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第20章 秘密裏プロジェクト

09 財務の同期

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 十文字もそこそこ慣れてきた頃——夏がやってきた。飲み物を買おうと、田口は売店に足を運んだ。自動販売機よりもレジで購入した方が格安。

 かごを抱えて飲料水売り場に行くと、自分より少し小柄な男が、真ん中で立ち往生していた。彼はかなり悩んでいる様子であった。

 ——それはわかるのだが。

 こうも中心に陣取られてしまうと、そう広くない飲料水売り場の商品を見ることも、手にすることも難しい。遠慮がちな田口は少しの間、彼が決断を下すのを待っていたが、それでもなかなか決まらない様子にしびれを切らした。

「あの」

 つい声をかける。しかし彼は気が付く様子もみられない。田口は仕方なく、彼の肩に手をかけた。

「あの」

「わ!」

 男は大きな声を上げると、田口を振り返った。

「びっくりした」

「あの。商品を取りたいのですが」

「すみません。やだな。おれの方こそ。ぼーっとしていたんだ。すみません」

 彼はそう言うと場所を明け渡した。

「どうぞ。お先に」

「いいですか」

「ええ。どうせおれは、まだ決まらないんです」

 はにかんだ男は若い。おしゃれにしている茶色の髪。名札は市役所職員になっているので、職員は職員か。それにしても、どれだけ優柔不断なんだろうか。呆れてしまう。

 田口はそんなことを考えながら、お茶とイオン水をかごに入れ込んだ。それをじっと見ていた男は、声をかけてきた。

「そんなに買われるんですね」 

「え。ええ。うちの部署に自己管理が苦手な人がいるもので……」

「他の職員さんの管理しているんですか? すごい! 面倒見のいいお兄さんですね!」

 面等向かって褒められるのは苦手。田口は顔を赤くした。

「そんなんではありません。病人を出したくないだけです」

「へ~。そっか。そうですよね。うん。おれもそれにしよう!」

 男は手を叩くと嬉しそうに笑ってから、田口の真似をしてお茶とイオン水を持ち上げた。しかも一本や二本どころではなく——たくさんだ。田口の真似をしているらしい。

「あの。これは明日の分も入っています。一日にそんなに飲むのも良くないと思いますけど」

「え? そうなんですか?」

 抱えきれないほどのペットボトルを見て、笑ってしまった。

「やだな。そうならそうと最初から言ってくださいよ。ええ。知っていますよ。知っていますとも。一日に摂らなくちゃいけない水分って、四リットルくらいですよね」

「そんなに、いらないかと」 

「え? いや。そ、そうです、そうですよね」

 わかっていないことを隠しきれていないのか。笑ってしまうくらい情けない感じだ。田口は苦笑してから、彼の手からペットボトルを数本売り場に返す。手元に残ったのはお茶とイオン水の二本。

「それで充分です」

「ありがとうございます」

 嬉しそうに笑う男。人好きのする、みんなに可愛がられるタイプだろう。レジでお会計をした二人は、別段知り合いでもないので一緒にいる必要もないのだが、男がぺこぺこと頭を下げるので立ち去りにくい感じだった。

「ありがとうございました」

「いや。あの……」

 ——戻らないと。

 今日は保住のために買いに来ただけだ。

 ——こっそり、スマートに。

 この暑さだから市役所内には脱水予防のポスターが掲示され、この時期だけは水分を摂りながら仕事をしても怒られるようなこともない。そのため水分を購入しにくる職員は後を絶たないのだが、こそっとやっていることだ。大事にはなりたくないからだ。

「じゃあ」

 頭を下げて歩き出そうとすると、向こうから声がかかった。

「大堀《おおほり》! やっぱりここにいたのか。書類どうなっているか知りたくて、探しちゃったじゃない」

 どこかで聞いた声。田口は顔を上げると逆に大堀は頭を下げた。

「すみません、部長。水分を買いにきたのですが、どうにも優柔不断なもので。決めかねてしまいました」

「困るね。業務中でしょう? やらないと」

 向こうから歩いてきた男は大堀と呼ばれた男と一緒にいる田口を見て、笑顔になる。

「やあ、なんだ。田口くんじゃない。君も買い物? 君の体格だと、こっそりってわけにはいかないねー」

「お久しぶりです。吉岡部長」

「やだなー。田口くんに助けてもらったの?」

「えっと。そ、そうです。この方に」

 吉岡が声をかけると言うことは、この男——つまり大堀は財務部の人間だということだ。

「そんなかしこまらなくても大丈夫だよ。大堀と田口くんは同期入庁じゃないかな?」

 ——同期? この幼い感じの大堀と?

 田口は目を瞬かせた。だが彼は逆の感想かも知れない。同じように目を瞬かせて田口を見ていた。

「そうなんですね」

「そうそう」

 吉岡はそう言うと、田口に視線を向けた。

「この前、保住に『田口くんと一緒に飲み会したいなって』ってお願いしたら、『勝手に誘えば』って冷たくあしらわれちゃった。付き合ってくれる?」

「お、おれですか?」

 ——めっそうもない。

 自分は部長クラスと話をするような立場ではない。首を横に振るが、吉岡は笑顔で田口を見ているだけ。

「またまた。謙遜しちゃって」

「そ、そういう意味では……」 

 『心からお断りです』という気持ちが吉岡には伝わらないらしい。そんな様子を見て、くすっと笑う大堀。なんだか恥ずかしくなって顔が熱くなった。

「そうだ! 田口くんだけではなかなか話しにくいと思うし……大堀もおいで」

「え? おれですか?」

「そうそう。たまにはいいじゃない。君にはいろいろと世話になっているしね」

「でも……」

 田口と同期の年齢で、部長と懇意に出来る大堀という男。かなり意外だ。のんびりしていて優柔不断そうなのに……。

 正直に言うと、一般職員が部長クラスと接点を持つことはゼロに近い。職員の中には、コロコロ変わる部長の名前すら、覚えていない者がいるくらいだと言うのに。

 田口の疑問を感じ取ったのか、吉岡はこっそりと耳打ちをしてきた。

「おれ、書類作るの苦手だからさ。この子にやってもらっているんだ」

「そ、そうなんですね」

 部長に秘書が付くなんてありえない。吉岡の個人的権限で——と言うところか。

「そんな恥ずかしいことを、余所の人に言っちゃダメですからね。部長が書類作るのだなんて!」

「そうなの?」

「そうですよ!」

 大堀に窘められて、吉岡は肩を竦めた。

「大丈夫です。保住さんには言うかもしれませんが、他言はしませんよ」

「ほら! 誰かに言うって言ってますよ」

「保住なら大丈夫だよ」

 二人のやり取りは続いていきそうな予感。田口は苦笑いをしてから頭を下げる。

「申し訳ありません。業務に戻らなくてはいけないもので」

「あ、ごめん。田口くん」

「悪いね。田口くん。飲み会は……明日にしようか! よろしくー」

「あ、明日ですか?」

「大堀もね」

「おれもですか?」

「いいでしょう? ダメ?」

「ダメ? ってかわいく言われても困ります」

 大堀は吉岡の手をぺちっと叩く。

「どうせ夜の予定ないじゃないか」

「人のプライベートまで管理するのはやめてください」

 可愛いタイプの大堀だが吉岡には厳しい。なんだか澤井をあしらっている保住に見えてきた。

「わかりました。じゃあ明日ですね」

「物わかりがいい子はいいね。場所は……後で大堀に連絡させるね」

「承知しました。それでは、失礼いたします」

 田口は頭を下げてからその場を立ち去った。

 面倒な輩にからまれたものだ。親切心なんて出さなければよかった。そんな後悔をしながら。



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