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第1章 出会いとはじまり

07 王子様

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 保住に連れられてやってきたのは、市内のミュージアムだった。

「ここは……」

「我ら梅沢市が誇る、作曲家星野一郎記念館だ」

「星野、一郎……?」

「知らないのか?」

「いや。知っています。……多分」

 確かに。この一か月に扱った書類の中に、この人物の名前が何度も出てきた。だが、どんな曲を作曲したのかはわからない。いや、わかろうとはしていない。興味さえあれば、聞くことはできるのに、それをしていなかった自分に気が付いたのだった。

「梅沢市民だったら知っているだろうが」

「すみません。まだ片足しか突っ込めてません」

「素直だな」

 保住は星野一郎を知らないということを、咎めることもなく、苦笑して中に入っていった。ガラス張りの自動ドアを抜けると、受付らしきところに眼鏡をかけた女性が一人座っていた。

「あら、保住さん」

「お疲れ様です」

「お久しぶりですね」

「ご無沙汰していました」

 彼はぺこりと頭を下げた。女性は初老の上品そうな人。軽くパーマがかかった肩までの髪を一つに束ねている。赤縁の眼鏡は、彼女の知的さを上げてくるチョイスだった。

「うちに新人が入ったので、ご挨拶をと思いまして」

 保住がそう言い終わらない内に、自己紹介だなと、田口は頭を下げる。

「田口です」

「あらあら、威勢のいい方。保住さんのお兄さんみたい」

「おれの二つ下ですよ。鴫原しぎはらさん」

「そうなの? 保住さんも若いから。もっと年上なのかと思った」

 朗らかに笑う女性はチャーミング。しかし、それよりなにより驚いたのは——。

「え、係長。おれより上ですか?」

 ——てっきり。

「年下だと思ったのか?」

「すみません」

「失礼だな」

 保住は、そうは言っても、顔は怒っていない。若く見られるのは嬉しいのだろうか。

 ——そうか。二つでも年上だったのか。

 上司で年下は扱いにくいが、年上だということがわかったので、なんだかほっとした。

 ——先輩は先輩か。これで割り切れる。

「田口、鴫原さんは嘱託で記念館の担当をしてくれている。記念館のことなら鴫原さんに聞けばいい」

「はい、わかりました」

「まあ、そんなこと言って。私より関わっている年数が浅いのに、博士みたいに星野一郎のことをご存知じゃないですか」

「いやいや。仕事ですから。おれは」

 保住は頭をかく。自分よりも小柄だなと思っていたが、こうして女性と並ぶと、彼はそう小柄でもない。一般的な女性よりは長身。だけど自分よりは小柄——そう言ったところか。

 保住よりずいぶんと年上の鴫原だが、保住を見る目は、恋する乙女みたいにキラキラしているようだ。まあ、それはそうだろうと思った。保住という男は、だらしのない恰好をしているから気づきにくいが、美形なのだと思う。ガタイのいい田舎育ちの自分には、ないものばかり持っている男だ。

 線の細い体系。スマートでインドア的なタイプだ。いつもは眠そうな顔をしているが、濡れたような漆黒の瞳に、左目脇のなきぼくろが彼を幼く見せる。少し八重歯気味で、小動物みたいな愛想の良さもある。

 保住が女性だったら「可愛い」といった部類に入る顔立ちだろう。自分からしたら「やわな男」という感じだが、こうして見ると鴫原よりは長身で、彼女から見たら王子様みたいに見えるのかも知れない。

「文化課振興係は、この星野一郎記念館のイベントの企画を主にすることが多い。おれたちの扱う主要業務は「星野一郎」だからな」

「そうなんですね」

「そうなのよね」

 鴫原はくすくすっと笑う。

「鴫原さんは、いつもおれを見て笑いますよね」

「だって、楽しそうだなって思って」

 ——どこが?

 彼女は田口に視線を寄越した。

「保住さんって係長なのに、こうしてフットワークも軽いでしょう。今まで何人もの職員さんとお付き合いしたけど、こんないい人いないですよ」

「そうなんですね」

「いい人って。いろいろな意味があると思うけど」

 保住は恥ずかしそうに笑った。そのはにかんだ笑みは子供みたいだ。田口は一瞬、目を見張った。

 ——この人。こんな顔するんだ。

 保住の笑顔は、一瞬で雰囲気を明るくする。
 華やか。
 艶やか。
 そんな言葉が似合うのではないだろうか。

 目を奪われる——まさにそれだった。


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