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第二章 魯坊丸と楽しい仲間達

五夜 中根南城の書道教室

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〔天文十七年 (一五四八年)春三月二日〕
朝食が終わると書道の時間だ。
定季が挨拶の手紙や送ってきた手紙の返信などを代筆したものに俺の名前を書くだけの簡単なお仕事でもある。
親父や上司に当たる千秋季忠、那古野の信長には直筆で書けるようにならないといけないらしいが、しばらくは書く機会はないだろう。
日記の下書きは寝る前に書くので手紙の仕事が終わると、教材以外の資料本の下書きで書く練習を続ける。
その下書きを定季が清書して本にまとめてくれる。

「硝酸の製造法、アイスクリームの製造原理、冷蔵庫の材質、黒煙火薬の製造法、無煙火薬の原理が魯坊丸様の中では、これが同列なのですな」
「あくまで原理・原則でやっていることは同じ化学反応だ。原油は手に入らないだろうが、トウモロコシなら手に入る。そこで何とかできないかと考えている」
「昨日の海水から苛性ソーダを取り出す方法や電球で光を灯すのも面白いと思いましたが、今日の奴はできそうなので、別の意味で楽しい話ですな」
「火薬は作るぞ。しかし、他のモノは材料と道具が足りず、現実的でないものも多い」
「例えば?」
「そうだな。トウモロコシが手に入っていないから、断熱材にできない。藁壁を何層も作れば代用できるかもしれないが、それならば地下室を作った方が早い」
「熱田神宮の地下は許可が下りそうですが、那古野や末森は無理でしょうな」
「まず室温が下がると、物が腐り難くなることから教えねばならんからな」
「その通りです」

隣の部屋の千代女が「魯坊丸様」と声を上げた。
俺は横に向いて、千代女に話し掛けた。

「何か、わからぬことがあったか?」
「いいえ、先程ですが、『火薬』の話をされていたようにお見受けしました」
「間違いない。火薬の話をしていた」
「魯坊丸様は火薬をお使いになるのでしょうか?」
「いずれ使う予定だ。今はその準備をしている」
「里に火薬に詳しい者がおります。使用法を試行錯誤しこうさくごの末に色々な道具を作っておりますが材料が高く、いつも材料が足りないと嘆いておりました。材料を揃えられるなら、こちらに呼べると思います」

あっ、忍びなら火薬に得意な奴がいても不思議ではない。
盲点だった。
花火師をどうやって誘致するか悩んでいたが、忍びという手があった。

「千代女、その者を召し抱えることはできるか?」
「火薬の材料を揃えること。相応の報酬を支払えるのであれば」
「すぐでなければ、年三百貫文でどうだ」
「一族ごと召し抱える気ですか?」

そんなにおかしい額だったか?
酒は十五石の白米 (蒸米、麹)と十八石の清水で大桶 (三十三石)の醪を仕込む。
すると大桶三十三石から目減り分と酒粕を引いて三十二石 (5,900リットル)が取れる。
一升壺に換算して、3,300壺だ。
酒は一升七十文と聞いているので、五十文で売れたとして十六万五千文 (百六十五貫文)で売れる。
米の値段は変動するが、一石が千文とする。
すると、十五貫文で仕入れた米が百六十五貫文に膨れ、百五十貫文の粗利益だ。

一つの蔵に十個の大桶があり、酒造所に五十蔵ある。
つまり、一回の製造で七万五千貫文の粗利益がでる。
年間に最低五回は製造するので三十七万五一千貫文を得るので、土地の使用料、人件費、上納金などを引いても、相当な額が俺の懐に入る。
これは最低の計算であり、帝のお気に入りの清酒となれば、倍から十倍の価格で売れる可能性があり、蔵の数は最低でも三倍に増やすつもりだから、いずれ俺のお小遣いとして、十万貫文から二十万貫文は稼いでくれることを期待している。
親父から借りた三千貫文などすぐに返してやるし、三百貫文で召し抱えるのも難しくないのだ。

なんて、大きなことを言っているが、実際の財政は火の車だ。
最初の仕込み米の七千五百石を熱田商人から買って、支払いを二ヵ月ほど待ってもらっている。
(大桶に十五石 × 10個 × 50蔵 = 7500石 = 7500貫文)
完成した拙い酒をすぐに売って、換金しないと次の米を売ってもらえない。
でも、酒が出来てから米を買っていては間に合わない。
帝への納品がなければ、こんな無茶なことにならなかったのに…………帝の阿呆。
いかん、いかん、三年間を前倒しできたと前向きに考えよう。
熱田商人を巻き込めば銭に悩むことないが、頭を下げると主導権が向こうに移るので避けたい。
清酒を完成させて、熱田商人から投資させてほしいと言わせたい。
どうせ売るのは熱田商人だ。
良好な関係を続ける為にうま味をいくらかは譲るのは想定内なのだ。
だが、二回目の仕込み米をどう調達する。
一回目の支払いをせずに、二回目の注文はできない。
すると、その七千五百貫文を誰に出させるかだ。
もう一度親父に融資を頼むという手があるが、儲けた銭の大半を織田家に納めることになるので。これは最終手段だと考えている。

