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見舞い1

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「ロラン様、そろそろお時間です」
「あぁ。……そうだな、行こうか」

 執事に声をかけられ涙を留め、異様に軽い棺が運び出されるのを無言で見送る。次いで乳母がゆりかごから赤子を抱き上げようとするのを、少し迷ってから留めた。

「ディーネは私が抱いていこう」

 抱き上げると寝ぼけた菫色の瞳をわずかに覗かせたが、私の顔を見て安堵したのか再びくぅすぅと寝入る。
 冷えた腕にぬくぬくとした体温が沁みて、再び突き上げてくる嗚咽を必死に噛み殺した。






    * * *






 贈物の希望を聞きそびれてしまったので面会を求めたのだが、体調が悪く伏せているという返事だった。
 では見舞いをと求めてもご遠慮願いたいと素っ気のない一筆が返ってくる。
 日を改めて何度手紙を送ってみても返事は判を押したように同じで、さすがに一月近くも繰り返されると、苛立ちも我慢の限界に達した。
 よもや門前払いはすまいと約束を取り付けずに屋敷を訪問し玄関先で取り次ぎを頼んでいると、偶然、メイドに付き添われながら庭を散歩していたマリーが目に留まった。

「マリー!」

 手を挙げて呼ばわるとマリーは遠目でもわかるほどに眉を寄せ、しきりに首を捻りながらも一応はゆっくり歩み寄ってきた。

「なにか火急のご用でも?」

 近くまで来ると挨拶もないまま不審者でも見るようにじろじろと無遠慮な視線を送ってくれる。

「婚約者が一月も病床に伏せていると聞いたので見舞いに来たんだが、大事はなさそうだな」

 歓迎されることを期待していたわけでもないが、実際にこういう態度に出られると少しばかり苛立ち、それならいっそと軽い嫌味を飛ばす。
 喧嘩腰に「ご遠慮くださいとお返事差し上げたはずです」とか冷やかな返事をしてくるだろうと身構えていたのだが、意外にもマリーは首を傾げ、事態を飲み込もうとするようにぱちくりと目を瞬かせだけだった。

「……お見舞い、ですか?」

 下ろしたままの髪がさらさらと揺れる様には一縷いちるの悪気も窺えずに毒気を抜かれてしまい、逆に胸中にじわりと罪悪感が滲んでくる始末だ。
 やむなく溜息の中にわだかまりを混ぜて押し出し、気を取り直して笑顔を作る。

「あまり詳細を知らせてもらえないんだが、君、タルトは食べられる?」

 持参した箱をひょいと持ち上げて見せると甘い香りがふわりと漂った。
 するとマリーは砂漠でオアシスの蜃気楼でも見つけたような懐疑の目で箱を睨んだ。

「ちなみに私の分もあるから、2人分のお茶の用意を頼むよ」

 図々しくマリーに付き添っていたメイドに手土産を押しつけると、マリーは戸惑いを露わにした。
 マリーは戸惑いながらも売られた喧嘩を買うかどうか迷う猫みたいに、私と甘い芳香を漂わせる箱を交互に睨んだ。そんなマリーにメイドは酷く遠慮がちに声をかける。

「あの……お嬢様。どちらにお茶の用意をいたしましょうか?」
「………………」

 マリーはしばし自分の靴の爪先を睨んでいた。
 それから、最後にもう一度手土産の箱を睨んでから、「庭に」と短く答えた。
 メイドがお辞儀をして屋敷に入っていくと、マリーは私のほうは一度も見ずに庭に向かって踵を返した。

