不撓導舟の独善

縞田

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4-2 図書館棟の研究

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 現世から隔離されたかのような静寂に包まれる志操学園高等学校の図書室にあたる図書館棟。

 運動部の掛け声や吹奏楽部の音色さえ届かない異空間に、いま一人の悲痛な叫びが響き渡っていた。



 あろうことか、カーペットに額をこすりつけて。



 その一人の男は間違いなく、見間違うことなく――――不撓導舟だった。

 オレだった。



「昨日の放課後、顧問が唐突にやってきて、『これ明日提出だからよろしく~』って言って、紙の束を置いて帰っていったと……」



 土下座の最中、オレは事の経緯を詳らかに説明したわけだが、染屋様はわかり易くまとめて下さった。



「左様でございます」

「それで、その束の提出期限が今日までで、終わる見込みが立たないと……」

「左様でございます」

「そこで、誰かに頼めないかと四苦八苦していたところ、私に白羽の矢が立ったと……」

「全くもってその通りでございます」

「…………」



 土下座をしているので、白羽の矢が立ってしまった染屋の顔色は伺えないが、冷ややかな目線が刺さっている気がする。そりゃあ、まあ、こんなだだっ広い空間で、土下座をしながらものを頼んでいるわけだから、注目を集めるのは当然として、図書館棟の構造的に他の階からこの様子が丸見え。静かすぎるがゆえに、少し声を張るだけでもそれなりの大きさに聞こえてしまう。



上の階から覗いている生徒は間違いなくいるだろうな。



二十秒の沈黙の間、思案顔で考えている素振りを見せる染屋。

すると、閉ざされていた口から結論が言い放たれる。



「うん、手伝ってあげてもい――――」

「ありがとう染屋! まじで助かる!」



 オレは染屋の両手を取って感謝を伝える――食い気味で。



 すると、染屋の頬は赤みを帯びたかと思うと、そのまま数秒の間、石像のように硬直した。

 身体全体、頭のてっぺんから指先まで、余すことなく固まっている。



「あれっ?」



 里霧が染屋の意識を確認するため、手を振るが、反応せず。



「こりゃダメね。とりあえず、あなたは離れて」

「え? な、なんで?」

「いいから早く」

「……はい」





 ――――割愛。





「こほん、それでは仕切り直して」



 わざとらしく咳払いをする染屋はどこか恥ずかしそうだった。



「手伝ってあげてもいい、ただし、一つ――謎解きをしてもらおう」

「なんで謎解き? というか、今から?」



 そんな里霧の率直な疑問に、染屋は答える。



「深い理由なんてないよ有耶。ただ、人に何かを頼むときはそれ相応の対価が必要だ。世界はそうやって回っているし、頼む側だって無償というのは、少しばかり気がひけるものだろうしね」



 言って、染屋は人差し指を掲げる。



「だから、その対価として、不撓と有耶には謎解きをしてもらう。それが生徒会の仕事を手伝う条件だ」

「って言われても、もうそんなに時間もないし……あの紙の山だしなぁ」

「安心してくれ、そこはもちろん計算に入れている。謎解きをする時間と、作業に費やす時間は確保しているよ。幸い、私は手際の良い方だ。不撓が私のところに頼みに来ているというのが、その証拠……と言おうと思ったが、証拠としては弱すぎるか……」



 おい、オレに対する信用を疑うな。信じろよ、自分自身を。



「それに、この謎解きは初めてじゃないだろう、不撓」

「もしかして――――いや、もしかしなくても、図書館棟の中の本を探せってやつだろ?」



 不撓導舟と染屋愛歌が初めて会った日、そのときに行われた謎解き、もといゲーム。



「ああ。ものすごく簡単なゲームだ。それじゃあ、宣言しよう」



 染屋は先ほどまで読んでいた文庫本を、受付の机の上に置いて、それを押し出す。



「この図書館棟の中から一冊の本を私に見せてもらおうか!」



 静かな声でありながらも、力強いその声は、広い空間の極一部、二人の生徒に轟いた。



 高らかな宣言以降、染屋は何も語らない。



 この図書館棟から本を探し出すための必要で重要なことを忘れてはいないか。



 しかし、説明しない理由をオレは知っている。どうして宣言だけなのか、それは、この謎解きゲームがそういう性質のものだからだ。



 そして、その理由を里霧は知らない。以降、沈黙を貫き、説明義務を放棄して、文庫本に視線を落とす染屋の様子を見ていれば、なにも知らない人間には当然の疑問が浮かび上がる。



「あの、まだ何もヒントらしいヒントもないんだけど、どうやって探し当てるのよこれ」

「ヒントなら、もう既に出ているよ。私たちが出会った瞬間から、今に至るその時間の全てがヒントだ」



 どうにも納得がいっていない里霧。



 それもそうだ、言葉足らずにも程がある。



 その様子から察するにオレに説明しろってことだろう。作者本人より、経験者に語らせることによって、大なり小なり誤解が生まれる。その誤解をも楽しもうという魂胆だな。見え透いた真似を……。



「話半分で聞いてくれ。この謎解きゲームはさっきの言っていた言葉のまんまなんだ」

「言葉のまんま? 『出会った瞬間から今に至るまでにヒントがある』だっけ?」

「そうだ、この図書館棟についてから――――見たもの、出来事、言葉、物、そのどこかにヒントが隠れている。要はいくつかの要素に一冊の本に繋がるヒントがある」

「え、マジ?」

「大マジ」



 どうやらオレの拙い説明で、里霧は理解してくれたらしい。

 その証拠に記憶を探っているであろう表情が伺えた。



 概ね、必要な部分は伝えたつもりだが、オレはこの謎解きゲームの作者じゃない。言い忘れていること、失念してるところがあるかもしれない。



それを踏まえて、オレは染屋に訊く。



「今の説明は何点だ?」

「まあ、79点くらいかな。けど、まあ、必要なところは全部説明してくれたと思うよ」



 合格点を貰えたものの、伝わらなかった79点は、この後にどんな影響を及ぼすのか計り知れない。

 オレが見逃したものを、里霧が拾ってくれる可能性が若干減ったことになる。



 少し、悔やまれる。

 テストで79点だったら、あと一点あればなぁと思ってしまう。見栄え的にもなんか微妙。



 心の中が寒くなった代償に、染屋はこの謎解きゲームを難しくしている要素を説明してくれる。



「図書館棟から一冊の本を探し出すこの謎解きの最大の難点は、偏に記憶に依るところだ」

「そこは、なんとなくわかった」

「そこさえわかっていれば、答えに辿り着けるだろう。けれど、記憶というのは非常に曖昧だ。同じところにいた二人の人間に訊いても同じ答えが帰ってくるとは限らない」



 同じ空間を共有していても、個人個人によって視点が違う。注目する場所が違えば、一つの場所は確固たる記憶に。注目していないところは曖昧になる。



「その記憶が定かではないのなら、その記憶に裏付けされた証拠を見つければいいじゃないか、と思うだろう。確かにその通りだ」



 染屋は『しかし』と強い口調で言い放つ。



「しかし、その証拠なんてものは、あくまでも一つのヒントに過ぎない。最も重要なのは、不撓の説明にも出ていた『出来事』だ」



 『私からの説明はこれくらいでいいだろう』と言って、染屋は本人力作の謎解きゲームの説明フェーズを終えた。オレが初めてのときはここまで説明してくれなかった。



 同級生の女子だからだろうか。



 いや、それ以前にオレが訪れたときと、今日とでは対応も違うのは当然か。



 あのとき、生徒会は図書館棟を別の物にするために訪れていたのだから、歓迎されるわけもないし、親切にされるわけもない。

 昔の話は置いておくとしよう。



「後のことはそこの男に任せておけばいい。きっと正解を見つけ出してみせるよ。フフフ」



 薄ら笑いを浮かべ、文庫本でにやけた口元を覆う染屋。



 言葉だけをみれば信頼しているとも取れる文言ではあるが、今回の場合はプレッシャーを掛ける意味合いの方が強そうだ。



 不正解してる姿を想像しているなコイツ。

 そうでなきゃ、こんな含みのある笑みは生まれない。



「そうそう、先駆者のオレに任せなさい。この謎解きゲーム初の回答者に」



 凄んでみたオレであった。

 間違いなく虚勢であった。



「初の回答者だったんだ」



 里霧は『お~』と声を上げると、図書館棟に配慮した小さな音で、ぱちぱちと手を叩いた。



「さっさと行ってきなよ、時間押してるんだろ?」



 それもそうだった。早く終わらせないと、今日中に提出できなくなる。



「急ごう、日が沈む前に!」

「日没前じゃ、もう間に合わないよ……」

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