「魯坊丸様?」
「千代女、何か」
「いいえ、ぼっとされていたのでどうかされたかと思いました」
「考えることが多いのだ」
「千代女殿。魯坊丸様は時々深く考えられる癖がある。そのときは見守っている方がよい」
「わかりました」
「差し詰め、加藤殿との会談で悩まれていましたのか?」
「あぁ、それも悩みの種だ。小型帆船の設計図が巧く進まん。荒尾家と佐治家を説得せねばならんのに…………待てよ。造船には銭が掛かる。その銭を稼ぐ話を先にするか」

そうだ、加藤・荒尾・佐治の三家に米を供出してもらおう。
親父に大半を取られると思えば、三家に酒の儲けの半分を造船の投資に回すので、先行投資しろと呼び掛けよう。
どうせ造船は金食い虫だ。
遅かれ早かれ投資する破目になるなら、先に話を振って酒のうま味で味方に引き付けるか。
よし、次の会談のテーマは決まった。
製図の完成まで時間は稼げる。
荒尾・佐治家には船大工と造船所を用意するように命じておこう。

「魯坊丸様、何か決まりましたか」
「決まった。定季、千代女、助かった。悩んでいた懸案のいくつかがまとまった。それと火薬を使う者を呼び出してくれ、話し合いたい」
「畏まりました」

すっきりした気分で机に向き直すと、千代女の横でさくらがうめき声を上げた。
いや悲鳴か?

「魯坊丸様、どうして私が習字をする必要があるのですか?」
「俺に仕える侍女の必須条件だ」
「そうですか」

 さくらが沈み込む、その横の楓が口を開いた。

「魯坊丸様、私らは魯坊丸様の護衛ですよね」
「楓も嫌なのか?」
「いえいえ、私はさくらほど苦手という訳ではないのですが確認です」
「護衛である前に侍女見習いだ。侍女でなければ、連れてゆけぬ場所が多くなる。侍女である以上は、女中より仕事ができぬでは恥ずかしくないか」
「ははは、そう言えば、さくらより綺麗な字を女中が書いていますね。さくら、要らないね」

 ぐわっ、さくらが胸を指されたような声を上げる。
 楓の意地悪で、わざと言ったのが判った。
 注目を集めた女中がよくわからないという顔で口を開く。

「去年まで字も書けなかったとは思えません。侍女の方々に色々と指導してくれたお陰です。すぐに綺麗な字が書けるようになります」

おそらく、さくらを気遣った言葉なのだろうが、今のさくらは女中より下と言われたと感じたみたいだ。
うぅぅぅ、泣くに泣けないさくらが酷い顔になっている。
千代女と紅葉は字が綺麗だったので、最初から写本をしてもらっていた。
すらすらと楽しそうに書いていた紅葉が手を上げる。

「紅葉、何かわからぬことがあったのか?」
「いえ、すでに同じモノを三冊ほど書きましたが、このような簡単な教材の為に紙を使用してよろしいのでしょうか?」(ぐわぁ)
「紙に問題があったか?」
「いいえ、粗悪な紙ではございますが、それでも紙は高価でございます。このような幼子が使用するような教材を作ってよろしいのかと…………別に、魯坊丸様を批判している訳ではございません」
「長根村の特産品だ。タダのような値段で買いとっているから問題ない」
「魯坊丸様。それではわかりません」
「そうか」
「紅葉殿、魯坊丸様は傘下の長根村が中根家の特産物である『葛根湯かっこんとう』の生産に協力している褒美に紙の製造法を伝習されたのです」
「紙の製法を伝習ですか?」
「葛の根っこは葛根湯の材料で銭になりました。葉も花も銭になります。しかし、葛の茎は乾燥させて薪の足しにするくらいしか使い道がなかった。それを紙にすることで中根家が買いとってくれる。しかも粗悪な紙でよい。すべての部分で銭がもらえる。長根村は多いに助かったのです」
「良い紙を作って、売ることは考えなかったのですか?」
「良い紙を作ろうと思えば、二度手間になります。もちろん、そちらは魯坊丸様の祖父である大喜殿が製法を買って、良い紙を作ろうと悪戦苦闘をされております。完成すれば、中根家で買うことになっておりますが、未だに完成しておりません」
「難しいのですね」
「作るだけならば簡単でも、売るものに仕上げるのは容易ではないということです」

年の功か、定季は説明が巧い。
どうも俺は端折ってしまうらしく、伝わらないことが多い。
その紅葉の前でさくらが泣きながら唸っている。

「どうして、私の字は千代女様のように美しくなく、紅葉………楓より汚いのですか?」
「さくら、そんなに嫌なら諦めて甲賀に帰るか?」
「帰りません。私は千代女様一の家臣です。読み、書き、算盤が得意でなくとも、きっといつか一番になってみせます」
「さくら。一番じゃなくともいいんだぞ。最低限でいい」

さくらには俺の声など聞こえておらず、なんか俺が苛めているみたいだろう。
お~い、さくら。
泣きながら、鼻水を垂らしながら習字をするなよ。
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