上 下
30 / 94
蚤のうた(アウエルバッハの酒場でのメフィストフェレスの歌)

第1話 星音堂アラフィフ・アラカンの会

しおりを挟む


 星音堂せいおんどうは、駅前から離れた場所に建っていた。市内の巡回バスの停留所が目の前にあり、同敷地内には、梅沢市を代表する作曲家『星野一郎ミュージアム』を併設していた。大きく取られた敷地の五分の一は林だ。道路と建物を遮るように植えられている木々のおかげで、事務所はいつも静かだった。 

 敷地の目の前には何軒かの店舗があった。信号を挟んで向かい側に総合病院があるため、薬局が数店舗。それから、花屋、喫茶店、そして中華料理屋である。星音堂職員たちは喫茶店と中華料理屋をよく利用していた。 

「オヤジさん、どうもね」 

 丸メガネで人の良さそうな顔の水野谷は軽く手をあげて中華料理屋の店主に挨拶をした。この店は中国出身の店主が、自国の仲間を集めて経営しているおかげで、本格的な中華料理が食べられると評判の店だ。

 だが、なにせ立地的に不利である。わざわざ駅から離れたこの場所まで飲みにやってくる人間は少ない。水野谷たちにはそれが好都合だった。店員たちはカタコトの日本語で、水野谷の難しい言葉はよく理解していないようだった。そして客が少ない。密談をするには都合の良い場所だったのだ。 

「いつもありがとね。カチョさん」 

 人の良さそうな太った店主は水野谷に笑顔を見せる。 

「今日は三人なんだけど」 

「ダイジョウブよ。どうぞ」 

 彼の返事に頷いてから後ろを見る。そこには氏家と高田がいた。 
 そう。今日は月に一度の『星音堂のアラフィフ・アラカンの会』。
 三人はいつもの場所——星音堂が一望できる窓際の席に座った。中華料理店『ドラゴン・ファイヤー』は、一階が駐車場になっているので、店舗は二階にあった。
 今日相変わらず客はほとんどいない。平日の夜は特にだ。水野谷たちの他に、女性だけで食事をしている客が二組あるだけだった。 

「いやあ、お疲れ様でしたね。課長」 

 高田は出された手ぬぐいで手を拭いてから、ついでに顔も拭く。それを見て氏家は笑う。 

「ちょ、高田さん。それやっちゃうと『また~、おじさんは』って嫌われるんだから」 

「え? やだな。氏家さん。いいじゃないですか。どうせおっさん三人組でしょう?」 

「あはは~。中年おやじのどこが悪い」 

「また! 氏家さんの親父ギャグデタ!」 

 水野谷は笑いながら氏家の肩を叩く。ツボにハマったらしかった。 

「もう! 本当に課長は笑い上戸なんだから。駄洒落を言うのはなんつって」 

 高田は呆れているが、水野谷は爆笑の嵐だ。お腹を抱えて笑っていた。 

「カチョさん、注文どうする?」 

 化粧を施した一重美人のおかみさんが顔を出す。 

「ああ、ごめん。いつものでいいですよ。みなさんもどうですか?」 

「おれも紹興酒しょうこうしゅロック」 

「おれは冷やね」 

 それから水野谷は、エビチリ、麻婆豆腐、小籠包、豆苗炒めを頼んだ。 

「なんかさぁ。最近、蒼と関口が一緒にいること多くない?」

 ふと氏家が思いついたように切り出したのを見て、高田も手を打つ。

「そそ、それな。それ。若い者同士、気が合うんじゃない?」

「あの人見知りのプライド高い男がよお。この前なんて蒼に怒られていたぞ」

「え~。本当ですか」

 二人の会話に水野谷は苦笑した。

「まさか、関口坊ちゃまにお友達が出来るとはねえ。おれ涙出ちゃうよ~。シクシク36サンジュウロク

「え~。ちょっと、氏家さん。それって泣きまねと掛け算ギャグですか?」

 泣きまねをしていた氏家はペロリと舌を出した。おやじたちの飲み会はくだらなさを増していく。

「そういえばこの前の日曜日。いつものごとく朝の散歩に行ったんですよ」 

 ふと話題を変える水野谷の言葉に二人は耳を傾けた。 

「いつもとは少し違うルートにしようかと、河川敷に行きましたらね、日曜日の早朝野球の試合中でしてね」 

「いいですねー」 

「社会人ですかね」 

「ええ、で。赤色と紺色のユニフォームのチームが戦っていたんですけど、紺色がかなり押されていたんですよ。ところがね、最後の最後で出てきた紺色バッターが……これまたデブでして」 

「嘘でしょー」 

「あちゃー! 終わっちゃったね! お呼びでないってね」 

 水野谷の話の合間に運ばれてきた酒に口をつけ、三人は顔を突き合わせて話し込んだ。 

「そう思うでしょう? 普通は——」 

「あ! それって一発逆転のパターン!?」 

 高田のコメントに氏家は彼の肩を掴んで揺さぶった。 

「おおい! 結末言っちゃダメでしょー! 高田くん」 

「あちゃー。すみません。課長。そうなんですか?」 

 水野谷は苦笑した。 

「やだなー。冗談はよしこちゃん」 

「だーかーらーっ!」 

「課長まで! もう昭和全開やめてくださいよ!」

 三人はますます盛り上がる。そのうちに目の前に料理の皿が置かれた。それぞれは適当に箸で突いて口に運んだ。 



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました

東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。 攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる! そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。

後宮の記録女官は真実を記す

悠井すみれ
キャラ文芸
【第7回キャラ文大賞参加作品です。お楽しみいただけましたら投票お願いいたします。】 中華後宮を舞台にしたライトな謎解きものです。全16話。 「──嫌、でございます」  男装の女官・碧燿《へきよう》は、皇帝・藍熾《らんし》の命令を即座に断った。  彼女は後宮の記録を司る彤史《とうし》。何ものにも屈さず真実を記すのが務めだというのに、藍熾はこともあろうに彼女に妃の夜伽の記録を偽れと命じたのだ。職務に忠実に真実を求め、かつ権力者を嫌う碧燿。どこまでも傲慢に強引に我が意を通そうとする藍熾。相性最悪のふたりは反発し合うが──

王太子さま、側室さまがご懐妊です

家紋武範
恋愛
王太子の第二夫人が子どもを宿した。 愛する彼女を妃としたい王太子。 本妻である第一夫人は政略結婚の醜女。 そして国を奪い女王として君臨するとの噂もある。 あやしき第一夫人をどうにかして廃したいのであった。

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

処理中です...