「……どうぞ、こちらに」

 私の返事も確認せずに庭に向かってひとりでスタスタと歩き出す。



 私は目を伏せてその小さな背中から一度視線を外し、吸い込まれそうなほど青い空を仰いで思わず溜息をついた。

 確かに、今日は心地のいい陽気だ。
 それにここから見える限りでも手入れの行き届いたバラの生け垣や、白いブランコも見える立派な庭だ。

 けれども、なんというか。

 グラ家の敷居を跨ぐなと拒絶されたような気がした。



   ◇◆◇



 案内された庭の東屋あずまやで瀟洒な花模様の透かし彫りが施されたアイアンのテーブルセットに腰かけてお茶の用意を待つ間、風がふんわりと甘いバラの香りを運んできて、麗らかな日が射していた。
 多少相手が気に食わずともほのぼのと和んでしまいそうなほど気持ちのいい状況なのだが、マリーはきつく眉を寄せていて一言も口を利かず目を合わせようともしない。
 何度か天気など当たり障りのない世間話をふってみたが、素っ気のない返事が返ってくるだけで会話が全く続かなかった。

 けれど2人分の茶器と一緒に、苺が山のように盛られたタルトが運ばれてくるのを見た一瞬だけは、紫水晶の瞳が星空みたいにきらきらと輝いた。
 残念ながら、いつになったら可愛らしい笑みを添えてお礼を言ってくれるだろうかと待ち受けている私の視線に気づいてすぐに睨んできたけれど。

「……見舞いには、花が定石では?」
「あぁ、なんとなく花よりお菓子を喜ぶかと思って」

 適当に笑ってお茶を濁す。
 実際は花だとすぐ追い返されそうだから、こうして一緒にティータイムを強制するための小道具だ。
 マリーはほのかに頬を赤らめてむっつりと口を閉ざし、人を刺しそうなくらい鋭いまなざしで銀のフォークを握りしめ、紅茶を淹れているメイドの傍らにあるタルトを睨むに留めている。

「君は私が毒を盛るとでも思ってるのかな?」

 テーブルに肘を突き、思わず苦笑いで尋ねてしまった。
 口にしてから子供を産むと死ぬ呪いをかけられているのならマリーにとって“夫”という存在は自分を毒殺しようとしているのと同じだと思っているかもしれないと心配になったが、マリーは弾かれたようにぷるぷると首を振り、急にしゅんと肩を縮めた。

「ごめんなさい、父が選んだ人だから絶対酷い人なのだろうと思っていました。見舞いなんて……」

 睫毛を伏せ、そろりと怯えたように呟き、ごめんなさいともう一度添える。
 過去形になっているからその評価が見直されたのだろう。

 これは慮外の効果だ。
 まさかタルト1個で懐柔されようとは。
 虚勢を張っていても、中身は普通のお嬢さんなのかもな。

 と、そんなくすぐったいような後ろめたいような複雑な気分を顔に出さないように必死に噛み殺す。

「そこまで私の好感度を飛躍的に向上させるくらい苺のタルトが好きなのかな?」
「お菓子って人を幸せにすると思いません?」

 政治の話をするような真剣な顔で問われ、「好物 菓子全般」と頭の中にさっとメモを取る。

「女性はそうらしいね。――しかし、公爵家ならばこのくらいの物はいくらでも食べられるだろうに」
「いいえ、お菓子の類は殆ど父が」

 メイドに紅茶とタルトを目の前に置かれたマリーは、そこで唐突に言葉を切った。
 タルト生地の香ばしい香りと、山のように盛られた鮮やかなイチゴの山とクリームの甘い香りに心を鷲掴みにされて会話の続きなど完全に忘れているらしかった。
 タルトに感嘆の溜息をつきそうなほど熱心な視線を注いだマリーが、その熱意のこもった目を私に向けた。いつもの冷淡な態度と打って変わり期待と不安の入り交じる熱烈な視線の意味は「食べてもいいですか?」と許しを求めたものだ。

「……どうぞ。お口に合うといいのだけど」

 すぐに頷くのがもったいなくて、ゆっくり一呼吸だけその顔を堪能してから鷹揚に頷いた。
 するとふわっと笑顔が咲き、マリーはいそいそとタルトに向き直る。

 慎重にフォークを垂直に突き刺し、タルトを大きめの一口サイズに割る。淑女にはあるまじき大口を開けてあぐと食いつくと、見ている方が笑ってしまうほど至福の表情で目を細めた。

 すれた大人のように振る舞っていたくせに、こうも子供っぽい一面を見せるのは反則だよと心の中でひっそり呟いて、必死に笑いを押し殺した。
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