【小説版】Birthday-墓前で君を想う-

抵抗3

「……マリー……」

「なに？」


　膝の上に抱えた小柄なマリーを呻くように呼ぶと、囁くような返事がある。


　あと５ヶ月後に、返事があるかわからない。

　それは、私の、せいだ。


　呼びかけたくせにその先の言葉が言えないでいると、マリーはきゅっと腕に力を込めて耳元に囁いた。


「……ロラン。あのね、一度だけ確実に魔女が現れる機会があるの」


　こぼれ落ちそうなほど見開いた目でマリーを見つめると、ほんの一瞬唇の前に指を立てて静かにするよう示した。

　これが、どれほど効果があるのかは定かではない。

　魔女がどんなふうにこちらの様子を探っているのかわからないから、気休めではあるけれど。


「この子が生まれる時、魔女は私を呪い殺し、この子に呪いをかけるために必ず現れる」


　だから、とマリーは繰り返した。


「だからね、それまでは、精一杯幸せになることが一番の抵抗だと思わない？」


　暗い書斎のカーテンが揺れて、朝日が射したような気がした。


「……ロラン、私を今までの分まで幸せにしてくれるんでしょう？」


　繰り返すマリーの笑顔が朝日に照らされて、氷がとろとろと溶け、春の訪れを告げるようだった。


「……うん……。うん……マリー、愛してるよ」


　抱きしめる腕に力が籠もり、ぬくもりがより強く伝わってきて、静かにとろりとその言葉はこぼれた。




　私は、その時になってようやく、その言葉をマリーに贈ったのだった。

　マリーは一瞬、くるりと目を丸めたけれど、すぐにはにかんで「私も」と返した。

　そんなマリーが愛しくてたまらず、体を捩って唇を軽く触れ合わせた。マリーの細い指が私の首筋をなぞって髪をくしゃくしゃにする。

　猫毛で整えるのに苦労している私の髪を、マリーはよく鳥の巣みたいにくしゃくしゃにして私が渋い顔をするとくすくすと笑う。今日はもう最初からくしゃくしゃだったけれど、それでも同じようにくすくすと笑いながら、耳元に顔を埋めた。


「ねぇ、ロラン………」


　こそっと消え入りそうな細い声で恥じらいがちに囁かれた言葉に、私は耳を疑った。


「……………は？」


　うなじも耳も赤いマリーを信じられない思いで見あげると、潤んだ瞳を怒らせていた。


「淑女レディに何度も言わせないでくれる？」

「いや……いや、だってマリー……君のお腹には、その、先客が――……」


　しどろもどろで言い訳しようとしたけれど、マリーはそれを、その紅くて瑞々しいチェリーのような唇で私の唇を塞いで許してくれなかった。


「………マ、マリー……？」

「大丈夫よ、安定期に入ったし」


　マリーはそういいながら私のスカーフをするすると外して膝掛けにかけ、続けてボタンに手をかける。


「マリー……それ、淑女の振る舞いじゃないよ……？」


　最初から剛胆ではあったけれど――と苦笑が漏れると、マリーは手を止めてにやりと猫のような皮肉めいた笑みを向ける。


「そういえば、私あなたの奥様マダムだったわ」


“あなたの奥様”

　……言われてみればその通りなのだけれど、むずかゆいような、気恥ずかしいような気がして言葉に詰まる。

　マリーは笑いながら私のシャツのボタンを外してしまって、その内側に細い手を滑り込ませ、肌に直接頬を寄せる。


「……………っ、マ……リィ……ッ……」


　吐息が肌をくすぐる感触に、細い指が腰を撫でる感触に、思わず息を詰める。


「……だって、あの時あなたは嫌々私を抱いたでしょう？」
「嫌々……で、できるわけが――」
「でも、一度も愛してるって言ってくれなかったわ」


　マリーは怒り半分拗ね半分に、頬を膨らませる。


「あの時、呪いから解放して、助けてって、私が脅したから」


　お腹に手を添えたマリーが、眉をひそめてぽつりと呻いた。


「……後悔してるのよ」


　後悔。

　その言葉に、ひやりと背筋が冷えた。
　それに気づいたマリーは慌てて「違うの」と付け加えた。


「この子、私が呪いから僅かに逃げる手段として生を受けるなんて、かわいそうだから」


　お腹の上できゅうっと強く握った拳が白くて、声が少しだけ震えていた。


「この子には、私達が心から愛し合った証として生まれ育ってほしいの」


　ぽたりと一粒の涙が、私の肌を打った。

　その涙が弾けるのと同時に、私の中でもなにかが弾け飛んだような気がした。


「だからロラン……もう一度――っ」


　言葉を最後まで聞くのももどかしく、荒々しくキスを求めた。


「愛してる、愛してるよ、マリー……っ」


　左手で肩を抱き寄せ、呼吸すら忘れてその薄い唇を貪るようにキスしながら、細い肢体のわりに豊かな胸に右手を添える。


「はぁっ……ん、ふぁ、ロラン……」


　水風船のようにやわやわとしたその感触を楽しんでいると、うっとりとした瞳で見つめてくるマリーも、私の腰を撫で、それから遠慮がちにその下のほうへと移動していく。言うまでもなく欲情を露わにしているそれを服の上からとはいえまさぐられると、もはや歯止めが効かなくなっていく。
　だがいかんせんこの椅子は事に及ぶには向かないということに、ベルトに手をかけようとして気づく。

　さっとあたりに視線を走らせ、毛足の長い絨毯の敷かれた床、仮眠用のソファ、応接用のテーブルにも目に止まった。

　掃除は行き届いているとはいえ、床はさすがに不衛生か。応接用テーブルは広さは十分だが、堅くて下になるマリーは痛いかもしれない。二人掛けのソファは仮眠を取るにはいいが、ふたりで寝る広さはない。座位、もくしは後ろから立位の補助には使えるか……、と、瞬時にそれぞれの場所で睦みあう想像をして興奮を押さえつつ、腕の中のマリーを見る。


　不安げにしているマリーの目を見た瞬間に、心を決めた。


「ベッドに運ぶよ？」


　額に軽くキスをしてからひょいとマリーを抱え上げると、気が急いてもつれそうになる足を動かし、隣の寝室へと急いだ。


「……ここでも、よかったのよ？」


　しがみつきながら申し訳なさそうに小声で言うマリーに、うっかり苦笑いが漏れる。


「初夜の仕切り直しなら、やっぱり夫婦の寝室でなくてはいけないだろう？」


　マリーはくるりと目を見張り、私は冗談めかしてウィンクを飛ばした。


「焦って半端なことをするより柔らかなベッドの上でゆっくりと存分に愛を囁いてあげるから、今のうちに覚悟しておいて」
「ばっ……ばかぁっ！」


　さっきまで率先して誘っていたくせに真っ赤な顔で怒っているマリーがあまりにもかわいらしくて、早くシーツの波間に飛び込みたいと余計に気がはやって、うっかり転びそうになる。


「きゃあっ……！？」


　ぽふんっと軽い音を立てて、ふたりでもつれるようにしてベッドに転がり込んだ。