配。同時に、食欲をそそる香りがホール中に漂い始める。
「お待たせいたしましたわ。ご夕食になさいましょう」
ガラガラとワゴンに乗せて、マーサが作りたての料理を運んでくる。サラダとスープ、パンに、メインは白身魚のムニエルのようだ。品数こそ多くは無かったが、色とりどりの野菜が使われていて、栄養バランスも良さそうだ。
ここに来て初めての魚料理に、葉月は喉が鳴りそうになる。
「美味しそう……」
「みゃーん」
思わず言葉が漏れ、そしてそれに返事した猫にハッとする。葉月の膝の上で立ち上がって、くーはテーブルに置かれていく料理の匂いをくんくんと嗅いでいた。
「な、なんでしょうかっ、その獣は?!」
客人の膝に陣取る白黒の毛玉に、ベテランの世話係の目が丸くなっている。
「あ、えっと……」
「猫よ、マーサ。葉月と一緒に遠い国から来たのよ」
言葉に詰まる葉月に代わって、ベルがさも何も問題は無いわと言いたげに、平然と説明する。
「とてもおとなしい子だから、平気よ。この子のご飯も用意してあげてくれる?」
「猫、ですか……葉月様のお国の獣なのですか? 初めて拝見しましたわ」
猫と言われても特にピンとは来ないらしい。どうやらマーサは聖獣についての知識は持ち合わせていないようだ。騒がれることもなく受け入れられ、二人はホッと胸を撫で下ろした。
領主達の乗った馬車が街の方角へと走り去って行くのを、茫然と見送った後、最初に声を発したのはベルだった。
名前を呼ばれたマーサ本人は、ニコニコとご機嫌な表情で手際よく荷物を館の中へと運び入れている。
「え、どうして?」
「私はこちらでお仕えする身ですから、当然でございます」
そそくさと慣れた風に奥へと入って行き、以前使っていたことのある一階の使用人部屋の扉に手を掛けようとする。
「あっ、ま、待って!」
ベルが慌てた声で止めようとする。葉月も気付き、あれ? と首を傾げた。マーサが今入ろうとしている、その部屋は……。
「まっ、どういうことでしょうか、これは?!」
葉月曰く、この館のパンドラの箱。ベルが私室としている部屋だ。葉月のお掃除の手が一切入ったことのない、ゴミ屋敷状態を唯一まだ保ち続けている場所だ。
「アナベルお嬢様っ!! 何でしょうか、これは?! 汚いっ、いえ、まずそれより、どうしてお嬢様が使用人部屋をお使いになってるんですかっ?!」
目の前に露見された衝撃的な光景。マーサは顔を真っ赤にしながらベルへと詰め寄る。
久しぶりに戻って来られた館が以前とはそれほど変わらない様子に安心しつつ、お嬢様もちゃんと生活できるんだなと感心していたところだったのに……。
「ほ、ほら、ここが一番使い勝手が良かったから……」
「違いますでしょ。ただ単に、二階へ上がるのが面倒だったからでしょうに!」
完全に、見抜かれている。
「ハァ、分かりました。館のことは、葉月様がやってくださったのですね……」
「ええ……そうね」
「まあ、なんてこと!」
お客様に何をしていただいてるんですか! 声高にまくし立てつつも、その手は常に忙しなく動いている。怒りながらでも片付ける手際とスピードはまさにプロ。小言を続けながらも、ベルの私物を二階の一番奥の部屋へと移動させていく。
マーサ曰く、館の主は入口から一番遠い部屋を私室とするべきということだ。つまり、ベルが一番面倒だと感じて遠ざかっていた部屋だ。
マーサがバタバタと二階を行き来し始めたので、葉月は自室として使っている部屋をそっと確認する。壁際に設置されたベッドの上には、一匹で丸まって眠る愛猫の姿があった。
――やっぱり隠れてたか、くーちゃん……。
人見知り全開の猫は、今も眠っているようには見える。が、耳だけはピンと張って周囲の音を警戒していた。
――お腹が空いたら、降りてくるかな?
猫が出入り出来る程度の隙間を開けたまま、静かに一階へと戻る。階下ではげんなり顔のベルが、溜め息をつきながら薬草茶を飲んでいた。
「くーちゃんは、どうしてるの?」
「人見知りして、閉じ籠ってますね」
「あら。大変だわ」
微かに聞こえる二階の物音に、二人は顔を見合わせて苦笑する。
「館のことはマーサに任せて、これからはのんびりするといいわ。あれでも有能な世話係なのよ」
かなり口煩いけどね、と付け足して、ふふふと微笑んでみせる。
手早くベルの私室を整えて降りて来たマーサは、馬車で運んで来た荷物の一部を抱えて調理場へと向かう。夕食の支度に取り掛かるつもりのようだ。住み込みの準備は万全で、抜かりは無い。
「あ、くーちゃんのご飯……マーサさんには、何て説明したら?」
「そうねぇ……」
人差し指を顎に当てて、ベルが考える素振りを見せる。
また住み込みで働くというのなら、伝えない訳にはいかない。聖獣という存在のことを、はたしてマーサは知っているのだろうか。この世界でも知識として聞いたことがある者は少なくないはずだが、実際に見たことがある人はおそらく森の魔女だけ。
「みゃーん」
隙を見て静かに降りて来た猫が、ご飯という単語に反応してか、甘えるように葉月の脚へ擦り寄ってくる。マーサはまだ調理場で支度中だ。
「起きてきたの? お腹空いた?」
「みゃーん」
八割れ猫を抱き上げて膝へ乗せ、その毛並みに沿って撫でてあげると、ゴロゴロと喉を鳴らして葉月の顔に擦り寄ってくる。それでも耳はピンと張ったままなので、調理場にいる使用人の存在が随分と気になるようだった。
「降りて来れたなら、くーの方は大丈夫そうですね」
「それなら良かったわ。あとはマーサ次第ね。驚いて騒がないといいんだけど……」
「そう言えば、アナベルを略してベルなんですね」
「略さずに呼ぶのなんてマーサくらいよ」
猫を囲みながら他愛ない会話をしていると、調理場の扉が開く気配。同時に、食欲をそそる香りがホール中に漂い始める。
「お待たせいたしましたわ。ご夕食になさいましょう」
ガラガラとワゴンに乗せて、マーサが作りたての料理を運んでくる。サラダとスープ、パンに、メインは白身魚のムニエルのようだ。品数こそ多くは無かったが、色とりどりの野菜が使われていて、栄養バランスも良さそうだ。
ここに来て初めての魚料理に、葉月は喉が鳴りそうになる。
「美味しそう……」
「みゃーん」
思わず言葉が漏れ、そしてそれに返事した猫にハッとする。葉月の膝の上で立ち上がって、くーはテーブルに置かれていく料理の匂いをくんくんと嗅いでいた。
「な、なんでしょうかっ、その獣は?!」
客人の膝に陣取る白黒の毛玉に、ベテランの世話係の目が丸くなっている。
「あ、えっと……」
「猫よ、マーサ。葉月と一緒に遠い国から来たのよ」
言葉に詰まる葉月に代わって、ベルがさも何も問題は無いわと言いたげに、平然と説明する。
「とてもおとなしい子だから、平気よ。この子のご飯も用意してあげてくれる?」
「猫、ですか……葉月様のお国の獣なのですか? 初めて拝見しましたわ」
猫と言われても特にピンとは来ないらしい。どうやらマーサは聖獣についての知識は持ち合わせていないようだ。騒がれることもなく受け入れられ、二人はホッと胸を撫で下ろした。
0
お気に入りに追加
131
あなたにおすすめの小説
【完結】転生少女は異世界でお店を始めたい
梅丸
ファンタジー
せっかく40代目前にして夢だった喫茶店オープンに漕ぎ着けたと言うのに事故に遭い呆気なく命を落としてしまった私。女神様が管理する異世界に転生させてもらい夢を実現するために奮闘するのだが、この世界には無いものが多すぎる! 創造魔法と言う女神様から授かった恩寵と前世の料理レシピを駆使して色々作りながら頑張る私だった。
転生したら神だった。どうすんの?
埼玉ポテチ
ファンタジー
転生した先は何と神様、しかも他の神にお前は神じゃ無いと天界から追放されてしまった。僕はこれからどうすれば良いの?
人間界に落とされた神が天界に戻るのかはたまた、地上でスローライフを送るのか?ちょっと変わった異世界ファンタジーです。
異世界着ぐるみ転生
こまちゃも
ファンタジー
旧題:着ぐるみ転生
どこにでもいる、普通のOLだった。
会社と部屋を往復する毎日。趣味と言えば、十年以上続けているRPGオンラインゲーム。
ある日気が付くと、森の中だった。
誘拐?ちょっと待て、何この全身モフモフ!
自分の姿が、ゲームで使っていたアバター・・・二足歩行の巨大猫になっていた。
幸い、ゲームで培ったスキルや能力はそのまま。使っていたアイテムバッグも中身入り!
冒険者?そんな怖い事はしません!
目指せ、自給自足!
*小説家になろう様でも掲載中です
チート薬学で成り上がり! 伯爵家から放逐されたけど優しい子爵家の養子になりました!
芽狐
ファンタジー
⭐️チート薬学3巻発売中⭐️
ブラック企業勤めの37歳の高橋 渉(わたる)は、過労で倒れ会社をクビになる。
嫌なことを忘れようと、異世界のアニメを見ていて、ふと「異世界に行きたい」と口に出したことが、始まりで女神によって死にかけている体に転生させられる!
転生先は、スキルないも魔法も使えないアレクを家族は他人のように扱い、使用人すらも見下した態度で接する伯爵家だった。
新しく生まれ変わったアレク(渉)は、この最悪な現状をどう打破して幸せになっていくのか??
更新予定:なるべく毎日19時にアップします! アップされなければ、多忙とお考え下さい!
【完結】異世界で小料理屋さんを自由気ままに営業する〜おっかなびっくり魔物ジビエ料理の数々〜
櫛田こころ
ファンタジー
料理人の人生を絶たれた。
和食料理人である女性の秋吉宏香(あきよしひろか)は、ひき逃げ事故に遭ったのだ。
命には関わらなかったが、生き甲斐となっていた料理人にとって大事な利き腕の神経が切れてしまい、不随までの重傷を負う。
さすがに勤め先を続けるわけにもいかず、辞めて公園で途方に暮れていると……女神に請われ、異世界転移をすることに。
腕の障害をリセットされたため、新たな料理人としての人生をスタートさせようとした時に、尾が二又に別れた猫が……ジビエに似た魔物を狩っていたところに遭遇。
料理人としての再スタートの機会を得た女性と、猟りの腕前はプロ級の猫又ぽい魔物との飯テロスローライフが始まる!!
おっかなびっくり料理の小料理屋さんの料理を召し上がれ?
祝・定年退職!? 10歳からの異世界生活
空の雲
ファンタジー
中田 祐一郎(なかたゆういちろう)60歳。長年勤めた会社を退職。
最後の勤めを終え、通い慣れた電車で帰宅途中、突然の衝撃をうける。
――気付けば、幼い子供の姿で見覚えのない森の中に……
どうすればいいのか困惑する中、冒険者バルトジャンと出会う。
顔はいかついが気のいいバルトジャンは、行き場のない子供――中田祐一郎(ユーチ)の保護を申し出る。
魔法や魔物の存在する、この世界の知識がないユーチは、迷いながらもその言葉に甘えることにした。
こうして始まったユーチの異世界生活は、愛用の腕時計から、なぜか地球の道具が取り出せたり、彼の使う魔法が他人とちょっと違っていたりと、出会った人たちを驚かせつつ、ゆっくり動き出す――
※2月25日、書籍部分がレンタルになりました。
一緒に異世界転生した飼い猫のもらったチートがやばすぎた。もしかして、メインは猫の方ですか、女神様!?
たまご
ファンタジー
アラサーの相田つかさは事故により命を落とす。
最期の瞬間に頭に浮かんだのが「猫達のごはん、これからどうしよう……」だったせいか、飼っていた8匹の猫と共に異世界転生をしてしまう。
だが、つかさが目を覚ます前に女神様からとんでもチートを授かった猫達は新しい世界へと自由に飛び出して行ってしまう。
女神様に泣きつかれ、つかさは猫達を回収するために旅に出た。
猫達が、世界を滅ぼしてしまう前に!!
「私はスローライフ希望なんですけど……」
この作品は「小説家になろう」さん、「エブリスタ」さんで完結済みです。
表紙の写真は、モデルになったうちの猫様です。
異世界で快適な生活するのに自重なんかしてられないだろ?
お子様
ファンタジー
机の引き出しから過去未来ではなく異世界へ。
飛ばされた世界で日本のような快適な生活を過ごすにはどうしたらいい?
自重して目立たないようにする?
無理無理。快適な生活を送るにはお金が必要なんだよ!
お金を稼ぎ目立っても、問題無く暮らす方法は?
主人公の考えた手段は、ドン引きされるような内容だった。
(実践出来るかどうかは別だけど)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる