アベレーション・ライフ

あきしつ

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五月:開戦

第25話:ラピッド

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時おり、1週間に2回ほど、宮川電樹は同じ夢で魘される。それはどこまでも、どこまでも白い白濁した世界。そこに電樹はただ1人立ち尽くしている。動けない、声も出せない。虚無の世界。やがて霧のように渦巻くそれは一転、闇夜の如く漆黒の世界へ変異する。その黒の壁に映し出される、昔のテレビ番組のような荒廃した映像が電樹の感情を刺激する。1人の白髪の少年が、体を捩り、血を吐き、砕け、そして壊れる。
「……やめろ」
その映像が始まったその時だけ、言葉の封がほどける。その少年は絶え間なく血を噴き出し、人とは思えない奇声をあげる。
「やめろ…!頼む!もうやめてくれ!」
体は動かない。目の前で目眩く映像に映る惨状を電樹は声だけで終わらせようとする。悲痛な声が反響し、電樹の聴覚を刺激する。
やがてその少年は静止し、電樹は少年の様子を血走った目で凝視する。綺麗な白髪が、深淵の如く黒髪へと変異した少年は左目を掻き毟りながらこちらを見る。
「…………!」
声は再び失われ、電樹は声にならない声を発する。そして──


「ずっと……待ってますよ…」


意識が、夢世界から弾き出される



「……ハッ…ハァ…ハァ…てめぇ…」
ゆっくりと目を開いた電樹は、目の前で倒れる、豊満な胸の持ち主、望美を睨む。望美は凛とした眼差しで荒い吐息をする電樹を見つめる。
「俺に何しやがった?」
「あなたのスピードは私には捌けない訳だから、根本的なもの、あなたの意識を別の場所へ移行させるように願ったの。それで大人しくしてくれると思ったんだけど…」
凛々しいが愛らしい表情を見せ、電樹から視線を反らす。
「ハッ、残念だったな。オチのある夢だったんだよ。まぁ精神抉られるほど怖かったけどな!」
「ええ、反省と、降参をしておくわ。あと今すぐ降りて?」
「あ?」
そこで初めて、電樹は自分が望美の上に馬乗りになっていたことに気づき、慌てて飛び退く。ゆっくりと立ち上がる望美を確認し、電樹は実里へ手を振る。
『おっ、どうやら決着が着いたようですね!』
互いに手を出さない2人を見て実里は淡々とアナウンスをする。
『永野望美降参!よって決勝進出者は宮川電樹ぃ!』
観客の拍手と共に、ステージを囲む巨大な松明がより一層激しく燃え、豪奢な空間が作られる。そうして、このイベントにおいての四天王が2人、揃ったことになる。
「案外ヌルッと終わったな」
スピード系統と精神系統という歯車の合わなそうなタッグが、想像以上に早く戦いが終ったことを快は嘆息する。快にとって割と楽しみな組み合わせだったからだ。
「ね、もっとネチネチ長引くかと思ってたのに」
どうやら怜奈を始め、祐希やその他諸々の生徒達も、拍子抜けといった表情だ。だが、疾さが主力の電樹からすれば、菜々戦は少し遅かったレベルなのかもしれない。
『それではAリーグ決勝戦まで10分ほどの休憩を挟みます。進出者及びBリーグ出場者は各々準備を始めて下さい!』
「あれ?快は準備とかしなくていいの?」
実里の放送を聞いて怜奈は客席から勢いよく立ち上がると、椅子から動かない快を見下ろす。快は怜奈の目を見ずに頬杖をついて、電樹や冬真が壊し生まれた瓦礫を撤去する様子を見ながら言い返す。怜奈は「ふ~ん」と生返事をすると、小走りでどこかへ走っていく。可愛らしい背中をわずかに見つめ、快は目線を逸らす。
「あちぃ…」
これは気温か、或いはまた別の要因か。快は考えを閉じ、垂れる汗を拭った。そして──


10分の休憩を終え、舞台が整う。荒れたステージは見惚れるほど綺麗に洗練された、まさしく決勝の場に相応しい。爛々と紅い閃光を放ちながら燃ゆる聖火も、先の戦いより幾分か美しく見える。ステージ上を飛行するドローンが、巨大な電光掲示板に戦いの舞台を映す。
『さあさあさあさあ!?いよいよ!Aリーグの優勝者を決める戦いを始めちゃいたいと思いまぁぁぁす!ぅうぇぇぇぇい!』
一段と気合いの入った絶叫に近いそれは、観客の興を奮い立たせる。拍手喝采の嵐、快も静かに手を打ち合う。やがて誰かが拍手を止め、それにつられ周りも手を止める。そうして消え入るように拍手が完全に止む。
『選手の入場です!』
ステージへと続く道の脇から白い煙が噴出し、1人目が歩いてくる。
『女の子にも情けなし?無情で冷徹な冷たき知将!雪原ぁ!冬真ぁぁぁ!!』
冬真は知将と校内では呼ばれ、快、祐希、電樹と並び、後輩女子や他の科の女子から人気である。ちなみに4人は校内で四大イケメンと呼ばれている。誠に遺憾だが。
『続いてはぁ?』
"冬真推し"による黄色い歓声が漸く収まったかと思えば、2人目の登場に黄色い声は復活を果たす。
『女にだって手加減なしだ!正直私はタイプです!電光石火のスピードスター!宮川ぁぁ!電樹ぃぃ!!』
「あっはっは、女性陣の皆さん見惚れるのはその辺に」
戦いの場だというのに無駄にファンサを送る電樹。恋愛偏差値は低めなくせして、チャラさを隠す爽やかスマイルが彼を輝かせる。そんな電樹を冬真はただただ冷ややかな目で睨む。
「……あんだよ」
笑顔を満たした表情を一変させ、電樹も冬真を睨み返す。
「いいえ、なんでも」
冬真は目線を反らし、短く先の睨みを取り消す。互いにプライドが高く、一度競り合うと我を忘れてぶつかり合う2人。速さの電樹と、範囲攻撃の冬真。ぶつかればシーソーゲームになるが、手を組んだ時の強さは言葉にし難いほどに恐ろしい。
「準備体操は済んだか?(笑)」
「いいえ、必要ありません」
嘲笑を含めた上から目線な笑顔で見下す電樹を冬真は余裕で一掃する。
『おお…男の因縁…って圧倒されてる場合とちゃうやないかい!さぁお二人とも定位置に着いたようですね!』
自分でボケて自分で突っ込む可哀想な実里をさて置き、快は真紅の瞳に陰りを宿してステージを見下ろす。
『それではぁぁ…スタァァァァァァt…
閃龍電速ライトニング・ソニック!」
実里の号令を掻き消す勢い…というか掻き消して電樹は距離を一気に詰める。冬真へ向かう一筋の雷光は目にも止まらぬ速度で、爪先を振り下ろす。
「らぁっ!」
冬真は腕を十字に交差させ、初撃を受け止める。蹴りを振り下ろせない電樹は、バックステップを数回、重い一撃を受け止め衝撃を殺せずにいる冬真に電樹は追い討ちをかける。
「両手使っちまって!いいのかぁ!?」
「くっ」
今度は背後から放たれる蹴撃、電樹は感触から入ったと確信する。が──
「っ!」
「危ないところでした。ですが読めていないわけではない」
電樹の一挙一動が起こす砂埃、冬真から溢れる雪の結晶が混ざり起きた霧が晴れ、蹴りの行く先が明らかになる。
「マジかい」
冬真の背から無数に伸びる千手観音のような氷結の腕。形はぎこちなく、今にも壊れそうだが、電樹の蹴りを反動無しで受け止めたその事実が、それの頑丈さを証明している。
(衝撃、殺すかよ。つーか逆に…)
電樹は氷結の手腕に蹴りを止められ、爪先から走る痺れを感じる。瞬時には動けない片足、感覚が戻るまでの刹那の隙、それを冬真は逃さない。
「はぁっ!」
生えた腕の1つで電樹の足首を無造作に掴み、遠心力を駆使して思い切り投げ飛ばす。
「う、おっ」
投げた腕とは逆の腕で地面に触れ、地面を撫でるように振り上げる。すると電樹の背後に巨大な円柱形の氷柱が突出する。そして電樹を迎えるようにその氷柱から分岐した形で先端の尖った氷柱が突き出る。
「やっべ、空中じゃ身動きが」
たが、豪腕に投げられた勢いを殺すことは出来ず、氷柱目掛けて一直線。水色の綺麗な結晶は直後、紅色に染まる。
「痛ってて…危ねぇなこりゃ」
ジャージが、腕ごと肩から裂ける。左腕は自我を失い血を流しながら地面に転がる。赤い肉面を押さえ、触れる度に身体中に染みる痛みに堪えながら、それでも強気の姿勢を保つ。
「……大丈夫ですか、痛そうですよ」
「へへッ、心配してくれてんのかよ?優しいじゃねぇか」
「いいえ、これで勝負が決まるのも不服なので」
冬真は冷たく言い返すと、背から伸びる腕で、歪な氷柱を作り、電樹の鼻先に突きつける。その先端は鼻から頬へ移動し、小さな切り傷を刻む。
「まぁそう言うなよ冷てぇな。俺ァこんなことじゃくたばらねえぜ?せめて──」
「!?」
突如、電樹が瞬時にして姿を消す。冬真が突きつけた氷柱の先端にはもう彼の姿は消え、先端に電樹の肉と頬の皮だけがぶら下がっている。
「一矢報いなきゃ、気が済まねえ」
(移動と同時に声が…速い!…ですが、背後からは同じ結果を生むだけですよ)
一瞬、だが冬真にはその一瞬が遅く感じられる。ゆっくりと迫り来る踵に、同じくゆっくりと背中の氷腕で踵を押さえる。しかし、軌道が、おかしい。先の攻撃よりも僅かだが軸がぶれている。当てにくる気がない。
(つまり…蹴りは餌… )
「死ねぇ!」
冬真の判断力を上回る勢いで、ステージが蒼い雷光に包まれる。冬真の全身、どころか客席すら巻き込む勢いで、蒼い稲妻が迸り、ドーム状に広がるそれの中心地から電樹が飛び出る。
「ハッ!今のは効いただろ」
やがて稲妻は地面を焦がし、ブスブスと黒煙が巻き上がる。時おり吹く風がやがて煙を凪いでいき、中身が現れていく。
「……カハッ…」
体を後ろに反り、口から同様の黒煙を吐く。四肢の欠損はないものも、何百何千ものの落雷を1つに圧縮した一撃を受けたのだ、腕、顔、足は爛れ、焦げた肉体はとても見れたものじゃない。
「今にも倒れそうだな、背中の氷も融けちまったか、一瞬でも態勢を崩せば」
電樹は脹ら脛に力と電力を込め、思い切り地面を蹴る。白目を向き、後ろに傾く冬真の頬を一閃、穿つ。ふらりと倒れることすら赦さず、四面から毎秒叩き込む連撃。
「あう……ぐ……」
その一撃一撃が重く、意識を刈り取られそうになるが、次の一撃がそれを許さない。刹那の隙を許さない、圧倒的速さ。それが電樹の強さたる所以だ。
「次で決める!」
電樹は冬真の遥か頭上へ舞い上がる。稲妻の全てを右足に帯電させ、左足で空を蹴り、衝撃波で一気に急降下。その踵を、冬真の脳天に叩き込む。

「………ッ!」

全力を込めた一撃は、冬真の意識を刈り取っていた、はずだった。寸前で止まった踵を振り下ろさんと電樹はカタカタと足を震わせる。だが、振り下ろすどころか逆に押し返される。
「て、めぇ…やりやがったなぁ…!」
瞬間、電樹の頭上にキラリと光る何かが浮遊する。それは幾つもの氷柱。電樹の下にいる男の手がスラリと挙がり、振り下ろす。青空に顕現した氷の結晶が、電樹の脳天を目掛けて降り注ぐ。
「ちっ!」
電樹は潔く足を離し、結晶を器用に全て回避する。だが氷の結晶は執拗に電樹の背を追い、同時に増え続ける。
「がぁぁぁぁぁっ!」
その内の幾つかが電樹の背を貫き、胸から血が噴き出る。内臓が破裂し、ゴボリと口からも血が溢れる。
「使い…やがったなぁ…」
煙が完全に晴れ、その男の姿が露見する。

煙を振り払う腕は氷か、また別の何かか、硬い外殼で覆われ、指先に生える爪も、荒く鋭く大きく凶暴な鉤爪へ。綺麗な黒髪は、氷を表すかのような薄い青碧の頭髪。白く冷たい吐息を吐く口には、八重歯とはとても言い難い、獣のような剛牙が生え揃っている。


雪原冬真は、自身に眠る龍をここで確かに、呼び出した。
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