21 / 44
2章
黄昏2
しおりを挟む「……会議は、もう終わられたのですか?」
一呼吸だけ彼の手のあたたかさに心を預けてから、体を離して彼を見上げた。
「終わった」
短く答えた声には棘が含まれていて、眉間に深い皺を刻む。
「なぜ倒れたことをすぐに知らせなかった? あなたはいつも、私に何ひとつ教えようとしないな」
責めるような厳しさに、思わず目を伏せた。
「……ご迷惑を……おかけしたくなくて……」
「会議など、私がいなくても滞りなく進む」
間髪を入れずに大仰に溜息をついて、軽く前髪をかきあげる。
そして何度か迷うように視線を泳がせ、さらにもう一度溜息をつくと、私を手離して体ごと角度を変え、窓の外を眺めた。
再び、気まずい沈黙がひたひたと部屋に満ちていった。
部屋がすっかり沈黙で満たされ、体の奥まで染み渡り始めた頃、聞こえるかどうかというような小さな呟きがぽつりと落ちた。
「…………リズに、なにをされたんだ?」
思わず目を瞠り、息を呑んだ。
――リズ、愛してる。
脳裏にまたその言葉が響いて、改めて深々と胸に刺さった。
今まで何度思い出してもそれは彼女の声だったのに、アレスの声にすり替わってしまったから。
(本当に……“リズ”と、親しく呼ぶ仲の人なのですね……?)
その問いは、恐怖に凍り付いて口からこぼれ落ちることはなかった。
今の一言に彼女に対する親愛の情は感じとれなかった。けれどアレスは基本的に人の名を呼ばないし、ディーネの名を呼んでくれるまで一月かかった。それも、フリーレの謀がなければ今でも「姫」としか呼んでいないかもしれないのだ。
なのに、彼女のことは今でも愛称。
そう思うと、脳裏に何度も繰り返される妄想がより生々しく現実味を帯びていって、心が散り散りに引き裂かれそうだった。
アレスが振り返ろうとする気配がして、慌てて俯いた。
「な……なにも……」
もう一度頭まで掛布をかぶって隠れてしまいたい衝動に駆られるのを、拳を握って堪えた。そんな私の手を見、アレスは眉を寄せた。
「じゃあ、これは?」
彼は手首を掴み、包帯の巻かれた私の手のひらに鋭い視線を送る。
「あ……あの、これは……痙攣を起こした時に、私の爪が食い込んでしまっただけで。包帯をするような大袈裟なものでもないし……なにかされてついた傷では……」
「つまり、痙攣を起こすような何かをされたのか?」
しどろもどろで答えたら厳しい指摘をされて、それ以上の言葉に詰まる。
異国の言葉を探すみたいになにを言えばいいのかわからず、ずしりとした重い沈黙が流れた。アレスは手を離し、沈黙を押しやってしまうほどの重い溜息をついた。
「……ランドハイア伯は会議の途中で慌てて退席して、会議が終わった後に私に謝罪してきた」
びくりと肩が跳ねたのが、自分でもわかるほどだった。
「リズはあんなに動転するなんて思わなかったと泣きつくばかりで詳しいことは聞けないが、迷惑をかけたようで申し訳なかったと。けれど私はなんのことやらさっぱり状況がわからないから返事もできず、非常に困った」
一言一言が、ぐさりぐさりと音を立てて胸に刺さる。
迷惑をかけていると思うと後ろめたくて、でも、やっぱりなにを言えばいいのかわからなかった。
「迷惑をかけたくないと言うなら、ちゃんとなにがあったか話してくれ」
容赦なく追い打ちを掛けられるが、よけいに言葉に詰まってしまう。
されたことなんて、人によってはうまく受け流すことができるようなことだろう。
だからこそ、恥ずかしくて言えない。
脈絡もなく、二人が恋人同士のように親しげに話す姿を思い浮かべてしまう。
ずっと胸の中に渦巻いている醜い感情。こんなどろどろした醜い気持ちを知られて嫌われたくない。
彼女のことを聞いて、真実を聞かされるのが、怖い。
彼が離れていってしまうのが。
怖くて、堪らない。
「………っく…………ふ、……ぇ……っ、………ひっくっ」
返事の代わりに零れたのは、堪えきれない嗚咽と涙だった。
「ディーネ、泣くことはないだろう」
拭っても拭ってもぼろぼろとこぼれる涙と戦っていると、アレスがゆっくりと手を伸ばし、頭を抱き寄せ背中を撫でた。とても優しい手のぬくもりに、胸が詰まるほどの涙が次々に溢れて止まらなくなっていく。
そばにいてください。
どこにもいかないでください。
ずっとずっと、私のそばにいて。
私を、抱きしめて。
私の名前だけを呼んで。
私だけを、見ていて。
ほかの誰の見ないで、呼ばないで、触れないでいて。
もう少しだけ、夢を見せて。
愛されていると思わせて。
時間は、もう、あまり多くは残っていないから。
どうか最後まで、このまま優しい夢を見せていて――。
0
お気に入りに追加
60
あなたにおすすめの小説
夫婦×交換(R18)
ももも
恋愛
早瀬 拓真と結花子は36歳の同い年夫婦だが、それぞれが自分たち以外の男女と関係を持っていた。
ある日、結花子は拓真の部下である新婚の桜井 裕也とその妻・香澄を家に呼ぶことを提案した。
4人が集まった時、結花子は『夫婦交換』を提案する……。やがて、4人の関係性は変化していき……。
エロ有にはタイトルに〇をつけています。
【R18】御曹司とスパルタ稽古ののち、蜜夜でとろける
鶴れり
恋愛
「私のこと、たくさん愛してくれたら、自信がつくかも……」
◆自分に自信のない地味なアラサー女が、ハイスペック御曹司から溺愛されて、成長して幸せを掴んでいく物語◆
瑛美(えみ)は凡庸で地味な二十九歳。人付き合いが苦手で無趣味な瑛美は、味気ない日々を過ごしていた。
あるとき親友の白無垢姿に感銘を受けて、金曜の夜に着物着付け教室に通うことを決意する。
しかし瑛美の個人稽古を担当する着付け師範は、同じ会社の『締切の鬼』と呼ばれている上司、大和(やまと)だった。
着物をまとった大和は会社とは打って変わり、色香のある大人な男性に……。
「瑛美、俺の彼女になって」
「できなかったらペナルティな」
瑛美は流されるがまま金曜の夜限定の恋人になる。
毎週、大和のスパルタ稽古からの甘い夜を過ごすことになり――?!
※ムーンライトノベルス様にも掲載しております。
【R-18】愛妻家の上司にキスしてみたら釣れてしまった件について
瑛瑠
恋愛
わたしの上司、藤沢係長は、39歳、既婚、子供は3人。
身長176㎝、休日はジムやランニングで鍛え、オーダースーツにピカピカの靴。
顔はあっさり癒し系。さらに気さくで頭も良くて話も面白くて頼りがいもあって、とにかく人気のある上司。
ただ、周りが引くほどの愛妻家。
そんな上司に、なんとなくキスをしてしまったら…
そしてそのキスの先は。
釣ったのは私なのか、釣られてしまったのは私なのか。
この後どうしようというもどかしい、ダメなオトナのお話です。
奥さんがいる人とのお話なので、嫌悪感を持つ方、苦手な方はUターンお願いします。
R-18に ※マークつけてますのでご注意ください。
ーーーーー
▫️11.10 第2章の1を分割しました
孕むまでオマエを離さない~孤独な御曹司の執着愛~
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「絶対にキモチイイと言わせてやる」
私に多額の借金を背負わせ、彼氏がいなくなりました!?
ヤバい取り立て屋から告げられた返済期限は一週間後。
少しでもどうにかならないかとキャバクラに体験入店したものの、ナンバーワンキャバ嬢の恨みを買い、騒ぎを起こしてしまいました……。
それだけでも絶望的なのに、私を庇ってきたのは弊社の御曹司で。
副業がバレてクビかと怯えていたら、借金の肩代わりに妊娠を強要されたんですが!?
跡取り身籠もり条件の愛のない関係のはずなのに、御曹司があまあまなのはなぜでしょう……?
坂下花音 さかしたかのん
28歳
不動産会社『マグネイトエステート』一般社員
真面目が服を着て歩いているような子
見た目も真面目そのもの
恋に関しては夢を見がちで、そのせいで男に騙された
×
盛重海星 もりしげかいせい
32歳
不動産会社『マグネイトエステート』開発本部長で御曹司
長男だけどなにやら訳ありであまり跡取りとして望まれていない
人当たりがよくていい人
だけど本当は強引!?
冷徹御曹司と極上の一夜に溺れたら愛を孕みました
せいとも
恋愛
旧題:運命の一夜と愛の結晶〜裏切られた絶望がもたらす奇跡〜
神楽坂グループ傘下『田崎ホールディングス』の創業50周年パーティーが開催された。
舞台で挨拶するのは、専務の田崎悠太だ。
専務の秘書で彼女の月島さくらは、会場で挨拶を聞いていた。
そこで、今の瞬間まで彼氏だと思っていた悠太の口から、別の女性との婚約が発表された。
さくらは、訳が分からずショックを受け会場を後にする。
その様子を見ていたのが、神楽坂グループの御曹司で、社長の怜だった。
海外出張から一時帰国して、パーティーに出席していたのだ。
会場から出たさくらを追いかけ、忘れさせてやると一夜の関係をもつ。
一生をさくらと共にしようと考えていた怜と、怜とは一夜の関係だと割り切り前に進むさくらとの、長い長いすれ違いが始まる。
再会の日は……。
【R18】男嫌いと噂の美人秘書はエリート副社長に一夜から始まる恋に落とされる。
夏琳トウ(明石唯加)
恋愛
真田(さなだ)ホールディングスで専務秘書を務めている香坂 杏珠(こうさか あんじゅ)は凛とした美人で26歳。社内外問わずモテるものの、男に冷たく当たることから『男性嫌いではないか』と噂されている。
しかし、実際は違う。杏珠は自分の理想を妥協することが出来ず、結果的に彼氏いない歴=年齢を貫いている、いわば拗らせ女なのだ。
そんな杏珠はある日社長から副社長として本社に来てもらう甥っ子の専属秘書になってほしいと打診された。
渋々といった風に了承した杏珠。
そして、出逢った男性――丞(たすく)は、まさかまさかで杏珠の好みぴったりの『筋肉男子』だった。
挙句、気が付いたら二人でベッドにいて……。
しかも、過去についてしまった『とある嘘』が原因で、杏珠は危機に陥る。
後継者と名高いエリート副社長×凛とした美人秘書(拗らせ女)の身体から始まる現代ラブ。
▼掲載先→エブリスタ、ベリーズカフェ、アルファポリス(性描写多め版)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる