不撓導舟の独善

縞田

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3-4 夏に現れるヤツ

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あの軍隊がいまどこにいるのか皆目見当もつかないので、宛てもなく散策している。



 特筆するようなことはなくにないので、ここでオレは自分の役目を思い出そうと思う。



 まず、群れを成しているゴキブリを捜索する。まあ、捜索といってもこの餌を引っ提げているのだから探すというよりは散歩するという意味合いに近い気がする。その次に追ってくるであろうゴキブリたちに付かず離れずの距離を取りながら、校庭に向かう。校庭に出たところで全速、ここで一気に引き離す。だだっ広いうえに視界を遮るもののないグラウンドだ。ゴキブリ側も見失うことはないだろう。そして、最終工程。オレは虫かご目掛けて猛ダッシュした後、禁忌の餌を虫かごの中に落とす。そして、横に取り付けられている二つ扉を通過――と同時に里霧と昆虫部部員が扉を閉めて捕獲――というのが

一連の流れで、オレの役目だ。



「…………」



 この作戦の成功は、ほとんど不撓導舟に懸かっていた。

 主にオレの足の速さに懸かっていた。



「というか、ゴキブリって目が悪かったような気が――それに明るいところに出てくるのか?」



 疑問しかない。



 しかし、ゴキブリが群れを成しているという、常識はずれなことが起きている時点で、明るいもへったくれもなかった。考えるだけ無駄だ。



 空が赤色を帯び始め、日が傾きかけている。校舎に向かうその最中、染まり始めているコンクリートブロックに目をやると、誰のものでもない影が蠢いている。



 少なくとも人が立っていてできる影ではない。

 立体感を見せ始めたその影は近づいてくる。



 言うまでもなく、それは追っていた――追われる相手、ゴキブリの群衆だった。



「マジで来やがった!」



 即座に踵を返して、虫かごが居城を構える校庭に向かってひた走る。

 校舎で遭遇したときよりも、更に多く大きくなっている気がする。もちろん、振り向いている余裕はないので、音とか、なんとなく感じる圧で語っているに過ぎない。



 五十メートルほど真っ直ぐ走ると、最初の右折地点に差し掛かる。



 減速しつつも、滑らかに曲がるための手順を踏む。これまで追いつかれないよう、最短距離を走ってきたところを弧を描くように膨らんでいく。野球選手が二塁打を打ったときと同じ要領だ。野球部員曰く、膨らんで走ることによって最短で加速が可能になるらしい。



 そんなことを脳裏に浮かべながら、曲がり角を右へ抜ける。



 ふと目の端で後方を伺う。



「やっぱ増えてんじゃねぇか!」



 二倍はゆうに超えている、その数は明らかに、あからさまに増えている。生徒会室で遭遇したときなんて比べるべくもないほどに。



 それを目にしたオレは今日一番の危機感を持って足を回した。陸上部さながらのフォームで、腕を振って、地面を踏みしめて、この新種じみたゴキブリたちから逃げるべく、ひた走る。



 次のチェックポイントは校庭の入り口であるアスファルトの階段だ。そこに辿り着くまでには、この石畳の道を直進するしかない。



 長い距離を走ってきたせいか、息が上がってくる。空気を吸う肺は次第に限界を伝え、自分の意思とは関係なく、走るスピードは落ちていく。



 ゴキブリの魔の手がすぐそこまで迫ってきたところで、道と校庭を結ぶ、階段に差し掛かる。

 恐らくこの階段の段数は十段を超える。これを普通に下りていたのでは追いつかれるのは目に見えている。多少の無茶を通さないと逃げ切れない。



「もうどうにでもなれっ!」



 オレは覚悟の一言を叫び、足に力を込めて、地面を蹴り抜いた。



 飛躍。



 階段からジャンプしたのだから当然だが、想像よりずっと高い。



 全身が落下の感覚を覚える頃、オレは冷や汗が現れるとともに、引きつった笑顔を作る――というより作らされた。本能で自分の置かれている状況の危機を察してのことだと思う。



 このあとで訪れれる最大の懸念は着地時に挫く、ひねる、躓く、折る、といった負傷する可能性。

 さて、オレはちゃんと受け身を取れることができるのかな?



 地面はすぐそこまで迫り――着地。



不細工ながらも、受け身を取ることに成功した。これで、怪我による走行不能というバットエンドは回避できた。



 難所は全て突破した。あとは虫かごのところまで駆け抜けるだけ。

 焼け焦げそうな肺を酷使して、ゴキブリたちの到着を二人に伝える。



「連れてきたぞー!」



 二人は既に、虫かごの両側の開閉口で待機していた。

 手前が昆虫部員、後方には里霧といった配置だ。



「それじゃあ、あとは手筈通りにお願いします!」



 ラストスパート、最後の役目である、虫かごの中を通過すること――これを終えれば無事、ゴキブリの呪縛からは開放される。頼んだぞ二人とも。



 もう足を上げることにすら苦痛が込み上げてくる。



しかし、これで終わる、この虫かごがゴールテープだ。一歩一歩進んでいくごとに、その背中に乗った重責が落ちていくのを感じる。



「あ……」

「「え……?」」



もうオレの役目は終わった――これがいけなかった。

そう思ってしまった瞬間、見るも無惨に――躓いた。



「kごあdjぎあgかおjご」



 よくわからない悲鳴を上げて――躓いた。



しかも、虫かごの中で躓いた。もう限界を迎えていたオレの足は、虫かごが作る段差すら乗り越えることができないほどになっていたらしい。



 それを見た昆虫部部員は血相を変えてこう言った。



「里霧先輩! 締めてください!」

「え、でも……」

「いいから早く! ここを逃したら捕まえられませんっ!」



 昆虫部部員に気圧された里霧は意を決したように「不撓ごめん!」と謝罪して開閉口を閉じた。

 そして、オレは後方を振り返って、山脈が如き大群を目視で確認した。



 向き直して、里霧の顔を見ると、顔の目の前で手を合わせている。

胡座をかいて、腕を組む。



「ふむ……」



 こちらも気まずそうな昆虫部員。



「何か遺言があれば、伝えておきます……」

「昆虫部の部費を削ろう」



 全ては禁忌の餌のせいだ……。



「遺言の件はなかったということで」

「え、ちょま――――」



 異議申し立てに対して、異議申し立てをしようとしたところでオレは飲み込まれた。



 こうして、ゴキブリの群れは虫かごに捕らえることに成功し、昆虫部によって駆除が成された。様々な犠牲を払いながらも、このゴキブリ事件は無事、解決を見たのだ。



 今回の事件の原因である禁忌の餌は昆虫部が自主的に処分して、製造方法などが記された手引書は

シュレッダーにかけられ、二度と日の目を見ることはなくなった。



 そして、駆除されたあとの虫かごの中から、二人の生徒が発見され、この事件の幕は閉じたのだ。
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