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第9章 代替えとしての役割

06 当てにならない男

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「あいつ……」

 田口が太った佐々木に絡まれているところを確認して、保住は壁から背を離す。あんな調子だ。うまく言いくるめて抜け出すことなんて、できないタイプだろう。

 弱っている顔をしている田口だが、佐々木は彼の腕に絡まり、そしてギュッと引き寄せたかと思うと、頬に口付けをしている。なんだか心が痛んだ。嫌だと意思表示をしつつも頬を赤くしている田口に腹が立ったのだ。

「た……」

 彼の名を呼ぼうと口を開いた瞬間。人の心配をしている場合ではないと自覚する。
大友がやってきたからだ。

「保住。今年はこの会が終わったら、付き合ってくれるでしょう?」

「大友教育長……」

 保住は頭を下げた。

「申し訳ありません。片付け等々の業務が残っております」

「そんな堅いこと言わないで。勤務外みたいなものでしょう? それとも今日はダメなら、別な日でもいいのだけれど」

 自分には断る権利はないということらしい。大友はそっと保住の手を握った。

「つれない態度ばかりだね。僕の気持ちわかっているくせに」

「おれは男ですよ。ご冗談を」

「僕は男でも女でもどちらでもいいんだよね。美しいものは大好きだ」

「私ではご期待には添え兼ねます」

「いやいや。君は美しい」

 本気で言ってくる大友の気が知れない。県の教育長だし、酔っているとはいえ無碍むげには出来ない。そのジレンマで、保住は苛立ちを覚えた。

 ——どうしたものか。

 そんなことを考えていると、隙が出来たのだろう。ふいに大友に腕を取られた。宴もたけなわだ。会場は大盛り上がり。大友に腕を引かれて会場から連れ出される瞬間、田口が視界に入る。

 彼は佐々木に抱きつかれたまま。おばさんとは言え、女性の佐々木に顔を寄せられると、恥ずかしそうに顔を赤くしている。

 さっきからイライラが止まらない。自分の気持ちを持て余した。大友に腕を引かれているのに、田口の事ばかりが気になって上の空だ。

 なんだかムカムカしてきた。女性に抱きつかれて、嬉しそうにしているなんて。

「なんだよ。あいつ」

 そんな言葉が出た瞬間、はっと我に返ると自分の方がが悪いことに気がついたからだ。乱暴に肩を押されたかと思うと、体勢を崩しソファに尻餅をついた。
躰を起こそうとしても大友が上から伸し掛かってきて、椅子に押さえつけられた。

 ——ここは。控え室。

 いつの間に、大友はこの部屋を把握していたのだろうか。薄暗い部屋。鏡の前のライトだけが橙色だいだいいろに灯っている。大友の酒の匂いが鼻に付いた。

「今年こそは逃さないからね。次はないと思っているし」

「大友さん」

 保住は抵抗しようと試みるが、全く大友は動じることがない。

「一度でいい。君を味わってみたい——」

「気味が悪いことを言わないでくださいよ」

「悪いようにはしない。しかし、断ると澤井さんが困ることになるのは、よくわかるはずだけど」

 澤井の話が出て、ふと彼を思い出した。

 ——あの人の事だ。「そんなもの、グダグダ言わずやって退けろ」と言われそうだ。仕事だと思えという事か。

 日々の疲れ、そして今日一日の疲労。体もだるい。面倒なことは嫌いだという性格。人に触れられるのは好かない。大友は特に嫌だ。だが仕事だと思えば——ほんのひと時の我慢か。大騒ぎを起こすのも面倒だ。

 ——田口だって佐々木と楽しくしているではないか。もう知らない。どうでもいい。「守ります!」なんて言っていたくせに、当てにもならない。どうでもいい。

 こうなると、彼の悪いクセが出てくる。どうでもいい。投げやり。不本意な人とも一夜を過ごせる。

 そんなことで片付けられることではないということも理解しているくせに、思考が停止する。面倒だった。全てが面倒。保住の腕から、抵抗する力が抜けた。

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