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第12章 家政夫と嫉妬
06 嫉妬
しおりを挟む「あなたは、どうしたいのですか? 田口を呼びつけて執拗にいびったり、おれにこうして触れてくる」
——澤井の気持ちがわからない。
澤井の口元が歪んだかと思うと、ノブが回された。ドアに体重を預けていた保住は後ろに倒れこむ。尻もちをつくかと思った瞬間、腰に回った太い腕に支えられた。
そして、そこにあった田口のデスクの上に押し付けられる。彼のデスク上に載っていた書類が一気に床に散らばった。
「澤井っ!」
「おれのしたいことはこれだ。もう一度、抱かせろ。——保住」
「な……あなたは。ここは職場ですよ」
「構わん。そんなことを気にするような性格ではない。お前は時々、小さい事にこだわる。それは止めたほうがいいだろう」
「そういう問題ですか!」
「そうだな。番犬もいないことだ。今がちょうどいい」
「澤井!」
がたがたと暴れても澤井の拘束は固い。田口と約束したから。本意ではないこういう関係はもう持たない。そう決めている。
——だから。……だけど?
『銀太』
神崎の甘えるような呼びかけに、田口はくすぐったそうにしていた。
それはそうだ。
いくら、田口と親しくなってもそれはそれだ。田口は安定感のある男だ。自分とは違う。きっと、いい夫になり、いい父になるに違いない。
自分だけ、きっと——置いていかれる。
そんな気がしてならないのだ。なぜそんなことを思うのかもわからない。
真っ暗な事務所。廊下の非常灯の灯りが、くもりガラスから洩れてくる。見開かれた瞼が痙攣しているのがわかった。保住の背中に指を這わせていた澤井は笑う。
「お前は田口が好きなのだろう——?」
「好き……?」
「そうだ。好きだ」
「好きとはなんなのでしょうか……」
「そうだな。部下として可愛いとか、友達として大事とか、そういう好きではなかろう」
「そういう好きではないとは?」
澤井の指が保住の唇をなぞる。身体が震える。大人しくなった保住の顔を覗き込んで、澤井は続ける。
「男と女の恋心だ」
「恋? 恋心……」
「欲しいだろう? 田口が。違うか。おれとしていること。田口ともしてみたくはないか」
——わからない。
軽く触れる唇の間から洩れる吐息。
「わからない……」
「考えろ。想像してみろ。お前は田口が欲しいのだ」
「田口が?」
——田口は後輩で。部下で。そして、友達で……。だけど。田口が誰かと仲良くするのは面白くなくて。
「面白くない?」
——そうだ。佐々木教育長の時もそう。女性と仲良くしている田口を見ていると腹立たしい。
——これは。
「嫉妬だ」
「嫉妬?」
「田口が他の女といちゃついているのを見るのが辛いのだ。お前は」
「そうなのでしょうか……」
ぼんやりといた虚ろな瞳は伽藍洞《からんどう》だった。それでも澤井は容赦ない。保住のネクタイを擦りぬくと、ワイシャツのボタンを外す。
「田口の名前でも呼んでみるがいい。助けは来ないぞ」
涙がこぼれた。
——辛い。切ない。
生まれてこの方、味わったことのない感情だ。手を伸ばしても、そこにいるのは違う人間だ。保住の手を握った澤井は囁く。
「観念しろ。田口は来ない。お前は隙だらけだ。仕事も、奉仕もよくやってくれる人形だ。おれのものになっておけ。悪いようにはしない」
——悪いようにはしない? 人形? そうなのか。
ずっと思っていた。自分で自分が見つからないまま、こうして生きている。誰かがそれを与えてくれるなら、それをそのまま受け入れてしまう。弱い自分がひょっこり出てくると収拾がつかない。
澤井は知っている。保住の苦手なところや、痛いところ。なんでも知っている。精神的な攻め方も知っている。じわじわと投げかけられる言葉一つ一つが、精密機械の誤作動を招く仕掛けのようだった。
「優しくしてやる。守衛に見つかるとまずい。黙っておけよ」
澤井の囁きが耳を掠めた。
——いいのか。いいのか?
——これで。これでは、いつもと同じ。
『おれは、あなたの良いところだけじゃなくて、悪いところも全部引っくるめて知りたい』
田口の声が響く。あの言葉に嘘は感じられなかった。
『一人で頑張らないで。おれがそばにいます。支えますから。あなたを取り戻して。あなたはここにいるのです。亡くなったお父様ではない』
そう——田口はそう言ってくれた。一人で気張ってやってきた。
——自分を取り戻す?
取り戻すものなんてないのかも知れない。元々がないからだ。だけど、自分は自分だ。これから、自分を作り上げていくことも出来るのではないか。
それは、田口にやってもらうものでもない。自分で取り組まなくてはいけないことなのだ。
祖父との邂逅で父を理解した。
澤井との関係を持ったことで、父との関係を理解した。
自分は、いろいろなことに翻弄されながらも、こうしてここにいるのではないか。
この好きの意味もわからないのに、田口が別の人と仲良くしていると不安になる置いていかれるのではないかと。田口の眼差しが自分に向かなくなったら、寂しいに決まっている。友達なのか、部下なのか、それ以上なのか、わからない。
だけど、ただ一つ言えること。それは。
——田口が『好き』だという気持ちだ。
保住の瞳の色が濃くなる。正気を取り戻したのか、彼は澤井の肩をそっと押し返した。
「保住?」
「申し訳ありません。やはり出来ません」
冷静さを取り戻した保住は凛としている。さすがの澤井も、触れていた手を離した。
「興覚めだな」
「申し訳ありません」
「少しは気持ちの整理がついたというのか」
「わかりません。難解なのは自分の気持ちです」
「そうだな。お前は素直ではないからな。仕方ない」
澤井は面白くなさそうに身体を起こし、自分のシャツを正す。
「肩透かしだ。この落とし前は次回、付けてもらおうか」
「次回はないと願いたいです」
「どうだかな」
澤井がなにか付け加えようとしたとき、ドアが開いて懐中電灯が光った。
「どなたかいらっしゃいますか?」
澤井は警備員を睨みつけた。
「問題ない。忘れ物だ」
「澤井局長、——これは失礼いたしました」
警備員から保住の存在まで確認できたかどうかはわからないが、彼は頭を下げて姿を消した。
「どいつもこいつも面白くない。田口が戻ってきたらいびってやろう」
「どうぞ、お好きに」
田口は澤井ごときで折れる男ではない。保住はシャツのボタンをすることもなく、澤井を見据える。
「一体、あなたはなにを望むのですか? 本気ではないですよね? おれと田口をどうしたいのですか」
「そんなことをお前に話す必要はなかろう。おれにとったら、お前も田口も暇つぶしの玩具程度だ」
澤井はそう言い放つと、踵を返して廊下に出た。
***
真っ暗な廊下を歩きながら、顎に手を当てて口元を歪める。
「もう少しだな」
保住は案外、脆く、そして打たれ弱い。更に、今の彼は、一人でやってきた彼とは違う。『田口』と言う男を知ったおかげで、一人でやっていけない体質になっていることを澤井は見逃さないのだ。
もう一押しだ。その機会はすぐにやってくる。次は必ず……だ。
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