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第一章 魯坊丸は日記をつける

エピローグ

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〔天文十七年 (一五四八年)春二月末〕
会見後の苦節15日、母上に提出する課題の日記が完成した。
思い起こせば、いろんな事があった。
福という赤ちゃん言葉を聞き取れる侍女を得たことが幸運だったと思い知った。
赤子の不慮の死なんて当たり前の時代だった。
母上の献身か、謙虚な養父だったからかはわからないが、俺は今も生きている。
出る杭は打たれるというが、こんな変な子供はいつ殺されてもおかしくない。
日記を書きながら思い出すと無茶をしたと実感した。
自重は捨ててきたのでいいけれど、捨てすぎてやり過ぎた感は否めない。
ツラツラと書いて十日ほど前にレポート十枚の日記を提出すると、「これは何ですか、魯坊丸が何をしたかったのが書いてありません。やり直しなさい」と突っ返された。
母上はキツい性格だった。
業務報告のようなの箇条書きではダメらしい。

俺は何をしたかったのだろうか?
兎に角、死にたくなかった。
生きる為に足掻いた。
福という得がたい侍女を得て、生活改善、美味しいものを食べたいという食欲が勝った。
本能の儘にできることを増やして、俺の身の回りを整えた。
赤子が死ぬのを見るのが嫌で知恵を授けた。
俺って我が儘だ。
戦は嫌いだ。痛いのも嫌だ。空腹も嫌だ。誰が死ぬのを見るのも嫌だ。
嫌なことはしなくないので、それを避ける為に全力を尽くす。
目に入るものを無視できないが、手の届かないことをどうにかしたいなど思わない。
城に引き籠もって、一生ゴロゴロして過ごしたい。
だから、俺の身代わりを教育して、俺の代わりに働いてもらう。
俺の周りには勤勉な者が多い。
働きたい奴に働いてもらい、俺は何もしたくない。
こんなことを書いて叱られないか?
ヤバいかな。
駄目なら書き直すだけだと、ツラツラと書き綴った。

「魯坊丸が何を考えているのかわかった気がします」
「ご理解いただけましたか」
「すべてを家臣に任せたいのですね」
「はい」
「戦にも出たくない」
「はい」
「手柄はどうしますか?」
「要りません」
「なるほど。欲がないのか、欲があり過ぎるのか、どちらでしょうね」
「書き直しですか?」
「いいえ。これは受け取りましょう」

よし、日記の課題クリアー。
俺は手を後ろに隠して拳を握って小さくガッツポーズをとった。
これで面倒な作業から解放だ。

「では、次を楽しみにしておきます」
「えっ?」
「母としては、三ヶ月おきに読めると嬉しいですね」
「母上。日記は終わりではないのですか?」
「日記に終わりなどありません。これから毎日のように下書きを残すようにしなさい」
「下書きですか」
「毎日のように書きつづり、あとで清書する方もいると聞きました。母もそれを推奨します。絶対ではありませんが、三ヶ月ごと持ってこられるようにしなさい」
「また、提出するのですか?」
「もちろんです」

滅茶苦茶に疲れた。
これで終わると思って頑張ったのに、これから続くのかよ。
にっこりと笑っている母上を説得するのは無理だ。
どう足掻いても日記から逃げられないらしい。
俺はとぼとぼと自室に戻った。

                            第一章『魯坊丸、日記を書く』<完>
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